artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
梅佳代『のと』
発行所:新潮社
発行日:2013年4月25日
東京オペラシティアートギャラリーで開催された「梅佳代展」(2013年4月13日~6月23日)に合わせるかたちで、写真集『のと』が刊行された。以前この欄で、「そこに住む家族と故郷の人々を愛おしさと批評的な距離感を絶妙にブレンドして撮り続けているこの連作は、梅佳代にとってライフワークとなるべきものだろう」と書いたのだが、その直感がまさに的中しつつあることが、この写真集で証明されたのではないかと思う。
日付入りコンパクトカメラで撮影されている写真が多いので、撮影年月日を特定しやすいのだが、それを見ると2002年頃から13年まで、10年以上のスパンに達している。生まれ故郷の石川県能都町との関係は、100歳近い「じいちゃんさま」の存在もあって、梅佳代にとって特別濃いものなのだろう。これから先も長く撮り続けていくことになるだろうし、さらにシリーズとしての厚みを増すにつれて「撮れそうで撮れない」彼女の写真の希少価値が際立ってくるのではないだろうか。
とはいえ、梅佳代の『のと』では、多くの写真家たちが取り組んでいるような地域の特殊性が強調されることはほとんどない。冬の雪の光景や「能登のお祭り館 キリコ会館」のような珍しい場所が、たまたま背景として写り込んでいることがあっても、多くの写真にあらわれているのはピースマークを出してカメラに笑いかける中高生のような、日本のどの地域でもありそうな情景ばかりだ。誰が見ても既視感に誘われる写真ばかりなのだが、全体を通してみると「これが『のと』」としかいいようのないゆるゆるとした空気感が、しっかり写り込んでいることに気がつく。
植田正治の山陰の光景のように、梅佳代の『のと』も、ローカルでありながら普遍的な写真のあり方を指し示しているともいえる。こうなると日本以外のアジアやヨーロッパの観客が、これらの写真にどんなふうに反応するかも知りたくなってくる。
2013/02/11(月)(飯沢耕太郎)
熊谷勇樹「そめむら」
会期:2013/02/04~2013/02/21
ガーディアン・ガーデン[東京都]
志賀理江子の「螺旋海岸」を見た後、何人かの若手写真家の被写体へのアプローチにどこか共通した志向性を感じるようになった。儀式めいたパフォーマンス、過剰な光と影のコントラスト、濃密な色彩効果、画面の傾きやブレ・ボケのようなノイズの導入などだ。熊谷勇樹の作品にも、そんな傾きを感じないわけにはいかない。それを「時代の兆候」というのは先走り過ぎかもしれないが、若い写真家たちの現実世界への違和の感情が、もはやぎりぎりのテンションまで高まりつつあることの表われと言えるかもしれない。
熊谷の今回の個展は、昨年3月~4月に開催された第6回写真「1_WALL」展のグランプリ受賞作品「贅沢」を発展させたもの。大小の写真を壁に配置するインスタレーションも含めて、写真を通じて「不確かさ」を提示しようという意志がくっきりと表われていて、気持ちのいい展示だった。だが、ここから先がむずかしい。「どこの誰とも規定されずに彷徨っているような非決定的な写真を撮ることで、世の中のあらゆる手に負えないものや不合理なものの存在を証明したい」。このマニフェスト自体は間違ってはいないが、「非決定的な写真」に安住してしまうと、いたずらに断片を撒き散らすだけで終わりかねない。むしろ「手に負えないものや不合理なもの」にさらに肉迫し、それらのリアリティを引きずり出し、地図化(マッピング)していくような力業を期待したい。志賀理江子が「螺旋海岸」で成し遂げようとしたのは、まさにそういう作業の積み重ねだったのではないだろうか。
2013/02/07(木)(飯沢耕太郎)
Y・アーネスト・サトウ「Light and Shadow」
会期:2013/01/25~2013/02/28
Gallery 916[東京都]
神奈川県立近代美術館で開催された「実験工房展」カタログの巻末の座談会を読んでいたら、いきなりアーネスト・サトウの名前が出てきたので驚いた。戦後、GHQの肝いりで開始されたCIEライブラリーで、毎週のように現代音楽を含むレコード・コンサートが開催されており、その構成・解説を担当していたのがサトウだったのだ。湯浅譲二、福島和夫、武満徹、山口勝弘などはその常連だった。つまり、実験工房のメンバーの出会いのきっかけをつくったのが日米混血のサトウだったということで、これは僕にとっても驚きだった。そのサトウの写真展が、たまたま916で開催されているのも何かの縁と言えるだろう。
サトウは1951年(実験工房結成の年)に渡米し、やがて写真家の道を歩む。1962年に帰国。フォト・ジャーナリストとして活動した後、京都市立大学で教鞭をとるようになる。その彼の最大傑作と言うべき教え子が森村泰昌である。森村自身、サトウから受けた写真教育の影響をさまざまな場所で語っているが、たしかにしっかりとした技術に裏付けられた空間構築へのこだわりは、師から受け継いだものと言える。
サトウのプリントをこれだけまとめて見たのは初めてだが、やはり彼の音楽に対する造詣の深さが写真にも表われているように感じた。光と影のコントラストを活かした画面の構成力と、モノクローム・プリントのトーン・コントロールの見事さは、むしろ作曲家の仕事と共通性があるような気がする。ただ、現実世界のノイズをそぎ落とし、作品としてあまりにも完璧に仕上がっているということは諸刃の剣でもある。むしろ、レナード・バーンスタイン、オノ・ヨーコ、田中角栄などを含むポートレート作品に、モデルの強烈な個性を受け止めて投げ返した佳作が多い。帰国後の作品も含む、もう一回り大きな展示も見てみたいと思った。
2013/02/07(木)(飯沢耕太郎)
実験工房 展──戦後芸術を切り拓く
会期:2013/01/12~2013/03/24
神奈川県立近代美術館 鎌倉[神奈川県]
文字どおり、戦後の一時代を切り拓いた実験工房の活動は、これまで断片的には取り上げられてきたが、その全貌はなかなか見えてこなかった。活動期間が1951~57年という比較的短い期間(その前後にメンバー個々のコラボレーションはあるが)だったこと、造形美術、音楽、舞台芸術等の多分野にまたがる運動体だったことがその理由だろう。今回、神奈川県立近代美術館 鎌倉を皮切りに、いわき市立美術館、富山県立近代美術館、北九州市立美術館分館、世田谷美術館を巡回する本展は、その意味でとても有意義な企画と言える。
実験工房は瀧口修造を精神的な指導者(実験工房という命名も彼による)として、「造形部門」には北代省三、駒井哲郎、山口勝弘、福島秀子、大辻清司を擁し、「音楽部門」には園田高弘、武満徹、湯浅譲二、福島和夫、鈴木博義、秋山邦晴、佐藤慶次郎が加わっていた。ほかに舞台照明家の今井直次とエンジニアの山崎英夫もメンバーであり、幅広いジャンルの作品に対応できる体制が整っていたことがわかる。実際に、1951年11月の「ピカソ祭」で上演されたバレエ「生きる悦び」からスタートする彼らの活動は、まさにインター・メディア的な実験精神の開花であった。むろん現在と比較すれば、技術的にも資金的にも限界があるなかで、精一杯背伸びをした危うさを感じないわけにはいかない。だが、逆にういういしい出会いの歓びがどの作品からも伝わってくる。このようなジャンルを超えた共同作業が、いまは逆に生まれにくくなっているように思えてならない。
写真という表現領域について言えば、生粋の写真家である大辻清司と、のちに写真家として多彩な仕事をするようになる北代省三がメンバーに加わっていたのは、幸運であったと言うべきだろう。『アサヒグラフ』誌に1953~54年にかけて連載された「APN」と題するコラムでは、北代、山口、駒井らがオブジェを制作し、大辻が撮影した写真がタイトルカットに使用された。大辻や北代は、実験工房がかかわった舞台や展覧会の記録写真も撮影している。これらの写真群は、それぞれのアーティストたちの活動を側面から支えながら、時代の空気感をいきいきと定着する記録資料としても重要な意味を持つものと言える。
2013/02/05(火)(飯沢耕太郎)
今井智己「Semicircle Law」
会期:2013/01/26~2013/02/16
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
今井智己の「Semicircle Law」は、「震災後の写真」のひとつの形を示すものと言える。彼は2011年4月から2012年12月まで、福島第一原子力発電所から30km以内の複数の場所で撮影してきた。言うまでもなく、原発から半径20km圏内は立ち入り禁止の措置がとられている。今井が写したのはあまり特徴のない山並みや、森の木立や、鉄塔や建物が点在する風景だが、カメラは常に原発の方向に向いている。実際に原発の建屋らしいものが、はるか彼方に遠望できる写真もある。
今井の意図は明確であり、その方法論も的確で狂いがない。だが、展示を見て、さらにMatch and Companyから刊行された25点をおさめた写真集のページを繰っていると、どこか割り切れない思いが湧き上がってくる。このようなシリーズの場合、観客は今井のコンセプトに導かれて、ついつい画面の中で原発の所在を探してしまう。それが見つかれば安心するし、見つからなくとも「この風景のどこかにそれはあるのだ」と納得して、それ以上の想像力をシャットアウトしてしまいかねない。もともと今井の風景写真が孕んでいた、多義的な、しかも研ぎ澄まされた画面構成の魅力が、今回のシリーズではあまり伝わってこないように感じた。
このようなシリーズは、むしろ原発事故とは関係なく撮影されていた写真と、何らかの形で関係づけながら見せた方がいいのではないだろうか。また、これで撮影は完了というのではなく、もう少し粘り強く撮り続けることで、何か違った見え方が生まれてくる可能性もあるような気がする。
2013/01/29(火)(飯沢耕太郎)