artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
真鍋奈央「波を綴る」
会期:2019/02/22~2019/04/07
入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]
入江泰吉記念奈良市写真美術館では、隔年で入江泰吉記念写真賞の公募を行なっている。前回の第2回公募からは、同賞の受賞者の展覧会を開催するとともに写真集を制作するようになった。今回の第3回公募で受賞したのは、真鍋奈央の「波を綴る」である。
1987年、徳島県生まれの真鍋は、高校の時にハワイに留学したのをきっかけとして、そこで出会った人たちや風景を撮影し始めた。帰国後にビジュアルアーツ専門学校大阪の写真学科で学ぶが、ハワイの写真はずっと撮り続けていた。今回の受賞作品は、それらをモロカイ島、オアフ島、ハワイ島、マウイ島の4つの島ごとに再構成したものである。ハワイの光と風を全身で受け止め、6×4.5判のカメラで定着した写真群は、彼女の主観的な解釈を押し付けるのではなく、被写体に寄り添うように注意深く撮影されている。とはいえ、一枚一枚の写真に畳み込まれた経験の厚みと蓄積は、しっかりと伝わってくる。出来合いのストーリーに寄りかかることなく、彼女自身の目と心の遍歴が綴られていくのだ。
特筆すべきは、写真展と同時に刊行された写真集『波を綴る』(入江泰吉記念写真賞実行委員会)の出来栄えである。白を基調にした松本久木のデザインは、ハワイというやや特異な場所に漂う、生と死が綴れ織りのように絡み合う気配を見事に浮かび上がらせる。4つの島の写真群をそれぞれミシン綴じの写真集にまとめ、それらをさらに貼り合わせて一冊にすることで、真鍋の意図を受け止めながら、それをさらに増幅して普遍的な視覚的経験として提示することに成功していた。
2019/02/22(金)(飯沢耕太郎)
石田真澄「evening shower」
会期:2019/02/02~2019/02/24
QUIET NOISE arts and break[東京都]
石田真澄は、1998年生まれという最も若い世代の写真家。高校時代から注目され、2018年にデビュー写真集『light years-光年-』(TISSUE PAPERS)を刊行した。今回展示されたのは、彼女が19歳から20歳にかけて撮影した写真である。
奥山由之や草野庸子など、若い世代の写真家たちのなかにフィルムカメラを使用して撮影・発表する者が目立つが、石田もそのひとりである。われわれにとっては、ややノスタルジックな思いにとらわれてしまうのだが、彼女たちにはフィルムや銀塩プリントの淡く、ややざらついた質感がとても新鮮に思えるのだろう。そのあたりのギャップを頭に入れたとしても、彼女が見せてくれる世界のあり方そのものが、あまりにも後ろ向きに思えてならない。色や形や光に対する鋭敏な感受性、被写体の動きをあらかじめ予測してシャッターを切っていく能力の高さ、画面構成の巧みさなど、写真家としての美質は充分過ぎるほど持っているのだが、この場所に自足してしまいそうな妙な安定感が気になってしまう。
写真展に寄せた文章に、「もうくせだと思うけれど/いつもいつも目先の不安ばかり気にしてしまい/今ここにあるものを大切にできない時がある/写真を撮ると少しだけ不安が消える気がしている」と書いているのだが、「今ここにあるものを大切」にする必要などないのではないか。むしろ「不安」を大事に育て上げ、それを梃子にして写真を撮り続けなければ、次のステップに進めないのではないだろうか。まばゆいほどの才能の輝きが色褪せないうちに、心揺さぶる不確実な世界に目と体を向けていってほしい。
2019/02/19(火)(飯沢耕太郎)
新山清「VINTAGE」
会期:2019/02/13~2019/04/27
gallery bauhaus[東京都]
新山清(1911~69)は愛媛県生まれ。東京電気専門学校卒業後、1935年から理化学研究所に勤め、戦後の1958年に旭光学に移った。そのあいだ、アマチュア写真家としてコンスタントに活動を続け、各写真雑誌に多数の作品を発表したほか、ドイツのオットー・シュタイネルトに呼応して、「国際主観主義写真展」(1956)、「サブジェクティブ・フォトグラフィ3」展(1958)にも参加している。今回の展覧会には、1969年に58歳で不慮の死を遂げた彼が生前に残した1940~60年代のヴィンテージ・プリント(写真家が撮影してすぐに制作したプリント)、49点が出品されていた。
本展もそうだが、このところ新山に限らず、迫幸一、大藤薫、後藤敬一郎など、「主観主義写真」の時代の写真家たちの仕事に注目が集まってきている。彼らの写真が、戦前のアマチュア写真家たちが切り拓いてきた「新興写真」、「前衛写真」の伝統を受け継ぐとともに、独特の切り口で戦後社会を切り取ったものであることがようやく見えてきたからだ。今回展示された作品を見ると、花、静物、風景、スナップなど、新山のアプローチの幅はかなり広い。ヌード写真や女性モデルを撮影したファッション写真風の作品まである。そこには、好奇心の赴くままに、さまざまな被写体に向き合っていく、アマチュア写真ののびやかさがよくあらわれている。また、35ミリ判と6×6判のカメラを自在に使いこなして、的確なフレーミングで画面に収めていく技術力の高さを窺える作品が多かった。
アマチュア写真家たちの創造性は、1970年代以降に急速に枯渇していくので、新山の仕事はその最後の輝きを示すものといえる。戦前の仕事も含めて、彼の作品を集大成した写真展や写真集をぜひ見てみたい。
2019/02/13(水)(飯沢耕太郎)
陳春祿「収蔵童年」
会期:2019/02/06~2019/02/19
銀座ニコンサロン[東京都]
陳春祿(Chen Chun Lu)は1956年、台湾・台南市の出身。1983~85年に日本に留学して東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)で学び、卒業後にカラー現像所で3年ほど働いた後、台湾に戻って、自らのカラー現像所を設立・運営してきた。今回の銀座ニコンサロンの個展では、彼が5歳だった1960年の頃の幼年時代の記憶を辿り、写真にドローイング、モンタージュなどの手法を加えて作品化している。
陳の少年時代の台湾は「蒋介石政府による高圧的な統治下」にあり、政治的には混乱と閉塞感が強まっていた。だが、一方では経済的には復興が進み、映画や音楽など台湾独自の文化も育っていった。陳の作品は、古い家族写真、写真館の着色肖像写真、映画のポスター、歌舞団(レビュー)の踊り子たちのブロマイド写真などに、小学校、遊園地、動物園、田舎への遠足などの写真を合わせてちりばめ、曼荼羅を思わせる精細で華麗なイメージのタペストリーを織り上げたものである。
デジタル化以降の写真家たちにとって、多彩な画像を取り込み、合成して、大きな画面をつくり上げていくことはごく当たり前になってきている。ともすれば、上滑りな、遊戯的な試みに終わることが多いのだが、陳の場合、発想と技法とがうまく接続して、見応えのあるシリーズとして成立していた。しかも彼の作品には、どこからどう見ても台湾人の世界観、宗教観、色彩感覚が溢れ出ている。東洋の魔術的世界の極致というべきその写真世界が、次にどんなふうに展開していくのかが楽しみだ。
2019/02/13(水)(飯沢耕太郎)
長町文聖「OLD VILLAGE」
会期:2019/02/01~2019/02/17
写真家が撮影するカメラを変える理由はさまざまである。単純に目先を変えるということもあるだろうが、多くは被写体との向き合い方が違ってきたためだと思う。長町文聖は、これまで8×10インチの大判カメラで、街を行き交う人を撮影した作品を発表してきた。ところが、今回のphotographers’ galleryでの個展では、35ミリの小型カメラにシフトし、ネガカラーフィルムで撮影・プリントしている。
長町にその理由を尋ねたところ、「数をたくさん撮りたかったから」という答えが返ってきた。たしかに8×10インチのカメラでは撮影枚数が限られてくる。だが、それだけでなく、彼の撮影の姿勢そのものが変わってきているのではないだろうか。あらかじめ「絵」を描いてシャッターを切っていたように見える前作に比べると、今回の「OLD VILLAGE」では、街を歩きながら偶発的に発見した場面をカメラにおさめている。結果的に、なんとも即物的、散文的な印象の写真が並ぶことになった。
被写体になっているのは前作と同じく、長町が居住している東京・町田市の眺めである。前作ではそれがどこであるのかはあまり重要なファクターではなかったが、今回は町田というやや特異な成り立ちの地域、東京都下にもかかわらず、どこか地方都市のような雰囲気の街のたたずまいがくっきりと、細やかに浮かび上がってきていた。古い農家の名残のような建物と、高層アパートや商店街が同居する、雑然とした、やや気の抜けた眺めが淡々と目に飛び込んでくる。ただ、このシリーズはこのまま同じように続いていくのではなく、大判カメラによる写真と綯い交ぜにしていくプランもあるという。どこにでもありそうな、だがヴァナキュラーな特異性も併せ持った町田を、写真によって探求していく試みとして、面白い成果が期待できそうだ。
2019/02/11(月)(飯沢耕太郎)