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SYNKのレビュー/プレビュー

まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券 ──横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌──

会期:2016/04/23~2016/05/29

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

横浜正金銀行は、貿易為替業務を主目的に1880年(明治13年)2月に開業した。当初欧米との外国貿易為替業務を展開していたが、日清戦争(1894年/明治27年)以降日本と中国の貿易取引が増大したことに対応して対中国業務を進めてゆく。そうしたなかで商取引を円滑に進めるために横浜正金銀行が中国大陸の9支店で発行した銀行券が本展で「まぼろしの紙幣」として紹介される横浜正金銀行券だ。「まぼろし」とされる理由は、この銀行券が1902年(明治35年)から30年あまりのあいだのみしか流通せず、朝鮮銀行券、満州中央銀行券にとって代わられ、ほとんどが回収、焼却処分されたため。横浜正金銀行本店の建物を継承する神奈川県立歴史博物館が2006年に東京三菱銀行(当時)から寄贈を受けた旧横浜正金銀行関連資料にこれらの紙幣が含まれており、今回の展覧会はその全貌を公開する初めての機会だという。


展示風景

中国大陸の9支店で合計90種が発行されたとされる横浜正金銀行券のうち、神奈川県立歴史博物館が所蔵するのは87種184枚。流通紙幣1枚を除くすべてが見本券で、「見本」等の文字が加刷されていたり、穴が開けられている。これらは各支店に配布されて贋造券の鑑定に用いるために作られたものだという。デザインは金種と兌換対象となる貨幣の本位ごとに違い、また発行した支店によって表記されている文字が異なる。87種のうち47種に双龍がデザインされ(図版1)、また31種に正金銀行本店ファサードの画像がデザインされている(図版2)。本展の企画を担当した寺嵜弘康・神奈川県立博物館学芸部長によれば、これらの紙幣の抄紙・デザイン・印刷はすべて印刷局が行ない、正金銀行側からはデザインについての注文はほとんどなかったという。



左:図版1「横浜正金銀行牛荘支店銀両券100両」(1902/明治35年7月)
右:図版2「横浜正金銀行大連支店金券1円」(1913/大正2年10月)
図版は神奈川県立歴史博物館提供

本展のチラシやチケットのデザインには、これらまぼろしの横浜正金銀行券に使われていた彩紋や図案から採集した文様があしらわれている。古い紙幣にありそうな染みまで表現した凝ったデザイン。また図録は展示では片面しか見ることができなかった正金銀行券87種の表裏の図版を原寸大で収録したマニアックなもの。しかも通常の網点による印刷ではなく高精細印刷だ。図版をルーペで見ると、細かな彩紋、マイクロ文字ばかりではなく、紙の折り目、破れ目まではっきりと再現されていることに驚く(オークションに出る紙幣の真贋鑑定にも使えるのではないだろうか)。各紙幣の詳細データも掲載されており、資料的価値も高い。
本展では横浜正金銀行券のほかに、正金調査部資料、元行員から寄贈された資料、正金銀行と1946年(昭和21年)に業務を引き継いだ東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)が鑑定業務のために蒐集した世界のコインが並ぶ。いずれも普段は非公開の貴重なコレクションだ。
なお、神奈川県立歴史博物館は本展終了後、5月30日から空調設備改修のために全館休館となる。再オープンは2018年春を予定しているとのことだ。[新川徳彦]

2016/05/17(火)(SYNK)

没後100年 宮川香山

会期:2016/04/29~2016/07/31

大阪市立東洋陶磁美術館[大阪府]

近代陶芸をリードした初代・宮川香山(1842 ─ 1916)の没後100年を記念する大回顧展。本展では、出世地の京都時代から岡山で虫明焼の指導を経て、輸出用陶磁器を製造するために横浜に眞葛窯を開き、後年に釉下彩磁など釉薬の研究に携わるまでの作品、約150点が展示されている。見どころはなんといっても、眞葛焼の超絶技巧「高浮彫」。香山が世界的に活躍していた明治期は、万国博覧会において日本が国家威信をかけて輸出工芸を「アート」に高めようと奮闘していた時代。万博で彼の高浮彫作品を見た西洋人はびっくり仰天したに違いない。器形の練られた造形には、金と色彩きらびやかな絵付け意匠があり、加えて表面にはスーパー自然主義ともいうべき彫刻的動植物が装飾されているのだ。鳥や猫の毛並み、表情やポーズ、いまにも動き出しそうなリアルさだ。さらに香山の作品中には物語がある。どの花鳥もひとつとして同じではないし、その動きや時間の移ろいまで感じられる。作品の技巧にはそれこそ作家の執念が感じられるが、表現される生物はユーモアやウィットに富む。その独自の作品世界には感嘆するしかない。彼が世界から絶賛されて「魔術師」と呼ばれたのも頷ける。[竹内有子]

2016/05/17(火)(SYNK)

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森村泰昌:自画像の美術史 ─「私」と「わたし」が出会うとき─

会期:2016/04/05~2016/06/19

国立国際美術館

大阪を拠点に活動する美術家、森村泰昌の大規模個展である。世に知られた数々の自画像をテーマに森村が画家や美術家に扮した作品、130点あまりが出品されている。ゴッホ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ファン・エイク、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメール、ダリ、マグリット、ゴヤ、フリーダ・カーロ、ウォーホル、シンディ・シャーマンなど、そうそうたる美術家たちの自画像が並んだ。
森村の作品を初めて見たのは《肖像(ゴッホ)》(1985)だったと思う。世に認められないまま自ら命を絶った悲劇の画家ゴッホ。耳を削ぎ落とした姿の自画像はあまりにも有名だ。そのゴッホに森村が扮して撮影したわけだが、当初は仕掛けも撮影方法もよく理解できず、有名な絵のパロディといった程度に受け止めていた。その後作品の意図や制作の労苦を知るようになっても、彼の作品にとって諧謔が欠くべからざる重要な要素であるには違いないと思っていた。その考えが180度一転したのは、ベラスケスの《ラス・メニーナス》をモチーフにした「侍女たちは夜に甦る」シリーズ(2013)を見た時だった。絵画がまだ一部の貴族階級だけに許されたメディアだった時代、絵画の内の世界と外の現実世界とが額縁を境界に確固として隔絶されていた頃、そのお約束を玩ぶかのようなあの問題作をとりあげて、森村は二次元を三次元に還元しただけでなく、美術館という芸術の殿堂をして空っぽの遺構にしてみせたのである。ここに至って初めて、彼の作品にみられた数々の挑戦は微塵たりとも笑いごとではなかったのだと気づかされた。本展のために制作されたヴィデオ・インスタレーション《「私」と「わたし」が出会うとき ─自画像のシンポシオン─》(2016)のなかで、森村は自身の行ないを”絵画殺し”と呼んでいる。これは、絵画を空間に置き換え撮影して再現するという制作方法自体を指しているのかもしれない。しかし、「侍女たちは夜に甦る」シリーズがあの《ラス・メニーナス》は美術館という近代的な空間に収まりきらないことを示しているのだとしたら、その意味では絵画を「美術」の呪縛から解放したといえるのではないか。言い換えれば「絵画の再生」ではないか……。とはいえ、森村は文字通り身を挺して美術作品を制作し続け、依然として彼の作品は美術館の壁を飾っている。本展では、森村の美術への執拗なまでの情熱と先達の画家たちへの深い愛情をあらためて感じることができた。[平光睦子]

2016/05/14(土)(SYNK)

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Sarah Moon 12345展

会期:2016/04/21~2016/06/26

何必館・京都現代美術館

マット・ペーパーにセピアを組み合わせた幻想的な写真で知られる写真家、サラ・ムーンの展覧会が、同名の写真集の日本語版出版を記念して開催された。写真集『Sarah Moon 12345』は、モノクロ写真の3冊、出版当時の新作カラー写真の1冊、そして彼女の初監督映画作品『Mississippi One』(1991)の写真とDVDを収めた1冊からなる5冊組。フランスで出版されたもっとも優れた写真集に贈られるナダール賞を2008年に受賞した写真集である。会場の何必館・京都現代美術館は、2002年には写真集『Sarah Moon』の出版を記念して「過ぎゆく時 サラ・ムーン」展を、2004年にも写真集『CIRCUS』の出版を記念して同名の展覧会を行なった、特にサラ・ムーンと縁がある美術館。今回の展覧会には、同館のコレクションから厳選した作品が出品された。
サラ・ムーンといえばファッション写真家の印象を持つ人も少なくないだろう。彼女は10代の頃からモデルとして活動し、モデル仲間を撮影することから写真を撮りはじめ、29歳で写真家に転身したという経歴の持ち主。1980年代にはシャネルやラクロワ、ミヤケイッセイのファッションを撮影した彼女の写真が『Italian Vogue』誌や『Elle France』誌の紙面を飾り、キャシャレルの宣伝映像やコム・デ・ギャルソンのキャンペーン写真にも採用された。その後、ファッションの世界からギャラリーや映画館に活躍の場を移してきた。
今回の展覧会のテーマは、古いものと新しいもの、ファッションとランドスケープなど、相反するものの関係性だという。幾重にもぶれた輪郭、写真上に焼き付けられたフィルムのフレーム、浅い奥行き、ノスタルジックなモノクローム、または赤と緑が印象的な滲んだような色彩、彼女の写真の特徴はどの写真でも変わらず一貫している。古いものも新しいものも、ファッションもランドスケープも、どの写真を見ても画面には実在感がなくまるで物語の世界の視覚のように非現実的に見える。そういえば、写真集『CIRCUS』は童話「マッチ売りの少女」を写真と文章で綴った作品だったし、写真集『オーデルヴィルの人魚姫』(2007)は童話「リトル・マーメード」をもとにしていた。本展にも童話「赤ずきんちゃん」から発想をえた「黒ずきん」シリーズの写真と映像が出品されているが、可憐な少女に男の影が迫るというわりと現実味のある設定が画面の幻想的な雰囲気を不安と恐怖に変えている。一見幸せな夢の世界を描いているかのような童話も、実はとても残酷で猟奇的だったり悲惨だったりすることもある。サラ・ムーンの写真もまた、そうした二つの世界を映した、静かで深い鏡のようであった。[平光睦子]

2016/05/14(土)(SYNK)

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薬草の博物誌 ──森野旧薬園と江戸の植物図譜──展

会期:2016/03/03~2016/05/21

LIXILギャラリー

森野旧薬園は奈良・大宇陀にある日本最古の私設植物園。江戸幕府8代将軍徳川吉宗が推進した薬種国産化政策の一端を担うものとして、享保14年(1729年)に森野初代藤助通貞(賽郭)が開設した。森野家は450年に渡って葛粉の製造を生業としてきた家で、同時に現在に到るまで子々孫々薬園の維持管理を行ってきた。賽郭は幕府の薬草調査に協力した功により外国産薬種の種苗を下賜され、薬種の育成・栽培を行うほか、薬学・博物学の祖である本草学を修め、晩年には植物・動物1003種を描いた『松山本草』を完成させた。門外不出であったこの『松山本草』全10巻は、大阪大学によってデジタル化されている。本展では、森野旧薬園とこの『松山本草』を導入に、江戸期の植物図譜の発展と、明治期以降の近代植物学への展開をみる。
本展と重なる期間にパナソニック汐留ミュージアムで展示されていたイギリス・キュー王立植物園所蔵のボタニカルアートと江戸の本草書を比べると、前者は美術作品としての完成度が高いのに対して、後者ははるかに実用性が重視されている様子がうかがえ、また薬種として重要な根が丁寧に描かれていたり、植物以外に動物も描かれている。日本の本草学が薬学から始まり博物学的な様相を呈していたことを考えれば、この違いは当然。本展は最後に牧野富太郎が本草学と近代植物学の架け橋となったとするが、描かれてきたものの違いを見れば、これは東洋の本草学を西洋的な植物学の文脈に無理やりに当てはめようとしているように見える。また牧野富太郎以外、明治以降の日本の植物学に本草学がどのように影響したのかについて、本展では示されていない。歴史的に連続しているのか断絶なのか、はたまた本草学は薬学や博物学といった別の体系に組み込まれていったのか。疑問が残る。[新川徳彦]

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2016/05/10(火)(SYNK)

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