artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

原芳一「常世の虫II」

会期:2012/11/30~2013/12/09

サードディストリクトギャラリー[東京都]

昨年刊行した写真集『光あるうちに』(蒼穹舍)で「写真の会賞」を受賞するなど、このところ充実した活動を展開している原芳一の新作展。「常世の虫」というタイトルの展示は、2009年の同ギャラリーでの個展に続くものである。
被写体なっているのは、相変わらず彼自身の日々の消息だが、たしかにそのなかにさまざまな虫たちが姿を現わしている。ちっぽけで目につきにくい蛾や毛虫や蜉蝣の類を捉える原の眼差しには、いささかの揺るぎもない。彼にとって、虫たちの世界と人間たちの世界はまったく同格であり、むしろ生(性)と死のはざまで密やかに営まれる虫たちの生の姿にこそ、強い関心と共感を抱いているのではないかと思えるほどだ。
DMに寄せた文章で原自身も書いているのだが、日本の古代から中世にかけて「虫」が大きく浮上してくる時期があった。「常世の虫」と呼ばれる宗教集団への弾圧事件、あの哀切な「虫愛づる姫君」の話。そんな争乱の時代へとなだれ込んでいく「末法の世」の空気感は、原にとって他人事ではなく、どこか現代の気分と重なりあうのだろう。このシリーズがどんなふうに展開していくのかはわからないが、原がもともと備えている文学的な想像力が、さらに奇妙な回路を辿りつつ花開いていきそうな予感がする。

2012/12/04(火)(飯沢耕太郎)

須田一政「風姿花伝」

BLD GALLERY[東京都]

会期:[第一期]2012年11月15日~12月2日/[第二期]2012年12月4日~28日
須田一政が1975~77年に『カメラ毎日』に断続的に掲載した「風姿花伝」は、僕にとって忘れがたいシリーズだ。この時期の『カメラ毎日』の誌面は名作ぞろいなのだが、須田の写真はとりわけ薄紙に水が染みとおっていくような浸透力を備えていた。そのただならぬ異界の気配に、震撼とさせられることも多かった。須田のこの時期の仕事については、近年ヨーロッパでも再評価の気運が高まっている。ベルリンのonly photographyから500部限定の写真集『ISSEI SUDA』も刊行された。その須田の代表作が、BLD GALLERYで展示され『風姿花伝[完全版]』(Akio Nagasawa Publishing)が刊行されるというのも、彼の再評価の大きな流れのなかに位置づけられるだろう。
今回の展示の目玉は、なんといっても1,080×1,080mmサイズの大判モノクロームプリント10点である。その迫力は比類ないものがあり、須田の写真の世界がしっかりとした構築的な骨組みを備えていることが、明確に浮かび上がってくる。ほかに名作中の名作、あの大蛇が壁をつたって這う「神奈川県三浦三崎」(1975)のヴァリエーション4枚(とぐろを巻く蛇のイメージも含む)が、初めてプリントとして展示されているのも興味深かった。この連作も写真集として刊行する予定だという。
なお、新宿のPlace Mでは、須田が1990年代に制作した「RUBBER」シリーズ(ポラロイド写真)が展示された(12月3日~9日)。こちらも彼の「なんかヘン」な対象に対するフェティッシュなこだわりが全面展開した怪作だ。Place Mから同名の写真集も刊行されている。

2012/12/04(火)(飯沢耕太郎)

クロダミサト「沙和子」

会期:2012/11/21~2012/12/15

神保町画廊[東京都]

クロダミサトは2009年に写真新世紀でグランプリを受賞後、「沙和子」と名づけたシリーズを撮影しはじめた。2010年にリブロアルテから写真集として刊行された『沙和子』は、同年代の若い女性のヌードをさまざまなシチュエーションで撮影したシリーズである。かなりあからさまに男性向きの「エロ本」のポーズを引用したこの作品では、写真家とモデルは楽しげに、のびのびと写真撮影の時空間を共有している。今回の神保町画廊での展示の中心になっているのは、個展の形では初めての公開となったこのシリーズだが、同時に新作の「無償の愛」も展示されていた。
「無償の愛」は同じモデルを、やはりヌードや下着姿で撮影した連作だが、『沙和子』とはかなり肌合いが違う。クロダの故郷でもある三重県の、なんとも素っ気ない即物的な風景の中で、モデルの彼女がシンプルなポーズをとっている。『沙和子』のような悪戯っぽい挑発性は影を潜め、どちらかといえば素っ気ない、自然体の表情の写真が並ぶ。わずか2年あまりの時間差であるにもかかわらず、ちょっとスリムになったひとりの女性の軀と心の変化が、鮮やかに刻み付けられているのが興味深かった。もう少し長く撮り続けていくと、また違った感触の写真が出てきそうな気がする。それとともに、愛おしさと探究心に突き動かされつつ、血の流れを感じ取れるくらいの近さでシャッターを切っていくクロダのスタイルは、他のモデルを撮影した場合でも、じわじわと面白い形をとっていくのではないかと感じた。

2012/11/29(木)(飯沢耕太郎)

百々俊二『遥かなる地平 1968-1977』

発行日:2012/10/10(木)

滅法面白い写真集だ。百々俊二はビジュアルアーツ専門学校・大阪の校長を務めながら、『楽土紀伊半島』(ブレーンセンター、1995)、『大阪』(青幻舎、2010)など力のこもった写真集を刊行し続けている写真家だが、この著作では1947年生まれの彼が20歳代の時期に撮影した写真を、再構成して発表している。「A1968年1月17日─21日──佐世保[原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争]」から「Z1976年─77年──大阪」まで、26の断章におさめられた400ページを超える写真群によって浮かび上がる「若き写真家の軌跡」は見応えがあり、同時に胸を打つものがある。
いうまでもなくこの時期には、若者たちの叛乱が日本全国を覆い尽くし、中平卓馬、森山大道、荒木経惟らの登場によって、日本の写真表現が高揚し、沸騰していた。その時代の息吹を、九州、大阪の地にあって受けとめ、投げ返そうとする百々の体を張った営みが、息苦しいほどの切迫感で伝わってくるのだ。社会状況に深くコミットメントする写真だけでなく、テレビのクイズ番組を勝ち抜いて招待されたというロンドン旅行の写真(1970)、1972年に結婚する妻、節子を撮影し続けた「私写真」なども入っているのが、いかにも彼らしいと思う。写真に加えて、巻末の鈴木一誌(ブックデザインも担当)による百々へのロング・インタビューをあわせて読むと、時代背景と写真家の位置づけが、より立体的に見えてくるだろう。

2012/11/29(木)(飯沢耕太郎)

志賀理江子「螺旋海岸」

会期:2012/11/07~2013/01/14

せんだいメディアテーク 6階 ギャラリー4200[宮城県]

「年末回顧」を執筆しなければならないシーズンになり、『日本カメラ』(2012年12月号)に今年の写真展について書くように求められて、本展を「ベスト1」にあげた。実はその原稿の執筆時点では、まだこの展覧会を見ていなかったのだが、確信を持ってそう言い切ってしまったのだ。志賀理江子は、2012年7月に東川賞新人賞を受賞し、東川町フォトフェスタの展示に「螺旋海岸」のシリーズから数点を展示した。それを見て、会場に置いてあったせんだいメディアテークでの「連続レクチャー 考えるテーブル」(2011年6月〜12年3月)の草稿にも目を通していたので、彼女の今回の個展が「日本の現代写真の階梯を一段高めるものである」と自信を持って書くことができたのだ。
実際に仙台まで日帰りで往復し、展示を見て、その確信が決して間違いではなかったことがわかった。志賀が2008年以来、宮城県名取市北釜に住みついて、その地の住人たちとともに実践してきた写真行為の蓄積は、驚くべき強度と密度を備えたシリーズとして生長し、文字通り大地に根を張りつつある。せんだいメディアテーク6階の広いスペースに、木製パネルに直接貼り付けて、土嚢を重しにして立ち上がった243点の写真群は、あらゆる形容詞を吹き飛ばしかねない圧倒的なパワーを発していた。それらをどのように受け入れ、位置づけていくべきかについて思いを巡らすには、12月中に刊行予定のテキスト集『螺旋海岸ノート』と写真集『螺旋海岸アルバム』(いずれも赤々舎)を待つしかない。だが、会場の中心に置かれた「①遺影」の写真から、まさに螺旋状に円を描きながら「②私、私、私」「③微笑み(写真のなかの私)」「④ここはどこ(写真のなかの私)」「⑤さようなら(写真のなかの私)」「⑥眠り」「⑦皮」「⑧鏡」「⑨伝言」と広がっていく写真の間をさまよう体験は、忘れがたいものになった。「①遺影」以下の写真の分類はむろん志賀自身によるものであり、被写体となった人々の「まなざし」のあり方と、その行方を探り当てようとする独自の思考の軌跡が刻みつけられている。志賀が北釜で写真作品を制作しつつ、闇の中から手探りでつかみ取っていったこれらの思考の断片は、画像としてだけでなく言葉(詩的言語)としても比類ない高みに達しつつあるのではないだろうか。

2012/11/24(土)(飯沢耕太郎)

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