artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

長見有方「御嶽 UTAKI」

会期:2017/07/10~2017/07/15

巷房2[東京都]

長見有方(おさみ・ありかた)は1947年、北海道生まれ。大判カメラで撮影した端正なモノクローム写真を、いくつかのギャラリーでコンスタントに発表し続けてきた。今回、東京・銀座の巷房2で展示した「御嶽 UTAKI」のシリーズにも、細やかに、光と影のあわいに目を向けていく彼の眼差しのあり方がよくあらわれていた。
御嶽はいうまでもなく、沖縄の人々の信仰や祭礼の場となっている聖なる場所で、多くは森の奥などにつくられている。長見が撮影したのは、沖縄本島近くの浜比嘉島、粟国島を除いては、石垣島、西表島、黒島など、八重山諸島にある御嶽である。祖霊信仰がいまも根強く残っている沖縄では、部外者は立ち入り禁止になっている御嶽も多い。長見はあえてそのような禁忌の場所は避け、南方の植物が生い茂る森の中に、ひっそりと溶け込んでいるような御嶽に目を向けている。その謙虚で慎ましやかなアプローチの仕方によって、むしろ聖なる場所の、不思議な浮遊感を感じさせるたたずまいが、とてもうまく捉えられていた。展覧会のリーフレットに文章を寄せた、ベオグラード芸術大学教授のブラニミル・カラノビッチが、長見の人柄とその姿勢を「聖人の肖像や聖書の場面を描くキリスト教の画僧」と比較しているが、それも的を射た指摘ではないかと思う。
もう少し長く続けていくと、さらに実り多い成果に結びついていきそうだ。写真集の刊行も期待したい。

2017/07/12(水)(飯沢耕太郎)

猪井貴志「鉄景漁師」

会期:2017/06/22~2017/08/08

キヤノンギャラリーS[東京都]

鉄道写真というジャンルはとても人気が高く、専門の雑誌があるし、日本鉄道写真作家協会(JRPS)という団体もある。だが、写真表現全般のなかで論じるのは逆にむずかしい。被写体そのものがかなり特殊なのと、独特の美意識や撮り方のルールがあるからだ。だが、今回キヤノンギャラリーSで開催された猪井貴志(現・JRPS会長)の展示を見て、鉄道写真には「風景写真」としての魅力が確実に備わっていると感じた。むしろ「鉄道」という被写体にあまりとらわれることなく、「電車が写っている風景写真」として、素直に楽しめばいいのではないだろうか。
猪井貴志は1947年、神奈川県生まれ。盟友の真島満秀とともに、国鉄時代から鉄道写真のパイオニアの一人として活動してきた。彼の写真の見所は、何といっても「風景とそこを走る列車との競演」にある。場所と時間、季節の選び方が絶妙で、これしかないというポイントでシャッターを切っていることが、どの写真を見てもしっかりと伝わってくる。桜、菜の花、海、森、雪など、季節の移り変わりとともに姿を変えていく日本の風景の繊細な美しさが、電車という鉄の塊を配することで、より引き立って見えてくるのは、考えてみれば不思議なことだ。長年の経験の積み重ねによって、ここぞというタイミングをつかみ取る能力に磨きをかけてきたということだろう。
その意味では、まさに「鉄景漁師」というタイトルがうまくはまっている。鉄道写真を漁師の魚釣りに例えると、そのむずかしさも面白さも、よくわかる気がしてくる。釣りでも鉄道写真でも、潮目や天候を見極める目が大事なのだが、いくら準備に準備を重ねても、運を天に任せなければならないこともよくある。そして、すべてがうまくいって「最高の一枚が撮れたときは、嬉しくて嬉しくて、本当に酒がうまい」。会場に掲げられたこの猪井のコメントに、大きくうなずく人も多いのではないだろうか。

2017/07/11(火)(飯沢耕太郎)

百々俊二「A LIFE 1968-2017」

会期:2017/07/07~2017/09/10

Gallery 916[東京都]

本展のリーフレットのために「人の匂いのする川」という百々俊二論を書いた。そのなかで百々の50年以上にわたる写真家としての軌跡を、大阪平野を貫いて流れる淀川に喩えたのだが、展示を見て確かにその通りだと納得することができた。出品作は300点以上、壁だけでなく床にまで大きな作品が並ぶ展覧会場を歩き回るうちに、大河のゆったりとした流れに呑み込まれ、河口まで一気に運ばれていくように思えてきたのだ。
1968年、九州産業大学写真学科の2年生のときに、ニコンFにトライXフィルムを詰めて撮りに行ったという佐世保の「原子力空母エンタープライズ阻止闘争」の写真は、糊の痕も生々しく、スケッチブックに貼られたままの状態で展示されていた。その最初のパートから、東日本大震災後に撮り始めた8×10インチ判カメラによる力作「日本海」、さらに現在も撮り続けられている「春日山原始林」のシリーズまで、圧倒的な量感の写真群が、次々に目の前にあらわれてくる。百々のカメラワークの特徴のひとつは、35ミリ判や8×10インチ判にとどまらず、6×6センチ判、4×5インチ判のポラロイド、さらにデジタルカメラなど、さまざまな撮影機材を自在に使いこなしていることだ。彼の目の欲望とエネルギーの噴出の大きさを支えるには、一種類のフォーマットではとても無理ということなのだろう。
とはいえ、幅の広い被写体を多様な手法で撮影しているにもかかわらず、そこには明らかに一貫した身構え方がある。それこそが「人の匂い」に対する手放しの、素早い反応にほかならない。それが一番よくあらわれているのは、デビュー写真集『新世界むかしも今も』(長征社、1986)にまとめられた、路上スナップのシリーズだろう。この35ミリ判と6×6判を併用して撮影された写真群には、百々の人懐っこい、だが冷静に被写体を値踏みする、スナップシューターとしての天性の眼差しがよくあらわれている。この展示をひとつのきっかけとして、大阪出身の写真家たちに共通するスナップショットのあり方について、きちんと考えてみたいと思った。

2017/07/08(土)(飯沢耕太郎)

荒木経惟 写狂老人A

会期:2017/07/08~2017/09/03

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

荒木経惟は過去形の写真家ではなく、現在進行形の写真家である。そのことを充分にわかっているつもりでも、1980~90年代のあの凄みのある仕事ぶりと比較すると、2000年代以降の荒木にある種の「やり尽くした」感を見てしまう人も多いのではないだろうか。だが、今回東京オペラシティアートギャラリーで開催された、「写狂老人A」を見て、彼のいまの仕事がそれどころではない状況にあることがよくわかった。
最初の部屋に展示されている「大光画」(50点)に、まず度肝を抜かれる。『週刊大衆』に連載中の「人妻エロス」シリーズを中心にした140×100センチの大画面のプリントが並んでいるのだが、ここまで生々しいヌードを、ほぼ等身大で、至近距離で見るという視覚体験はほかにない。観客はここで完全に荒木の写真世界に取り込まれていくことになる。以後、「空百景」、「花百景」、「写狂老人A日記 2017.7.7」、「八百屋のおじさん」、「ポラノグラフィー」、「非日記」、「遊園の女」、「切実」とほぼすべて「最新作」が並ぶ。だが、そのなかで最も衝撃的だったのは、1964年の電通写真部時代に制作された「八百屋のおじさん」と題する、スケッチブックに写真を貼り付けた手作り写真集だった。銀座の路地裏で店を開く、眼鏡で金歯の中年の「おじさん」の「ネオレアリズモ」のドキュメントだが、同じアングルで撮影した写真を執拗に繰り返すなど、後年の荒木の写真集のかたちがすでに実践されている。このような作品は、これから先も発掘されてくる可能性がありそうだ。荒木の写真家としての潜在的な埋蔵量は、まさに計り知れないものがある。
展示の最後のパートは、これまで刊行された写真集を紹介するコーナーで、2017年現在の総点数は520冊に達している。この数字がどこまで伸びるのか、それを考えると気が遠くなってくる。

2017/07/08(土)(飯沢耕太郎)

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サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで

会期:2017/07/05~2017/10/23

国立新美術館×森美術館[東京都]

東京・六本木の2つの美術館、国立新美術館と森美術館の展示室をフルに使った大規模展示である。インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスの現代美術家、80組以上が集結するという展覧会は、これまでにないスケールであり見応えがあった。ただあまりにも多彩な内容なので、全体像をつかむのがむずかしい。写真を使った作品としては、本展のポスターにも使われた、赤い提灯のオブジェの衣装を着て歩き回るリー・ウェン(シンガポール)の《奇妙な果実》(2003)、イー・イラン(マレーシア)が写真スタジオで撮影された大量の肖像写真をインスタレーションした《バラ色の眼鏡を通して》(2017)、リム・ソクチャンリナ(カンボジア)の国道沿いの家の変容を克明に記録した《国道5号線》(2015)など、興味深いものが多かったが、大きなインスタレーション作品と同時に見るのは、やや辛いものがあった。
展覧会の関連企画として、森美術館で「MAMリサーチ005:中国現代写真の現場──三影堂撮影芸術中心」展が開催されていたが、こちらもとても有意義な企画だった。三影堂撮影芸術中心(Three Shadows Photography Art Centre)は中国・福建省出身の榮榮(RongRong)と日本・横浜出身の映里(Inri)のカップルが、2007年に北京郊外の草場地に立ち上げた現代写真センターである。中国の若手写真家たちの公募展「三影堂撮影大賞」、フランスのアルル国際写真フェスティバルと提携した「草場地 春の写真祭」など、意欲的な企画を次々に実現し、中国現代写真の展開に大きな役割を果たしてきた。2015年には中国・廈門にも、三影堂廈門撮影芸術中心をオープンしている。
創立者の一人の映里が日本人ということもあって、三影堂と日本の写真界とのかかわりは深い。森山大道(2010、2015)、細江英公(2011)、原久路(2012)、荒木経惟(2012)、蜷川実花(2016)など、日本の写真家たちの個展も何度も開催している。にもかかわらず、中国の現代写真家たちの作品が、日本ではほとんど紹介されていないのは問題ではないだろうか。同様に、「サンシャワー」展に出品した東南アジア諸国の写真家たちの仕事も、もう少しきちんとしたかたちで見てみたいものだ。

2017/07/04(火)(飯沢耕太郎)

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