artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

「断片的資料・渡辺兼人の世界 1973─2018 第1回スナップ─「声」」

会期:2017/09/14~2017/09/30

AG+GALLERY[神奈川県]

渡辺兼人の写真家としての軌跡を辿り直す連続展が、神奈川県・日吉のAG+GALLERYで、7回にわたって開催されることになった。来年9月まで続くその第1回目では、2011年にスタートした新作のストリート・スナップショットのシリーズ「声」が展示された。
渡辺といえば、6×6判の端正かつ厳格な風景写真を思い浮かべる。その彼が、スナップショットを撮影していたことはまったく知らなかったので、展示を見てかなり驚かされた。というのは、画面の隅々まで完璧にコントロールし、1ミリの揺らぎもないプリントをつくり上げていく渡辺のいつもの流儀は、偶発性に支配されるスナップ撮影ではほぼ通用しないからだ。しかも、当初は6×9判のブローニーサイズのカメラを使っていたにもかかわらず、途中から35ミリ判の、しかもとても扱いにくいローライ35に変えたのだという。にもかかわらず、そこに出現してきたのは、いかにも彼らしい「スナップショット」としてのクオリティを保った作品群だった。
展覧会のチラシに、渡辺のストリート・スナップには「『うまく写す』ことに対する執着が一切感じられない」と記されている。「良否や美醜を遥かに超越したところでこれらの写真は制作されている」ともある。そう見えなくもないが、じつはそうではないと思う。「うまく写した」ように見えないように「うまく写して」いるのが渡辺のスナップショットなのではないだろうか。同様に、そこには「良否や美醜」への鋭敏で繊細な配慮が感じられる。「純粋写真」、「絶対写真」のつくり手である渡辺兼人は、ここでもスナップショットの純粋化、絶対化に全力で取り組み、それを見事に成功させているというべきだろう。これから先の連続展示も楽しみになってきた。

2017/09/30(土)(飯沢耕太郎)

粱丞佑『人』

発行所:ZEN FOTO GALLERY

発行日:2017/07/20

歌舞伎町を舞台にした写真集『新宿迷子』(ZEN FOTO GALLERY、2016)で第36回土門拳賞を受賞した韓国出身の粱丞佑(ヤン・スンウー)の「受賞第一作」の新刊写真集である。とはいえ、この『人』のシリーズは2002年から撮り続けられているものなので、本来は『新宿迷子』の前に刊行されるべきだったかもしれない。
写真の舞台になっているのは「横浜中華街から10分ほど歩いた所」にある横浜市寿町。いうまでもなく、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎と並び称される「ドヤ街」である。これまでも、何人かの写真家たちがこの街を撮影してきたのだが、粱の撮影の姿勢は根本的に違っているのではないかと思う。彼は寿町を訪れて「撮りたいと強く思い」、街に通い詰めるようになるのだが、しばらくは「ただ見ていた」のだという。道に座り込んで住人たちと酒を酌み交わし、少しずつ顔なじみになると、やっと3カ月後にひとりの男が「お前は何をやっている人間なんだ」と聞いてきた。粱は「写真しています」と答え、そこからようやく撮影が始まった。
このような撮り方、撮られ方で成立した写真が、普通の「ドキュメンタリー」や「フォト・ジャーナリズム」の範疇におさまるものになるわけがない。そこから見えてくるのは、人と人というよりは、むしろ動物同士が匂いを嗅ぎ合い、互いに触れあい、ときには牙を剥き出しにして噛み合っているような関係のあり方である。モノクロームのスナップ写真は、むしろ古典的といえそうな風格を備えているが、そこには時代や国を超越した「どこでもない場所」の感触が見事に捉えられている。だが2017年現在、寿町も少しずつ「以前の姿は消え、高齢化が進み、街の『境界』は曖昧になり他の街となじみつつある」のだという。いまやこれらの写真は、失われつつある記憶のデータベースとしての意味も持ち始めているということだろう。

2017/09/27(水)(飯沢耕太郎)

映画監督・佐藤真の新潟──反転するドキュメンタリー

会期:2017/09/15~2017/10/15

砂丘館ギャラリー[新潟県]

『阿賀に生きる』(1992)、『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)といった、日本のドキュメンタリー映画の歴史に残る傑作を残し、2007年に亡くなった映画監督・佐藤真。没後もその仕事の見直しが粘り強く進められ、2016年には多くの関係者が原稿を寄せた評論集『日常と不在を見つめて──ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社)が刊行された。今回の企画は、佐藤とは縁が深い新潟の地で、彼の業績を振り返るもので、筆者も9月24日に「佐藤真と写真」と題するギャラリートークに参加させていただいた。
旧日本銀行新潟支店長役宅を改装した砂丘館には、『阿賀に生きる』のスチール写真(撮影=村井勇)をはじめとして、佐藤の著書、関連資料などが展示されていた。そのなかには、牛腸茂雄の写真集『SELF AND OTHERS』(白亜館、1977)におさめられたポートレート写真(プリント=三浦和人)もある。佐藤は砂丘館館長の美術批評家、大倉宏の示唆で新潟県加茂市出身の牛腸の存在を知り、彼の写真に強く惹きつけられて映画『SELF AND OTHERS』を制作するに至った。また、長岡市で歯科医院を営みながら、明治30年代~大正時代に膨大な数のガラス乾板の写真を遺した石塚三郎にも関心を抱き、彼の記録写真をベースにした映画も構想していた。その石塚の写真も今回の展示作品のなかに含まれていた。
こうしてみると、佐藤はドキュメンタリー映画作家として活動しながら、無意識のレベルでの視覚的な認識を基本とする、写真表現の可能性にも大きな刺激を受けていたことがわかる。1990年代後半には、当時構想していた『東京』と題するオムニバス映画の準備も兼ねて、自ら東京の街を徘徊してスナップ写真を撮影している(『日常と不在を見つめて』に収録)。佐藤真の映画と写真との関係については、まだいろいろなことが見えてくる可能性がありそうだ。牛腸茂雄についての強いこだわりは、映画『SELF AND OTHERS』に結実したのだが、石塚三郎の写真は、結局映画には使われることなく終わった。そのあたりも含めて、また別の機会に「佐藤真と写真」を総合的に検証する機会をつくっていただきたいものだ。

2017/09/24(日)(飯沢耕太郎)

三好耕三「On the Road Again」

会期:2017/09/05~2017/10/28

PGI[東京都]

展覧会のリーフレットに、三好耕三が「ロード・トリップはメディテーション」と書いている。たしかにアメリカのような、行けども行けども同じような風景が続く道を車で走っていると、次第に頭がボーッとしてきて瞑想的な気分になってくる。しかも、写真家の旅にはこれといった特定の目標はない。いい被写体に出会えればラッキーだが、まったく写真が撮れない日もあるのではないだろうか。そんな「ロード・トリップ」を三好は1970年代から40年以上にわたって続けてきた。むろん楽しみもあるだろうが、やはりどこか「修行」の趣もないわけではない。
それでも長年続けているうちに、三好の撮影旅行のあり方も少しずつ変わりつつある。同じリーフレットに「以前の旅では目的地は副産物だった。近頃は副産物としてではなく、目的を果たすようになって来た」と書いている。今回のPGIでの個展は、以前のようにひたすら「ロード」の写真が並ぶだけでなく、看板、カウボーイハットのショーウインドー、道路脇のカフェの内部なども撮影している。視線の向け方に余裕ができ、画像にもふくらみが感じられる。1999年に刊行された写真集『IN THE ROAD』(Nazraeli Press)の生真面目な写真群と比較すると、その変化がよくわかるだろう。近作は8×10インチの大判カメラでの撮影であるにもかかわらず、どこかスナップショット的な雰囲気すら漂わせているのだ。とはいえ、三好の最近の常用カメラは、8×10よりひと回り大きい16×20インチ判だから、余裕を感じるのは当然かもしれない。
このシリーズはまだ枝分かれしつつ広がっていきそうでもある。「Again and Again and Again. 今日があるのは今日だけだ」。三好の「ロード・トリップ」はさらに続く。

2017/09/22(金)(飯沢耕太郎)

進藤環「仙人のいる島」

会期:2017/09/16~2017/10/14

ギャラリー・アートアンリミテッド[東京都]

進藤環はこれまで自作の写真を切り貼りしてコラージュし、架空の風景を組み上げていく作品を発表してきた。ところが、今回東京・六本木のギャラリー・アートアンリミテッドで開催された新作展では、展示されたほとんどの作品が「ストレート写真」だった。コラージュの手法を用いた2点も、ほとんど操作の跡は見えない。
作品のスタイルが変わったのは、おそらく今回のテーマ設定によるところが大きいのではないだろうか。進藤は3年ほど前に岡山県笠岡市の北木島を訪れ、周囲から「仙人」と呼ばれる不思議な老人に出会う。そのたたずまいに惹かれて、島を再訪して彼のポートレートだけでなく、住居や周囲の風景を撮影した。主題となる被写体が限定的である場合、コラージュによって再構築する必然性はなくなる。実際、今回のシリーズでは、「ストレート写真」が違和感なく目に飛び込んできた。モノクローム中心の緻密な画面構成、丁寧なプリントも、テーマにふさわしいものになっていた。3年前に、九州産業大学芸術学部写真、映像メディア学科の講師として福岡に移り住み、制作の環境が大きく変わったことも、作風の変化に影響しているのではないかと思う。
ただ、このまま全面的に「ストレート写真」に移行する必要もないだろう。次に何を撮影するかで、コラージュの手法が再び復活することがあるかもしれない。よりフレキシブルに、新たな領域にチャレンジしていってほしいものだ。

2017/09/21(木)(飯沢耕太郎)