artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

牧野智晃「Theater」

会期:2019/01/19~2019/02/03

Bギャラリー[東京都]

牧野智晃は2004年から「自身の母親にインスパイアを受け」、40歳代から60歳代くらいの中年女性を、自宅の部屋で撮影した写真を撮影し始めた。彼女たちは家具や置物に囲まれ、それぞれの趣味が露わに出た衣服や装身具を身につけ、カメラに向けて思い思いのポーズをとる。そこには自ずと彼女たちの無意識の身振りがあらわれてくる。観客はディテールを緻密に再現した中判カメラによるカラー写真を見ることで、モデルたちの性格、願望、生活環境などを読み取ることができる。

牧野は東京近郊で撮影した「TOKYO SOAPOPERA」、そのニューヨーク編にあたる「DAYDREAM」に続いて、今回は台湾の女性たちを撮影した。2013年から台湾の5つの都市で40人以上を撮影したという本作「Theater」も、手法的には前作を踏襲している。台湾の女性たちのたたずまいも、室内の状況も、日本人と重なりあうところと、微妙にズレているところとが共存しており、2枚の写真を並置する展示プランによって、そのあたりが効果的に伝わってきた。

ただ、これだけ長く続いてくると、撮影や展示のコンセプトそのものを見直す時期に来ているのではないかとも思う。中年女性たちの自己表現に寄りかかりすぎて、見た目の奇抜さ、面白さ以上に認識が広がっていかないし、日本、アメリカ、台湾とバラバラに発表されると、比較文化的な視点も希薄になる。また今回のシリーズの場合、モデルが上流階級と思しき女性たちに限定されているので、意外に平板な印象を受けてしまう。そろそろ新たな展開が必要なのではないだろうか。

2019/01/21(月)(飯沢耕太郎)

山本昌男「BONSAI 手中一滴」

会期:2019/01/16~2019/02/16

MIZUMA ART GALLERY[東京都]

いかにも山本昌男らしい作品が並んでいた。山本は、モノクロームに独特の風合いでプリントした写真を、壁に撒き散らすようにインスタレーションする作品で、日本よりもむしろ海外で名前が知られている。近年は、日本を代表する盆栽家である秋山実とコラボレーションした写真作品を制作し始めた。俳句を思わせる作風の持ち主である彼が、盆栽に目をつけるのは納得できる。

今回のMIZUMA ART GALLERYでの展示は、その「BONSAI」シリーズを中心にしたものだが、山本は盆栽をそのまま撮影するのではなく、工夫を凝らした構図の中におさめている。盆栽の背後に広がる風景の広がりを、そのまま画面の中に取り入れて撮影しているのだ。言うまでもなく、盆栽は、人工的に育て上げた小さな樹木の形を借りて、大自然を表象しようとするものである。山本は盆栽を山々(富士山を含む)や海をバックに撮影することで、自然と人工物の境目を曖昧にし、それらが混じり合うような眺めをつくり出している。盆栽をテーマにした写真作品は、これまでもいくつか見たことがあるが、山本の試みは新たな視覚的体験を与えてくれるものだった。

ただ、同時に出品されていた「Tori」シリーズもそうなのだが、フレームに一点一点きっちりとおさめて壁にかけるような展示のあり方にはやや違和感がある。商業ギャラリーのスペースの限界もあるのだが、やはり彼がこれまで積み上げてきた、大小の写真による、「間」を活かしたインスタレーションのほうが、その作品世界とうまく釣り合っているように感じるのだ。フレームにおさめた作品の場合、ピクトリアリズム的なまとまりのよさが目について、どうしても想像力の広がりが限定されてしまう。特徴のある空間でのインスタレーション的な展示を、日本でもぜひ実現してほしい。

2019/01/18(金)(飯沢耕太郎)

平間至「平間至写真館大博覧会」

会期:2019/01/05~2019/01/28

ニコンプラザ新宿THE GALLERY[東京都]

写真家・平間至の祖父の平間甲子は、1926年に宮城県塩竈市に平間写真館を開業した。その後、写真館は2代目の平間新に受け継がれるが、高齢になったために2003年に休業する。平間至は、日本大学芸術学部写真学科を1986年に卒業後に広告や雑誌を中心に活動するようになり、結局家業を継ぐことはなかった。その彼が、2015年に東京・三宿に平間写真館TOKYOを立ち上げるきっかけになったのは、2011年の東日本大震災だったという。震災と津波で塩竈も大きな被害を受け、家族のつながりを確認する手段としてのポートレートを撮影する写真館の役割をあらためて強く意識せざるを得なくなったのだ。

今回の「平間至写真館大博覧会」(企画・佐藤正子、会場構成・おおうちおさむ)には、2015~18年に平間写真館TOKYOで撮影された写真が並んでいる。それらを見ると、平間が、これまで写真館で撮影されてきた伝統的な肖像写真とはやや違ったスタイルで撮影していることがわかる。いわば、モデルの“自己表現”を引き出していくポートレートというべきだろうか。写真家があらかじめ指示を与えるのではなく、モデルたちが自発的に選び取ったポーズや表情が、そこにいきいきと定着されているのだ。平間が撮影にあたって一番大事にしているのは、「流れを止めないこと」だという。被写体を解放し、自由に振舞えるような雰囲気をつくり出すために、彼がこれまでミュージシャンや俳優をライブで撮影してきた経験に裏付けられた手練手管が総動員されている。結果的に、自由でのびやかなデジタル時代の新たなポートレートのあり方が、そこに形をとり始めているように感じた。

平間写真館TOKYOの活動は、むろんこれから先も続いていくはずだ。それは写真家・平間至にとっても重要な意味を持つ写真群になっていくのではないだろうか。

2019/01/18(金)(飯沢耕太郎)

鈴川洋平「Apocalyptic Sounds」

会期:2019/01/05~2019/01/22

銀座ニコンサロン[東京都]

鈴川洋平は1979年、新潟県生まれ。2005年に東京綜合写真専門学校を卒業し、2010年代以降に写真新世紀などいくつかの公募展で入賞を重ねてきた。

デジタル化によって画像の自由な加工・修整が可能になったことで、思いついたアイディアを精度の高い写真作品として落とし込めるようになった。鈴川が今回銀座ニコンサロンで発表した「Apocalyptic Sounds」では、「シュレーディンガーの猫」として知られる思考実験が作品のベースになっている。「シュレーディンガーの猫」というのは、「自分をとりまく小さな世界を一つの箱と仮定すると、そこには様々な可能性、選択肢が内在していて、それらの数の分だけ今とは違った僕が存在している」という考え方で、仮想世界、多次元宇宙といったかたちで多くの映画、小説、ゲームなどに取り入れられている。鈴川は、風景や事物をスナップショット的に撮影するだけでなく、それらを巧妙に加工し、彼なりの仮想世界を構築していく。そこで重要な役割を果たすのが、黒いキャップ、ボーダーシャツ、ジーンズの鈴川本人と思しき人物で、彼が狂言回しとなることで、物語がスムーズに展開していた。

発想も、それを写真化していく手続きも、会場のインスタレーションも、かなり高度なレベルに達している。ただどうしても、ありがちなアイディアをなぞっているという既視感が生じてしまうことも否定できない。この種の作品の場合、もう一ひねり、二ひねり加えていかないと現実世界と拮抗する、仮想世界そのもののリアリティを獲得するのはむずかしそうだ。さらにもう一段ギアを上げていってほしい。なお、本展は1月31日~2月13日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/01/16(水)(飯沢耕太郎)

三好耕三「繭 MAYU」

会期:2019/01/08~2019/02/23

PGI[東京都]

三好耕三は1980年代から大判ビューカメラでの撮影を続けている。一般的に、建築写真などで使用するビューカメラは4×5インチ判のフィルムサイズだが、三好はそれより一回り大きい8×10インチ判のカメラを常用してきた。ところが近年、さらにもう一回り大きな16×20インチ判で撮影することが多くなってきている。年齢とともに、体力の問題もあって撮影機材は小さくなるのが普通だが、三好はまったく逆なわけで、ある意味特異な体質の持ち主といえるだろう。フィルムサイズを大きくすることのメリットは、むろん画面の精度が増すということだ。とはいえ、機材が大きすぎて扱いにくくなり、被写界深度(ピントが合う範囲)も狭くなるというデメリットもある。今回の「繭 MAYU」シリーズを見ると、三好が長所も短所も含めて16×20インチ判のカメラの特性を最大限に活かすことで、新たな被写体に向き合っていることがわかる。

さて、今回のシリーズのテーマである生糸の原料となる繭玉は、どこか神秘的な被写体である。カイコの蛹を内に秘めた繭玉は、見る角度や光の状態によって千変万化し、シンプルだが豊かなヴァリエーションを見せる。三好はそれらが「蔟(まぶし)」と称される枡状の区切りの中に一個一個おさめられ、息づいている様を丁寧に撮影している。三好自身の言葉によれば、養蚕農家に通うことは、「少しわくわくの誘惑と、なのになんだか少し物思いになってしまう訪問」なのだそうだ。たしかに、会場に並んでいる写真を見ていると、繭玉が発する不可思議な気配を、「わくわく」しながら全身で感じ取り、シャッターを切っていく写真家の姿がありありと浮かび上がってくる。同じ会場で開催された「RINGO 林檎」(2015)、「On the Road Again」(2017)などの展示もそうだったのだが、三好の近作には「撮る」こと、「プリントする」ことの歓びが溢れ出している。そのことがしっかりと伝わってきていた。

2019/01/11(金)(飯沢耕太郎)