2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

つくるガウディ

会期:2016/11/05~2017/03/31

INAXライブミュージアム[愛知県]

INAXライブミュージアムで「つくるガウディ」展を見た。「土・どろんこ館」会場の企画「つくるガウディ─塗る、張る、飾る!」は、左官とタイルの職人の手によりアントニオ・ガウディ「コロニア・グエル教会」の未完の尖塔を、4分の1スケールでつくるというプロジェクト。1898年に教会建設の依頼を受けたガウディは10年にわたって模型実験を続け、工事が始まったのは1908年。半地下の聖堂は完成したものの、構造実験を反映するはずだった地上部分は未完のままになった。この地上部分を、ガウディが残した構造模型の写真から教会の設計を考察した松倉保夫氏の『ガウディの設計態度』(相模書房、1978)を元に建築家の日置拓人氏が立体を起こし、工場で作った構造体を展示室に建て込み、左官職人の久住有生氏とタイル職人の白石普氏が仕上げていく。筆者が展示を見た2月初めには、丸太で組んだ足場の上でタイルと左官による仕上げの公開制作が行なわれていた。使われている土は愛知県豊田と兵庫県淡路のもの。タイルは白石氏がデザインし、ミュージアム内の「ものづくり工房」で製作されたオリジナルが用いられている。「コロニア・グエル」でガウディがどのような装飾を計画していたのかは分かっていないそうで、それならば再現の際には実現した地階部分や建設中のサグラダ・ファミリアに倣ってつくらないのかという疑問が浮かぶが、ガウディが現場の職人たちと対話しながら工事を進めていったことを考えれば、地域の素材を使い、現場の職人の技術に従うことが、その建築思想を再現するここでの方法論なのだ。タイルはあらかじめ焼いておかなければならないが、貼り方は現場で決まり、タイルの構成によって仕上げの土の色も決まる。完成は3月末。4月中旬から5月末にかけて完成披露展示が予定されている。これまでの制作風景動画を同ミュージアムのホームページで見ることができる(http://www1.lixil.co.jp/culture/event/080_live_m/003614.html)。
本プロジェクトの会場である「土・どろんこ館」は、2006年に日置拓人氏の設計と久住有生氏の左官仕事でつくられたもの。日置、久住、白石ら3氏が登壇して2月11日に同館で行なわれたトークセッションでは、企画段階で訪れたバルセロナでの珍道中(?)や、「土・どろんこ館」建設にまつわる裏話などが披露された。このほか、「世界のタイル博物館」企画展示室では約40年にわたってガウディ建築を実測し、手描きによる図面制作を行なってきた田中裕也氏(本展の総合アドバイザーでもある)の図面とその道具が展示されている。[新川徳彦]


左:「土・どろんこ館」会場風景 右:「世界のタイル博物館」企画展示室会場風景

2017/02/11(土)(SYNK)

DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展

会期:2017/01/08~2017/04/09

寺田倉庫G1ビル[東京都]

デヴィッド・ボウイの28枚目にして最後のアルバム、『★(ブラックスター)』が発表されたのは2016年1月8日、彼が亡くなる2日前のことであった。1970年代にはグラムロックの旗手として名をはせ、1980年代には数々のアルバムをヒットさせてロック界のスーパースターの名をほしいままにしたデヴィッド・ボウイ。久々に発表されたこのアルバムが彼の健在ぶりを広く知らしめるものだっただけに、突然の訃報のショックは大きかった。
デヴィッド・ボウイの大規模な回顧展である本展は、2013年に英国のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催され、以降世界9都市を巡回して多くの動員を記録してきた。アジアでは唯一となる日本での開催は、デヴィッド・ボウイの70回目の誕生日にはじまったが、奇しくも遺作展の様相を帯びることになってしまった。ステージ衣装、写真、映像、そしてもちろん音楽から、デビュー前の写真、直筆のノートや絵画まで、300点以上のアイテムでボウイの50年間の活動を振り返る。ハイライトは四方のスクリーンに映し出される映像と音響や照明であたかもライブ・パフォーマンスのような空間がつくり出された「ショウ・モーメント」のセクション。そして見所は、日本展でのオリジナル展示「DAVID BOWIE MEETS JAPAN」のセクションである。北野武、坂本龍一と共演した映画『戦場のメリークリスマス』を中心としたこのセクションでは、日本のポップ・カルチャーにおけるボウイの確かな存在感と影響力の大きさに今さらのように感じ入った。[平光睦子]
公式サイトhttp://davidbowieis.jp

2017/02/07(火)(SYNK)

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マリー・アントワネット展 美術品が語るフランス王妃の真実

会期:2016/10/25~2017/02/26

森アーツセンターギャラリー[東京都]

ヴェルサイユ宮殿所蔵のおよそ200点の美術品と資料等から、マリー・アントワネットの生涯をたどる展覧会。アントワネットをはじめ宮廷の人々の肖像画、彼女の人生と重なる国家的出来事を刻んださまざまな版画、彼女自身が身に付けた衣装、宮殿内を華やかに飾った調度品や食器の数々など、多種多様な展示品で「繊細で優美」といわれるロココ美術を堪能することができる。また、ランパ織という室内装飾用の布や、かの「首飾り事件」で知られる王妃の首飾りなど、当時の原画に基づいて現代の技術で複製された展示品からは、ロココ美術が到達したデザインや技術のレベルの高さをつぶさに見て取ることができる。会場内には、プチ・アパルトマンの浴室、図書館、居室など王妃のプライベート空間が実物や映像をつかって原寸大で再現されており、宮殿内に足を踏み入れたかのような感覚を楽しむこともできる。
フランス王妃、マリー・アントワネット。その悲劇的でドラマティックな生涯には日本でも関心が高い。貧困に苦しむ民衆をよそに贅沢と享楽に明け暮れた愚かな女性といったイメージがある。しかし本展をみて、自己プロデュースの才に秀で、幼いころから感性を磨き上げた宮廷美術の権化であり、ロココ美術を頂点へと押し上げた類い稀な能力の持ち主という見方もできるのではないだろうか、と認識があらたまった。[平光睦子]

2017/02/07(火)(SYNK)

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並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑──透明な黒の感性

会期:2017/01/14~2017/04/09

東京都庭園美術館[東京都]

明治の輸出工芸のなかで、七宝はやや特異な位置づけにあるように思う。ひとつには、陶芸や金工の技術が江戸期からの産業に根ざしていたのに対して、明治七宝は日本で用いられていた技術に依らず、舶来の(おそらく中国製の)有線七宝に由来するからだ。もうひとつは技術の担い手だ。近代七宝をはじめた梶常吉(1803-1883)は尾張藩士の子息で、職人の出自ではない。そして本展覧会の主人公、並河靖之(1845-1927)もまた武州川越藩家臣の息子。俸禄が少なく生活に困窮したためにはじめた「士族の商法」が、七宝づくりだった。並河と同じく明治29年に帝室技芸員になった濤川惣助(1847-1910)はもともとは陶磁器を扱っていた商人であり、やはり工芸の出自ではない。明治の七宝は海外への輸出を志向して現われ、一代にして粋を極めた、人も技術も新しい産業であり、そして他の輸出工芸と同様に1900年(明治33年)のパリ万博の頃からはやがて衰退へと向かうのである。
展示は、本館1階が「ハイライト」。明治6年に並河が初めて制作したという《鳳凰文食籠》から始まり、工房を閉鎖する大正期までの代表的な作品が並ぶ。本館2階と新館展示室は、明治七宝の系譜からはじまり、七宝界全般や並河個人の諸事情など織り込みながら作品の変遷をたどる構成だ。本展で特筆すべきは、実作品と併せてデザイン画が出品されている点であろう。七宝作品には署名がなされていないことが多いそうだが、今回の展覧会のための調査を通じて現存するデザイン画から並河作品と同定されたものもあるという。本展を企画した大木香奈・東京都庭園美術館学芸員の5年にわたるという展覧会準備の成果がそこここにあり、膨大な文献目録を含む図録は資料的価値が高い内容だ。
本展においてもうひとつ特筆しておくべきは、図録冒頭に掲げられた樋田豊郎・東京都庭園美術館館長の、明治工芸の評価軸に関する一文であろう。とくに「超絶技巧」の流行に関する功罪の指摘は刺激的だ。「技巧」に対して樋田館長が並河七宝の特徴として指摘するのは「文様」である。京都七宝の飛躍的拡大の理由は「並河七宝に代表される『創造的破壊』の成果」であり、「京都の七宝業者たちは、欧米でジャポニスムが流行していることを、神戸の外人商館あたりから聞き、それならばと七宝の値打ちを、異文化の人たちと頒かち合えるように、七宝の文様から日本人にしか絵解きできない要素を省いた」。 それは「七宝文様のグローバル化戦略だった」とする(本展図録10~15頁)。技巧ではなく表現に着目する動きは昨年の「驚きの明治工藝」展にもあり、むしろ近年の技巧評価への傾倒は村田コレクションのセレクションバイアスゆえではないかと思わなくもない。他方で樋田館長の「七宝文様のグローバル化戦略」説にはさらに検討が必要と思われる。たしかに本展では並河が外国人商人などからの評価を強く意識していたことが指摘されているが、「グローバル化戦略」といえるようなものがあったならば、最初に述べたとおり、七宝がなぜ他の工芸と同様に輸出衰退へと向かったのかを別の方向から説明する必要があろう。むしろ七宝文様において「創造的破壊」があったとすれば、それは伝統工芸に根ざしていなかったがゆえと考えたほうが良いように思われるが、どうだろうか。
本展は、伊丹市立美術館(兵庫県、2017/9/9~10/22)、パラミタミュージアム(三重県、2017/10/28~12/25)に巡回する。なお、出品作品のうちヴィクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵品は東京都庭園美術館のみの展示となるそうだ。[新川徳彦]

★──黒田譲 『名家歴訪録 上編』明治32年(1899年)、48頁。

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2017/02/01(水)(SYNK)

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麻のきもの・絹のきもの

会期:2017/01/06~2017/02/20

文化学園服飾博物館[東京都]

日本人が木綿の織物を身にまとうようになるのは16世紀頃のこと。それ以前、古代より衣類に用いられていたのは麻と絹だった。本展では、この二つの素材を取り上げ、それぞれが糸、布、着物になるまでの過程を辿り、また衣服文化における麻の着物と絹の着物の位置づけを見る。絹も麻も、飛鳥時代・奈良時代には政府によって生産が奨励・管理されるようになり、奈良・平安時代には身分制度の確立に伴って、上質の絹織物は貴族階級の衣料に、下級の絹布や麻の織物は庶民の衣料とする構図ができあがったという。第1室では、そうした衣類の素材の歴史の解説と、麻や絹の糸をつくるための道具、現代の生産工程の映像が上映されている。資料を見る限り、麻については現在でも手作業を中心とした大変手間のかかる方法で糸がつくられている。他方で明治日本の主要な輸出品となった絹糸の生産工程にはさまざまな改良が行なわれ、機械化されていった過程が分かる。このほか、第1室では奈良時代の裂や、麻や絹の加工、染色技術の違いを示す見本が展示されている。第2室ではさまざまな染織技術による麻と絹のきものが紹介されている。そうしたヴァラエティが生まれた要因としては、例えば季節に合わせた素材や仕立ての違い、染織技術の発展による表現の変化がある。しかしながら、さらに興味深いのは身分制との関係だ。展示解説によれば、武士はもともと都の警備や公家等の警護のために雇われた平民であり、絹を着るような身分ではなかった。ところが源頼朝が征夷大将軍を任ぜられて鎌倉幕府が成立すると武家も朝廷の身分制度に組み入れられ、位階に応じて絹製の装束を身につけるようになった。また、公家の着物には染めによる文様付けは行なわれなかったが、将軍家から嫁を迎えるようになってから武家風の装飾が取り入れられるようになったのだという。社会の変化と衣料に埋め込まれたコードとの関係がとても興味深い。[新川徳彦]


展示風景

2017/01/31(火)(SYNK)

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