artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

尾仲浩二「MY FAVORITE 21」

会期:2013/02/12~2013/03/02

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

尾仲浩二からの思いがけないヴァレンタインのプレゼントといった趣の、小粋な展覧会だった。このシリーズをつくり始めたきっかけは、ずっと愛用していたコダックのカラープリント用の印画紙が2年前に製造中止になってしまったことだったという。そのとき、パリの友人が小半切サイズのその印画紙を100枚送ってくれた。そこに何をプリントしようかと考えたときに、カラープリントを始めたばかりでまだあまり上手に焼けなかった2000年頃に撮った写真群が気になり始めた。エディションを3に決め、そこから21枚の「MY FAVORITE 」を選んでプリントしたのが今回のシリーズである。
旅の途上、街はずれの人気のない片隅の光景という尾仲のスタイルは一貫している。だがそのなかでも、不機嫌そうな猫、愛嬌がありすぎてちょっと哀しげな犬、煙を吐いて航行する旅客船など、普段なら外しそうな写真をさりげなく入れてサービス精神を発揮している。気になったのは展覧会のDMや、ZEN FOTO GALLERYから刊行された同名の写真集の表紙に使われている、古臭い造花を飾ったショーウィンドウの写真。ここには「モノ」に対する尾仲の独特の嗅覚がはっきりと表われている。彼は風景を包み込んでいる空気感だけでなく、このようなどこか懐かしく、愛らしい「モノ」たちのたたずまいにも鋭敏に反応してシャッターを切っているのではないだろうか。この方向をさらに進めていけば、「MY FAVORITE THINGS」をコレクションした展示や写真集も充分に考えられるのではないかと思った。

2013/02/15(金)(飯沢耕太郎)

鈴木諒一「観光」

会期:2013/02/01~2013/02/26

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

1988年生まれで、東京藝術大学大学院在学中の鈴木諒一の実力は折り紙付きだ。第一回EMON PORTFOLIO REVIEWでグランプリを受賞し、2012年に開催した個展「郵便機」でも、その可能性の片鱗を見せてくれた。サン=テグジュペリの小説に触発された前回の個展に続いて、今回も「書物」が主題となっている。本のページをめくっていると、時々その裏側の文字や図像が透けて見えてくることがある。そんな体験を作品化したのが今回の「観光」のシリーズで、図鑑に掲載された風景や動物たちが、逆光に照らし出されてぼんやりと浮かび上がってくる様を、多重露光のような効果で定着したものだ。
アイディアも手際も悪くない。「世界で一番遠くにあるページは、そのページ自身の裏側かもしれない」というコメントを見てもわかるように、思考を言語化する能力にも長けているようだ。だが、まだ「これこそが自分の作品だ」というフィット感に乏しい気がする。一皮むければ、いい作家になるのは目に見えているので、あと一歩の食いつき、追い込みを期待したい。別室に展示されていたもうひとつの新作「Books」にも可能性を感じた。本のページとページの間の隙間を、覗き込むように撮影したシリーズだが、むしろその素直なアプローチに面白味がある。

2013/02/14(木)(飯沢耕太郎)

エドワード・スタイケン写真展 モダン・エイジの光と影1923-1937

会期:2013/01/26~2013/04/07

世田谷美術館[東京都]

エドワード・スタイケン(1879~1973)の90年以上にわたる生涯は、いくつかの節目で区切られている。ルクセンブルク移民の息子としてアメリカ・ミルウォーキーに育ち、1902年にアルフレッド・スティーグリッツらとフォト・セセッションを結成して、アメリカにおける「芸術写真」の展開に一時代を画したのが第一期、第二次世界大戦後にニューヨーク近代美術館写真部門のディレクターとなり、「人間家族」展(1955年)などを企画・構成するのを第三期とすると、今回の世田谷美術館での展示は、その間の第二期にスポットを当てたものだ。
この時期、スタイケンは「芸術写真」からコマーシャル・フォトの領域に転じ、『ヴォーグ』『ヴァニティ・フェア』などを発行するコンデ・ナスト社の専属写真家として、主にポートレートやモード写真を撮影、発表していた。写真家としては円熟期にあたるこの時期に、あえて商業的な写真を選択したことについては批判がないわけではない。だが今回の展示を見ると、写真印刷の技術的な発達によって、雑誌メディアにおける写真の可能性が大きく花開いていくなかで、彼が自分の能力すべてをこの分野に注ぎ込んでいたことがよくわかった。
1920年代のアール・デコから、30年代のよりモダンで機能的なファッションへと、モードの世界の美意識が変化していくのに合わせるように、スタイケンの写真術も、より精緻で洗練されたものになっていく。特に1930年代のシンプルな構図で光と影のコントラストを活かした作品群は、うっとりと見入ってしまうほどの美しさだ。女優のグロリア・スワンソン、グレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォード、そしてモデルのマリオン・モアハウスなど、スタイケンの写真を彩る優美なミューズたちの輝きは、今なおまったく色褪せていない。上流社会の支えによる「ハイ・ファッション」が、きちんと成立していた時代だからこその輝きと言えるだろう。

2013/02/13(水)(飯沢耕太郎)

野村佐紀子「NUDE / A ROOM / FLOWERS」

会期:2013/02/08~2013/03/24

BLD GALLERY[東京都]

野村佐紀子の個展デビューは1993年。ということは、もう20年近くコンスタントに写真展を開催し、写真集を刊行し続けているわけで、そのことにちょっと驚いてしまう。というのは、彼女の最初の頃の作品はほとんどが室内で撮影されたモノクロームの男性ヌードで、被写体や作風の広がりをあまり予想できなかったからだ。ところが、野村の小柄な細身の身体に秘められたエネルギーの埋蔵量は、当初の予想をはるかに超えたものだったようだ。しぶとく、淡々と写真を撮り続け、しっかりと自分のポジションを確立していった。今回の展示と、同名の写真集の刊行(Match & Company)は、その意味でひとつの区切りをつけるものと言えるのではないだろうか。
かなり大きめのサイズに引き伸ばされて会場に並んでいる56点の作品を見ていると、いつのまにか野村の被写体の幅が広がっていることに気がつく。トレードマークと言える男性ヌードだけでなく、女性や子どもの写真もあるし、室内の情景や風景の比率も増してきている。モノクロームの作品のなかに、カラープリントもそれほど違和感なく溶け込んでいる。かなりバラバラな作品群が、すーっとつながるように目に飛び込んでくるのは、それらを見つめ、撮影していく野村の視点が安定しているからだろう。闇の中に沈み込んでいこうとする被写体を凝視し、ふっと息を吐くようにシャッターを切る。緊張と弛緩とを行き来するその呼吸が、なかなか真似のできない達人の域に届きつつあるように思う。そこに写り込んでくるのは、生の世界がいつのまにか死の領域へと滑り込んでいくような、曖昧な、だがどこか懐かしく既視感のある時空の気配だ。

2013/02/12(火)(飯沢耕太郎)

鈴木理策「アトリエのセザンヌ」

会期:2013/02/09~2013/03/27

GALLERY KOYANAGI[東京都]

鈴木理策にはすでにセザンヌが生涯のテーマとして追求し続けたサント・ヴィクトワール山を撮影したシリーズがあり、2004年には写真集『MONT SAINTE VICTOIRE』(Nazraeli Press)として刊行されている。このシリーズも絵画と写真との表現のあり方を問い直す意欲作だったが、今回GALLERY KOYANAGIで発表された新作「アトリエのセザンヌ」では、彼のセザンヌ解釈のさらなる展開を見ることができた。
サント・ヴィクトワール山の写真もあるが、中心になっているのはセザンヌが絵を描き続けたアトリエの内部で、むしろそこに射し込む光が主役と言ってよい。鈴木はもともと、光の質感やたたずまいを鋭敏で繊細なセンサーでとらえ、定着することが得意な写真家だが、今回の連作でもその能力が見事に発揮されている。窓から射し込む光は、アトリエの中のオブジェ(印象的な3個の髑髏を含む)、壁に掛けられた画家の上着や杖などの輪郭をくっきりと浮かび上がらせるだけでなく、むしろその重力を奪い去り、ふわふわと宙を漂うような不安定で曖昧な存在に変質させてしまう。それは空間の明確な構造や対象物の物質性にこだわるセザンヌとは、まさに正反対のアプローチと言うべきだろう。会場には新作の動画(ヴィデオ)作品「知覚の感光板」(2012年)も展示されていたが、こちらの方が静止画像よりもさらに浮遊感が強まっており、鈴木の志向性がはっきりと表われているように感じた。
展覧会に寄せた小文で、作家の堀江敏幸が面白い解釈を打ち出している。鈴木が撮影するサント・ヴィクトワール山の岩肌は「セザンヌの脳内風景どころか脳そのもの」だというのだ。たしかに写真を眺めていると、そんなふうに見えてくる。卓見と言うべきではないだろうか。

2013/02/12(火)(飯沢耕太郎)