2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

HANDAI ロボットの世界──形・動きからコミュニケーション そしてココロの創生へ──

会期:2017/04/26~2017/08/05

大阪大学総合学術博物館[大阪府]

大阪大学では、とりわけ人型ロボット(ヒューマノイド)や人間酷似型ロボット(アンドロイド)に関わるロボット研究が盛ん。石黒浩教授による「マツコロイド」などは最近よく知られるところだろう。本展は、人と共生を目指した最先端のロボットを紹介するもの。石黒氏が自らの子供をモデルにしたアンドロイドの初期モデルもあり、制作段階の様子を垣間見ることもできる。目玉作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチのアンドロイド(NPO法人ダ・ヴィンチミュージアムネットワーク/浅田稔教授)である。ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館のスタッフや俳優などと綿密に打ち合わせ、本人の自画像や資料を参照しながら、老年時代のダ・ヴィンチの外観を作り上げたという。実見すると、そのスーパーリアルな姿にびっくりする。肌の質感、滑らかな動作、まばたきや顔の表情の変化などすべて、生きている人間そっくり。今回ダ・ヴィンチを選んだ理由は、科学と技術と芸術を融合させたパイオニアだからだそうだ。万能の才人を現代に蘇らせることで、人間とロボットの関係を考えるためのシンボルとなるよう期待されている。確かに、元祖デザイナーともいえるダ・ヴィンチがもし現代に生きていたならば、工学のみならず脳科学や心理の働き等人間の理解、アート、諸哲学に関わるロボット学に没頭していたかもしれない。[竹内有子]

2017/05/06(土)(SYNK)

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アンデルセン展

会期:2017/04/22~2017/06/25

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

日本・デンマーク国交樹立150周年を記念して川崎市市民ミュージアムで「アンデルセン展」が開催されている。展覧会第1部はハンス・クリスチャン・アンデルセン博物館所蔵資料を中心に、1805年に貧しい靴屋の子として生まれたアンデルセンが作家として成功し、1875年に70歳で亡くなるまで、その生涯と人物像をたどる。筆者はこの展覧会でアンデルセンが切り絵作家としても有名だったということを初めて知った。展示されている切り絵は、おそらく色紙を半分に折ってはさみで切り抜いたのであろう左右対称で、彼の童話を想起させるお城や人物などのユーモラスな作品を見ることができる。このほか生涯に30回にも上った海外への旅、一度も実ることがなかった恋の話、VRによる書斎の再現などで、アンデルセンの作品にその人生がさまざまな形で投影されていることが語られる。展示第2部は「みんなのアンデルセン」と題して、狭山市立博物館の「第2回みんなのアンデルセン展」公募作品の展示と、アンデルセン童話をテーマとしたインタラクティブ作品を楽しむことができる。また、アートギャラリーでは本展チラシのイラストも手がけている川崎市在住のイラストレーターNaffy氏の作品展、ベーカリービジネスのアンデルセングループが主催する「アンデルセンのメルヘン大賞」受賞作のために描かれた挿絵の原画展が同時開催されるなど、盛りだくさんな企画。第1部以外は入場無料だ。
本展は川崎市市民ミュージアムが新しい指定管理者に代わって最初の企画展。駐日デンマーク大使が列席した開会式には多くの関係者が集まり、人々の関心の高さがうかがわれた。[新川徳彦]

2017/04/21(金)(SYNK)

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ファッションとアート 麗しき東西交流

会期:2017/04/15~2017/06/25

横浜美術館[神奈川県]

京都服飾文化研究財団(KCI)が所蔵するドレス、服飾品約100点を中心に、内外の絵画、工芸品によって、明治から大正、昭和初期までの日本と西洋の文化交流およびそれらが人々の生活や美意識に及ぼした影響をみる企画。ファッションに焦点を当てる展覧会は、横浜美術館では初めてのことだという。
展示は3章で構成されている。第1章は「東西文化の交差点YOKOHAMA」として、1859(安政6)年の開港以来、明治時代に主に横浜で製造・輸出された日本の家具、工芸品、装身具が出品されている。とくに興味深いのは、椎野正兵衛商店製の輸出用室内着だ。殖産興業政策のもと横浜港から輸出された代表的な商品は生糸だが、明治政府はさらに付加価値が高い絹製品の輸出を試みた。西洋市場の動向をつかむために1873(明治6)年のウィーン万博に絹物商として派遣されたのが椎野正兵衛で、その万博参加後に輸出が開始された絹製品のひとつが室内着だった。外出着は顧客のサイズに合わせて縫製する必要があるので、輸出品としてあらかじめ製造することは難しい。しかし、室内着は比較的緩やかな仕立てでよいため、日本国内での製造が可能だったという。(周防珠実「明治期の輸出室内着」本展図録162-166頁)。仮に外出着の製造が可能であっても、ファッションの変化は速く、欧米の情報を得て日本で仕立てた服が現地に到着する頃にはすでに流行遅れになっていたに違いない)。またヨーロッパの市場が日本製の服を求めていたかどうかも疑問だ。19世紀半ば、ヨーロッパでは蚕の伝染病が流行したために生糸が不足し、絹織物産業に打撃を与えていた。日本から蚕種、生糸が大量に輸出されたのはそのような需要側の事情が大きく影響している。であれば、加工済み日本製絹製品の輸入を、現地絹織物業者たちはどのような目で見ていただろうか。


第1章会場風景

第2章は「日本 洋装の受容と広がり」。日本の皇室や上流階級の人々の洋装化の過程を、実物資料や、絵画・写真で見る。楊洲周延などの錦絵、鹿鳴館における社交風景を見ると女性の洋装化は早くから進んでいるように見えるが、それは上流階級のことで、庶民の女性が洋服を着るようになるのは遅く、本格的な洋装の広がりは第二次世界大戦後のことだという。しかし、和装にも西洋からの影響があったことは、指輪や髪飾りなどの装身具や、銘仙に用いられたモダンな意匠に見ることができる。
第3章は「西洋 ジャポニスムの流行」。ここでは19世紀後半の西洋における日本ブームと、その美術工芸やファッションへの波及が紹介されている。珍しいものとしては江戸時代の小袖をドレスに仕立て直したもの。しかし出品作品を見る限り、日本の染織品というよりも、それらを独自に解釈したものがほとんどだ(だからジャポニスムなのだが)。それも、意匠の直接的模倣から、たとえば着物の構造をドレスに応用するなど、東洋との交流が次第に西洋の工芸やファッションに新しいスタイルを創り出していった様子を見て取ることができる。


第3章会場風景

本展の企画はすでに2013年よりスタートしており、近年の明治工芸ブームや、昨年東京周辺で多数開催されたファッション関連の企画を後追いしたわけでは決してないとのこと。それでもこの時期に互いに領域が重なる企画が連続していることは興味深い。そうしたなかでも本展は美術館が所在する横浜という地域を起点としてファッションを美術工芸とともに見せることで、より幅広い生活領域における東西交流の姿を提示している点で、他の企画とは一線を画した構成になっている。[新川徳彦]

関連レビュー

日本人と洋服の150年|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2017/04/14(金)(SYNK)

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海難と救助─信仰からSOSへ─

会期:2017/02/18~2017/04/16

横浜みなと博物館[神奈川県]

「板子一枚下は地獄」という言葉があるように、海という大自然を相手にする船乗りの仕事はつねに危険と背中合わせだ。それでも、モノやヒトの輸送という需要があるところに海運業は栄え、同時に海難のリスクを軽減するためのさまざまな努力が行なわれてきた。本展は江戸時代から現代まで、海上交通に関わる人々の海難事故への対応の歴史を辿る展覧会だ。第1章は江戸時代の海難と救助。気象予報がなく、航路標識なども未整備だった江戸時代には海難事故を未然に防ぐ手立てはほとんどなく、船乗りたちは常日頃から神仏に航海の安全を祈ってきた。他方で、事故が起きた際の対応はある程度整備されていた。沿岸の住民には海難救助が義務づけられており、人を救助した者には報酬が、また引き上げられた積み荷に対しては、その評価額から一定の割合の金額が支払われたという。近代になると事故が起きるたびに新たな安全対策がなされ、技術は改良されてきた。第2章では明治時代以降の歴史に残る海難事故とそれらを教訓に行なわれてきた安全対策、第3章では灯台や航路標識の整備、海図の制作、気象予報の充実や法令の整備など、事故を防ぐための努力が紹介されている。ここでは海難救助の方法を解説した掛図(明治後期~大正期)や、海難防止を周知するポスターなどのグラフィックが興味深い。さまざまな対策、技術が進歩しても、自然条件による事故、人為的なミスが完全になくなることはない。第4章では無線や救命胴衣など事故への備えと、船体のサルヴェージなど、事故が起きることを前提とした各種の対策が紹介される。さて、展覧会の主題は「海難と救助」ではあるが、海難を扱う以上、リスクの分散や、救助、安全対策にも大きな役割を果たしている海上保険や船級協会についても解説して欲しかったところだ。[新川徳彦]

2017/04/14(金)(SYNK)

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絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事

会期:2017/04/05~2017/05/28

千葉市美術館[千葉県]

イギリスの画家・デザイナーであるウォルター・クレイン(1845-1915)は、ウィリアム・モリスの思想に共鳴して、社会主義運動、アーツ・アンド・クラフツ運動に参加したことで知られている。クレインがモリスとともに活動するのは1880年頃からのことであり、それまでは主に「トイ・ブック」と呼ばれる子供向けのカラー絵本を数多く手がけている。この展覧会は、これらクレインの本の仕事に焦点をあてる企画。
1845年に画家の息子としてリヴァプールに生まれたクレインは、木口木版の工房でデッサンの基礎を学び、その後多色刷木口木版の技術を開発した彫版師エドマンド・エヴァンズに才能を見いだされ、1865年に全ページカラー刷りの絵本を生み出した。それ以前の絵本の挿画は単色の版に手彩色だったり、イラストは既存のものの流用だったりしていたところに登場したオリジナルな美しい色彩の絵本は、人々に高く評価され、多くのタイトルが出版され、それぞれが幾度も版を重ねた。トイ・ブックは8から12ページの小さな絵本で、当時6ペンスあるいはその倍の1シリング程度で売られていた安価な本。クレインが手がけた作品は、シンデレラや長靴をはいた猫、美女と野獣、マザーグースなどのよく知られた物語や、アルファベットを覚えるための唄など、多岐にわたる。テキストを含め誌面全体が美しく構成されていることが特徴的で、クレインが単なるイラストレーターではなく、優れたデザイナーであったことがよく分かる。
クレインの絵本の魅力が、当時の印刷技術とともにあったことは見逃せない。図版の印刷に用いられたのは、木口木版。クレインの原画を元に、エヴァンズが主線の版を彫って仮刷りし、これにクレインが色の指示をして色版を完成させる。6ペンスの本では主線の版の他に4色、1シリングの本では合計8色の版で刷られているという。鑑賞の際にはルーペか単眼鏡の持参をお勧めする。細部を拡大してみると、色版は単純なベタの色面ではなく、ハッチングなどの手法で濃淡をつけており、さらには他の色版との掛け合わせで微妙かつ複雑な色を表現していることに驚かされる。少し離れてみると、筆者には手彩色やリトグラフによるものと区別が付かない。木口木版が用いられたのは、これが活字と組み合わせて凸版印刷の手法で刷ることができたことと、機械を使った大量印刷に耐える強度があったためだ。トイ・ブックは通常でも数万部、多いものでは10万部も刷られたという。板目木版や銅版画では版が潰れてしまうためにこれほどの大量印刷は不可能だ。日本で同様の技術が用いられたという話を聞かないのは、日本で出版文化が興隆した頃にはすでに石版印刷や網点による色分解が主流になっていたからであろうか。クレインの作品にも後期には網点によるカラー印刷のものがあるが、あまり魅力が感じられないのは、クレインが木口木版の技法を熟知したうえでその特徴を最大限に生かすように作品を描いていたからなのだろう。
会場にはクレインのほぼすべての絵本と主要な挿絵本約140点の他に、エヴァンズが版を手がけた他の画家たちの作品(これも印刷が素晴らしい)、絵本画家ケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コールデコットの作品も並ぶ。ヴィクトリア時代後期の絵本の世界を堪能できるこの展覧会に出品されている作品が、すべて国内の美術館や博物館、図書館、個人の所蔵によるものという点も驚きだ。このほか、千葉市美術館のコレクションから、クレインの表現様式に影響を与えた日本の浮世絵版画が出品されている。クレインの作品を大胆に構成したチラシデザインおよび図録装丁は中野デザイン事務所。[新川徳彦]


会場風景

2017/04/11(火)(SYNK)

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