2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

里見宗次─フランス・日本・タイのグラフィックス

会期:2017/03/06~2017/04/22

京都工芸繊維大学美術工芸資料館[京都府]

大阪に生まれたグラフィックデザイナー 里見宗次のフランス・日本・タイにおける仕事の全容を紹介する展覧会。同大学美術工芸資料館は、作家自身と遺族より寄贈された資料を多く所蔵している。本展では113点の展示品を通して、アール・デコ様式のダイナミックなグラフィックに留まらない多様な作品群、これまで比較的知られることのなかったタイでの活躍の様子までをも見ることができる。里見家と交流のあった小出楢重の影響からパリ行きを決意、エコール・デ・ボザール(パリ国立美術学校)で油絵を学んだ際のデッサン、デザイナーに転換して「ムネ・サトミ」の名のもと活躍してゆく作品(《ゴロワーズの煙草》(1928)ほか、藤田嗣治や宮本三郎、小磯良平らとの交流を示す資料などがまず展観される。このパリ時代には、消費文化に供する楽しげなイラストレーションを用いた作品も印象的だ。また一時帰国後、日本の商業美術界の発展に尽力、日本郵船やミキモト等から依頼されたグラフィック作品をはじめ、国内外における展覧会やデザイナーたちとの交流を示す資料が展示されている。興味深いのは、バンコクでの仕事。外務省からサイゴンを経てタイへ派遣された里見は、終戦を迎えるまで同地で仕事を行なった。シャム航空のポスターや、現地の人々を描いた水彩画などが目に新しい。タイ抑留中に作家が所有していた作品は、憲兵に没収されてしまったため、里見は自らの作品を再制作した。同館には60点に及ぶ再制作作品があるそうで、本展ではポスター作品とコラージュ・描画によって再び作られた作品とが併置される工夫がなされている。里見の確かな記憶力と作品へのこだわりや愛情を感じる。[竹内有子]

2017/03/16(木)(SYNK)

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マルセル・ブロイヤーの家具:Improvement for good

会期:2017/03/03~2017/05/07

東京国立近代美術館[東京都]

戦後、パリの《ユネスコ本部》やニューヨークの《旧ホイットニー美術館(現メトロポリタン美術館分館)》を設計したデザイナー、建築家・マルセル・ブロイヤー(1902-1981)の家具デザインを紹介する展覧会。ブロイヤーの家具といえばイメージされるのはスティールパイプを使った《クラブチェアB3》(ワシリーチェア)。1925年、23歳のときに考案したこの椅子をブロイヤーは自転車のハンドルから着想したといわれている。それ以前から鋼管を用いた家具は存在した。ジークフリート・ギーディオンによれば、1830年頃にはベッドに鉄パイプを用いる試みがなされ、1844年には鉄パイプを曲げてつくった椅子が現れている。しかしながらその椅子は木製の椅子を模倣し、パイプは木や象嵌に見えるように塗装され、座面にはクッションがはめ込まれていた(榮久庵祥二訳『機械化の文化史』鹿島出版会、2008、456-457頁)。これに対してブロイヤーの椅子は継ぎ目がないようにみえるパイプで構造をつくり、座面と背もたれはテンションをかけた布あるいは革によって構成され、非常に軽く見える。鋼管パイプを用いたとはいえ、木製のデザインを踏襲した椅子とはまったく異なる思想によるものだ。その思想は、バウハウスのウォルター・グロピウスが1921年頃から取り組んでいたユニット住宅案に呼応している。すなわち、部材の規格化、共通化によるコストダウンである。これらは素材や技術の問題であるが、他方で当時現れてきたモダンな建築にふさわしい新しい家具への需要があった。会場に掲出されているインテリア写真にロココ調猫脚の椅子、ソファがあったらと考えてみれば、その要求が切実なものであったことが理解できよう。建築家たちはしばしば自ら家具をデザインしたが、ブロイヤーの場合は家具からスタートして建築へと向かった。そこにもまたグロピウスの思想が大きく影響している。
本展では、主として時系列順に、ブロイヤーがヴァイマール時代のバウハウスで手がけた木製家具から始まり、デッサウ時代のスティールパイプの椅子やネストテーブル、スイス・イギリス在住時代のアルミニウムの椅子や、同様の構造を持ったプライウッドの椅子、1937年にアメリカに渡り建築へと仕事の比重を移す中で手がけた家具と住宅建築を見せ、最後にブロイヤーと日本──芦原義信──との関わりが紹介されている。見所はスティールパイプ以前の木製の家具と、バージョンが異なる4つの《クラブチェアB3》だろう。特に後者の微妙な差異(たとえば溶接がビス留めに変更されている)からは、量産に向けて行われたデザインの調整と合理性追求のプロセスが垣間見えて興味深い。
さらに本展では展示デザインに力が入っていることを付記しておきたい。モノトーンでシンプルに見える展示台は、よく見ると色や素材感にこだわっていることが分かる。ガラスケースを用いて資料、写真、テキストをレイヤーに重ねた年表のデザインも面白い。会場構成はLandscape Products。サンセリフ書体で統一されたモダンなデザインの図録は、資料集としても充実した内容だ。[新川徳彦]


展示風景


展示風景

2017/03/15(水)(SYNK)

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「ロックウッド・キプリング: パンジャブとロンドンにおけるアーツ&クラフツ」展

会期:2017/01/14~2017/04/02

ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館[ロンドン(英国)]

ジョン・ロックウッド・キプリング(1837─1911)は、英国生まれのデザイナー/彫刻家。『ジャングル・ブック』で知られる小説家のラドヤード・キプリングの父でもある。英領インドに移住し、美術学校長・イラストレーター・博物館長などとして活躍したほか、インドの伝統的な美術・工芸・建築の振興と保全に力を尽くした。これがインドの「ウィリアム・モリス」にたとえられ、さらにラファエル前派第二世代の画家エドワード・バーン・ジョーンズと親戚の関係にあったことなども「アーツ&クラフツ運動」との関わりを示すいわれである。彼はまたサウス・ケンジントン博物館(現:ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館)とも重要な関係がある。今でも見ることができるように、陶製の建築装飾を担当したほか、インドの工芸品のコレクションの充実にも寄与した。本展は、約300点に及ぶ展示品から、ロックウッド・キプリングの業績を回顧する初めての展覧会。1851年のロンドン万博の資料から、当時のデザイン教育者たちから称賛を受けていたインドの工芸品、彼がインドの工人を描いたドローイング、帰国後における英国王室別邸のデザインの仕事などまでが展示され、大変充実した内容。現在においては忘却されることの多かった彼が、英国・インド両国における美術・デザイン界で大変重要な人物だったことを教えてくれる。[竹内有子]


会場風景(筆者撮影)

2017/03/12(日)(SYNK)

絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事

会期:2017/02/04~2017/03/26

滋賀県立近代美術館[滋賀県]

ウォルター・クレインは19世紀後半の英国で、画家、イラストレーター、デザイナーとして活躍した人物で、なかでも現代の絵本の基礎を築いたことで知られている。本展はそのクレインの仕事を本格的に紹介する日本で初めての展覧会で、絵本と挿絵本を中心におよそ140点の作品が出品されている。会場は、クレインの絵本の展開を年代を追って辿った「第I章 クレインのトイ・ブック」と同時代に絵本で活躍した画家たちの作品やクレインのデザインの仕事を取り上げた「第II章 カラー絵本の仕掛け人エヴァンズとコールデコット、グリーナウェイの絵本と挿絵本」から構成されている。当時の絵本印刷の多くは木口木版のカラー印刷で、絵師と彫版師の共同作業で進められた。エドマンド・エヴァンズはこの時代を代表する彫版師で、クレインの絵本画家としての才能はエヴァンズとの出会いで開花する。二人は1865年から1876年までに37冊の絵本を制作したが、その12年間は新しい技術への挑戦の連続であった。2色から3色、4色、6色と、印刷に使用される色数が増えるに従って、絵本としての表現はより華やかにより洗練されて成熟していく。クレインの絵の特徴は確かな描写力と美しく力強い線の表現にあり、数々の作品からは、その力が彼らの印刷表現の飽くなき挑戦を支えていたことがうかがえる。
さて、同館では昨年の今頃、「ビアズリーと日本」展が開催された。ビアズリーといえば1890年代に英国で活躍した夭折の天才画家だが、彼もまた版画や挿絵という印刷表現の分野で活躍した。耽美的、頽廃的とも言われるその作風はクレインとはまるで対極的で、白と黒の緻密で繊細な描写を特徴としている。明るい力強さと儚げな陰鬱さ、多彩とモノトーン、陽と陰、二人の作品にはヴィクトリア時代の世界観が象徴されているかのようで、一年前のこの展覧会を思い出しながら鑑賞するというのも一興ではないだろうか。[平光睦子]

2017/03/07(火)(SYNK)

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ミュシャ展

会期:2017/03/08~2017/06/05

国立新美術館[東京都]

受付を抜けて展示室に入ると、目の前に現れる巨大な作品群に思わず息を呑む。過去のミュシャ展で《スラブ叙事詩》の習作や写真を見ていたのでそれなりに知っていたつもりだったが、実物のスケールにこれほど圧倒されるとは思わなかった。最大の作品は縦6メートル、横8メートル。天井高8メートルの国立新美術館企画展示室2はそのためにつくられたのではないかと思わせるほど、見事に作品が収まっている。これは「ミュシャ展」というよりも「スラブ叙事詩展」といったほうが良いかもしれない。いや、もちろん、日本で人気のアール・ヌーボーの作品もあるのだから、なんの間違いもないのだが、《スラブ叙事詩》全20作品がチェコ国外で公開されるのがここ国立新美術館が初めてだという点はいくら強調しても強調しすぎることはないだろう。
《スラブ叙事詩》はアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)がその晩年、1911年から26年まで、約16年をかけて制作したチェコとスラヴ民族の歴史を主題とした20点の巨大な連作。よく知られているように、チェコ出身の画家アルフォンス・ミュシャは、1894年に俳優サラ・ベルナール(1844-1923)の公演ポスター《ジスモンダ》を手がけたことで、パリでポスター画家として華々しく活躍する。しかしながら、望郷の念と絵画制作に戻りたいという思いから、アメリカの富豪チャールズ・R・クレインから資金を得てスラブ民族の独立と連帯をテーマとした絵画の制作に乗り出した。ところが作品が完結した1926年までに社会状況は大きく変わっていた。第一次世界大戦が終わり、1918年にチェコスロバキアは独立。美術史家ヴラスタ・チハーコヴァーによれば、抽象美術とシュルレアリスムが躍進する大戦間期に、独立のための戦いやスラブ民族の連帯思想を訴える絵画は時代錯誤と見なされてしまったという。また、経済危機と政治状況の変化で、プラハ市がミュシャに約束していた作品展示場の建設は果たせなくなってしまった(本展図録、24-25頁)。
さて、正直に告白すると、現時点で筆者はこれらの作品を、いま、ここで見ることの意味を消化しきれないでいる。楽しみにしてきた展覧会であるし(一時は作品の移動の問題で開催が危ぶまれるという話もあった)、実際に作品を見て圧倒されたにもかかわらずだ。おそらくそれは民族の歴史と、ミュシャが作品に込めた思いを十分に理解していないからだろう。ミュシャのアール・ヌーボーの作品を見る機会はこれからいくらでもあると思うが、《スラブ叙事詩》が日本に来ることはそうそうあることではない。会期が終わるまでにチェコの歴史を学んで再訪したい。[新川徳彦]


展示風景

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2017/03/07(火)(SYNK)

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