artscapeレビュー

小吹隆文のレビュー/プレビュー

時代(とき)をこえて ギャラリー・コレクションを中心に

会期:2016/06/28~2016/07/03

galerie 16[京都府]

ギャラリーコレクションを中心とする13作品で、1960年代から80年代の関西現代美術シーンを振り返る企画展。同時期に大阪で行なわれたアートフェア「ART OSAKA」に参加した同画廊が、そこでの展示とアートフェア経由で京都を訪れる客層を意識して企画したと思われる。出展作家は、野村耕、古田安、岩田重義、三島喜美代、柏原えつとむ、狗巻賢二、木下佳通代、北辻良央の8名。なかでも、1970年代、80年代、90年代(遺作)の変遷がうかがえる木下佳通代の展示は見応えがあり、柏原えつとむが1968年に発表した《カーテンを認識するためのカーテン》も、欧米でコンセプチャルアートが隆盛し、日本で「もの派」が始まろうとしていた時期であることを意識すると感慨深かった。また、三島喜美代が1964年に発表した絵画も、いまとなってはレアな作例だ。画廊のコレクション展でこれだけ見応えのあるのは珍しい。さすがは50年以上の歴史を誇る老舗画廊といったところか。

2016/06/28(火)(小吹隆文)

前田春人写真展《Quiet Life》

会期:2016/06/18~2016/06/26

Kobe 819 Gallery[兵庫県]

1992年から94年の約3年間、報道写真家として南アフリカに滞在し、ネルソン・マンデラ大統領の就任とアパルトヘイトが廃止される過程を取材した前田春人。彼は都市部の緊迫した政治状況を取材する一方、小さな村の静かな日常を捉えた写真も撮影していた。それらをまとめたのが、本展で展示された《Quiet Life》シリーズである。彼が訪れたカカドゥ村は、アパルトヘイトにより故郷を追われた人々(棄民)が住む村であり、都市部とは違ったかたちでアパルトヘイトの本質が表われた場所であった。じっくりと時間をかけて取材を行なった作品は、けっして煽情的なものではない。しかし、これらもまた南アフリカ史の一断面なのだ。こうした地道な仕事が、歴史のなかで埋もれずに残っていくことを望む。

©HARUTO MAEDA

2016/06/21(火)(小吹隆文)

arflex×ミロコマチコ「けはいのねっこ」

会期:2016/06/16~2016/06/28

アルフレックス大阪[大阪府]

高級家具店のショールームで美術展。この手の企画はすでに手垢がついており、「何となく仕上がりが予想できるな~」と思いながら会場に向かった。で、実際にはどうだったかというと、これがもう予想をはるかに超える素晴らしいコラボレーション。家具の周囲にインテリアよろしく作品を並べました、なんてレベルではなく、ヘラジカを描いた巨大壁画を筆頭に、ゾウやクジラ、七面鳥(別の鳥かも?)など大作が目白押し。ペイントした椅子やモビールで飾り立てたコーナーがあるかと思えば、きちんと額装した作品を並べた壁面もあり、それらが上質なインテリアと美しく響き合っているではないか。ああ、なんてこった。知ったかぶりして斜に構えていたのが恥ずかしい。手垢が付いているのは、企画ではなく自分だった。

2016/06/20(月)(小吹隆文)

プレビュー:辰野登恵子の軌跡─イメージの知覚化─

会期:2016/07/05~2016/09/19

BBプラザ美術館[兵庫県]

2014年に亡くなった画家、辰野登恵子の画業を振り返る回顧展が、神戸のBBプラザ美術館で開催される。関西在住の筆者は彼女の作品を見る機会が少なかった。個人的には、矩形がダイヤ状に連なる作品や、ゆるやかなS字(音楽記号のフォルテから横線を抜いた感じ)があざやかな色面を背景に浮遊する作品など、1980年代から90年代にかけての仕事が印象深い。また、筆者は格子やストライプを連続させた初期の版画作品も知っているが、ほかは見たことがなく、実体験が決定的に不足していた。作者の没後にようやく全体像が見られるのは皮肉だが、本展を逃すと関西で同様の機会はないかもしれないので、必ず出かけるつもりだ。

2016/06/20(月)(小吹隆文)

佐竹龍蔵展「ちいさなものたち」

会期:2016/06/18~2016/07/09

YOD Gallery[大阪府]

イノセントな瞳でこちらを見つめる少年少女像で知られる佐竹龍蔵。その作品をよく見ると、輪郭線は一切なく、すべてが薄く溶いた岩絵具を平筆で置いた小さな四角形の集合体、つまり点描画であることに気付く。絵画は光の集積にほかならない。その事実に改めて気づかされた。さて今回、佐竹が描いたのは、龍、風神、雷神、河童、しばてん(彼の故郷、高知県の妖怪)の4点である。なぜ聖獣や妖怪なのか、最初はその意図をつかみかねた。しかし少年少女を、性を超越した存在と考えれば合点がいく。彼が一貫して追求していたのは、スピリチュアルな、あるいは形而上的な存在なのか。それゆえ点描画なのか。次に彼に会った時、その辺りを詳しく訊ねたい。

2016/06/18(土)(小吹隆文)