artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

サロンクバヤ:シンガポール 麗しのスタイル つながりあう世界のプラナカン・ファッション

会期:2016/07/26~2016/09/25

渋谷区立松濤美術館[東京都]

ファッション、テキスタイル関連の展覧会が多く開催されている今年の東京周辺のミュージアムだが、シンガポールとインドネシアという東南アジア地域のファッションを紹介する企画が偶然にも同時期に開催されている。シンガポールについては渋谷区立松濤美術館で、インドネシアについては町田市立博物館が会場だ。ファッションを巡るこの2つの展覧会の企画には、政治的アイデンティティ、民族的アイデンティティという視点で重なるものがあり、いずれもその構成は興味深いものになっている。
松濤美術館で取り上げられているのは、シンガポールのプラナカンの女性たちのファッションであるサロン(sarong:筒状のスカート)とクバヤ(kebaya:前開きの上衣)の、19世紀後半から20世紀半ばにかけての変遷である。最もよく知られたサロンクバヤはシンガポール航空の客室乗務員の制服であるといえば、どのようなスタイルのファッションなのかイメージされようか。本展に出品されている衣装は、プラナカンの名家であるリー家のコレクションおよび、リー家が寄贈したシンガポール国立アジア文明博物館、福岡市美術館所蔵のコレクションだ。プラナカンとは「現地で生まれた人」を意味するマレー語で、シンガポールでは主に中国から移住した男性と地元女性を祖先とする人々を指す。1826年にマラッカ海峡を臨むペナン、シンガポール、マラッカはイギリスの海峡植民地として統合された。自由港となったペナンとシンガポールには、マラッカからの華人移住者とともに中国から大量の移民が流入し、彼らを祖先とする海峡植民地生まれの華人たちの間で今日まで伝わるプラナカン文化が醸成されてきたという。
プラナカンの女性たちが着用したサロン・クバヤは民族衣装ではあるが、その素材となった織物、染め物は現地でつくられたものではない。サロンにはインドネシアのバティック(ジャワ更紗)やインド更紗、クバヤにはヨーロッパのレース、オーガンジーなどが使われている。バテックやインド更紗に用いられた綿布はイギリス製。意匠はインド更紗の影響を受けている。なかにはシンデレラなど西洋の童話をモチーフにしたバティックもある。縫製はインドネシアやマレーシア。私たちが「アジアの民族衣装」と聞いてイメージするものとはずいぶんと異なるハイブリッドなファッションであることに驚かされる。本展監修者ピーター・リー氏は、このようなハイブリッドなファッションが生まれた理由として、プラナカンたちがその文化的母国から離れて暮らしていること、そのためにファッションの実用性に問題があれば改変・代用が必要になること、そして宮廷がないためにドレスコードや贅沢禁止令が課せられなかったことを挙げている。
さらに本展がフォーカスしているのは、その変遷だ。ファッションに変化を促した要因のひとつは近代的なアイデンティティである。20世紀初頭に中国本土で盛り上がった中華ナショナリズムの動向はシンガポールにも届き、祖先の母国である中国の動向と英国臣民という立場との狭間で、プラナカンの女性たちは中国あるいはヨーロッパの服のスタイルを戦略的に取り入れ、自身のアイデンティティを表したのだという。変化のもうひとつの要因は染織技術の革新である。20世紀なるとヨーロッパ製の木綿のオーガンジー、ローラープリントの綿布、合成染料で染められた鮮やかな布が氾濫した。ミシンの導入により全体がレースで出来ているようなクバヤが生まれ、鮮やかな糸で大柄な文様の刺繍が施されるようになったという。
シンガポールのような多民族、複雑な支配の歴史を背景にもつ人々のアイデンティティを読み解くのは容易なことではない。しかしファッションが人々のアイデンティティを示すものだとすれば、その変遷を追うことで変化を眼に見えるものとして示すことが出来るかもしれない。そのような試みとして、本展を見た。[新川徳彦]


会場風景

関連レビュー

インドネシア ファッション ─海のシルクロードで花開いた民族服飾の世界─:artscapeレビュー

2016/07/25(月)(SYNK)

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「描く!」マンガ展 ~名作を生む画技に迫る─描線・コマ・キャラ~

会期:2016/07/23~2016/09/25

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

展覧会は3章から構成されているが、タイトルにある「描く!」については主に第2章「名作の生まれるところ─マイスターたちの画技を読み解く」に集約されている。ここでは1955年にデビューしたさいとう・たかをから、2000年にデビューしたPEACH-PITまで、8名(組)のマンガ家の作品原画(デジタル出力、複製原画を含む)が展示され、作家・作品・画技の特徴が解説されている。なかでもマンガ家たちの「画技」に関しては、田中圭一(マンガ家・京都精華大学准教授)による模写、分析、解説がすばらしく、これだけでもこの展覧会には価値があるのではないかと思えるほどだ。なるほど、タッチを似せるためにはパロディの対象となるマンガ家の描き方の特徴を捉えることが必須であり、手塚治虫など時代をつくってきたマンガ家たちのパロディ作品を描いてきた田中圭一はこのような分析にうってつけの人材だ。彼にこの仕事を依頼した企画者の慧眼に感服する。
展示第1章はトキワ荘、第3章は技法書やマンガ教育など。第2章に挿入されているコラム的展示と合わせて、戦後のストーリー漫画にフォーカスした本企画を貫くテーマは「描く読者」だ。マンガは読むだけのものではない。キャラクターの似顔絵を描いた経験がある人は多いだろう(筆者もそのひとりだ)。描く読者の一部はやがて高校や大学の漫研、同人誌などを経て描く人になる。同様の経路は文学などにもあるのだろうが、本展監修者・伊藤剛(東京工芸大学准教授)は、マンガ家たちのデビュー年齢が低く「年齢も感性も近い読者に向けて作品を作り出すという『回路』が成立している」と指摘する。そうした「回路」を形づくる媒体は時代によって移りかわる存在であり、第1章ではトキワ荘のマンガ家たちが互いの作品の読者でもあったという点、第2章では貸本漫画や雑誌『COM』、アニメ誌・マニア誌、新人賞、コミックマーケットの役割、第3章では大学におけるマンガ教育や画像投稿サイトpixivが紹介される。
人気マンガ家のファンイベントのような派手なマンガ展・原画展が美術館を会場に開催される昨今、歴史的視点と批評とを盛り込み、マンガの未来をも見据えた本展は、マンガ展のあり方を考える上でも注目すべき企画であることは間違いない。なお、会場は第1章を除いて撮影が可能。印刷物では再現されない線の強弱やベタの濃淡といった筆致、ホワイトによる修正跡など、マンガ家たちの「画技」を目に焼き付け、写真に残すことができる。[新川徳彦]


展示風景

2016/07/22(金)(SYNK)

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童画の国から─物語・子ども・夢 展ジャンル:美術、その他

会期:2016/07/16~2016/09/04

目黒区美術館[東京都]

童画家・武井武雄(1894-1983)と初山滋(1897-1973)の作品に加えて、工業デザイナー・秋岡芳夫(1920-1997)が描いた童画作品が出品されている。学校が夏休みのこの時期、子供たちを対象とした絵本や童画の展覧会は多い。しかし、なぜこの3人なのかといえば、発端は秋岡芳夫だ。目黒区美術館では、2011年に目黒区ゆかりの工業デザイナー・秋岡芳夫の全貌を紹介する展覧会を開催し、その後「秋岡芳夫全集」と題する小企画で秋岡の多様な仕事をひとつひとつ掘り下げてきた。その秋岡の初期の仕事のひとつが童画である。秋岡が童画に関心を持ったのは、子供のころに愛読していた『コドモノクニ』がきっかけ。彼は心ひかれた画家たちとして、初山滋、本田庄太郎、岡本帰一、武井武雄の名前を挙げている。なかでも心酔していたのは初山滋。第二次世界大戦後、新聞に日本童画会発足の記事を見つけた秋岡は入会を申し込み、初山滋に師事して童画の勉強を始めた。初山は秋岡の結婚式に際して「神主役」をつとめたという。2013年には「童画」という言葉を生み出した武井武雄の作品を常設展示している「イルフ童画館」(長野県岡谷市)で、秋岡の童画作品の展覧会「デザイナー 秋岡芳夫の童画の世界」(2013/11/14~2014/01/27)が開催されている。そのような背景はあるが、もちろん展覧会は純粋に3人の童画の原画と物語世界を楽しめる構成になっている。第1章は武井武雄と初山滋の戦後作品。入口から左に進むと「物語」の世界、右に進むと「夢」の世界という視点で作品が並ぶ。第2章は童画のはじまりを武井・初山の原画、童画雑誌、装幀作品などによって振り返る展示。第3章は両者による版画作品。第4章は秋岡芳夫の童画だ。また読書コーナーには武井武雄・初山滋の本、童画雑誌の復刻版などが多数並んでおり、ふたりの作品世界にじっくり浸ることができる。


展示風景

2014年に目黒区美術館で紹介された秋岡の童画を見たとき、筆者はそこに初山滋の影響が密接に見て取れるものがあると記したが、本展で3人の作品を見て感じたのは秋岡の童画世界はどちらかといえば武井武雄に近いのではないかということだった。たしかに秋岡の作品には初山に似た筆致のものもあるが、初山の作品が透明水彩やペンによるなんとも形容しがたい不思議な色面と線とで構成されているのに対して、不透明水彩で描かれた秋岡の画は、武井武雄の描く輪郭線とやや説明的な画面構成に近いように思う。
東京都庭園美術館では、本展と会期をほぼ同じくして「こどもとファッション」をテーマとした展覧会が開催されており、武井、初山作品を含む童画が子供服を語る資料として出品されている。どちらも最寄り駅は目黒駅。合わせて訪れたい。[新川徳彦]

★──秋岡芳夫全集2──童画とこどもの世界展:artscapeレビュー

関連レビュー

DOMA秋岡芳夫展─モノへの思想と関係のデザイン:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2016/07/20(水)(SYNK)

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Performing Arts Program / LOVERS

会期:2016/07/09~2016/07/24

京都芸術センター[京都府]

古橋悌二(1960 1995)によるヴィデオ・インスタレーション。初公開は1994年の東京・代官山 HILLSIDE PLAZA。その後幾度か公開されてきたが、今回は京都芸術センターが取り組む、アーティスト・グループ、ダムタイプの活動を紹介するプロジェクト《KAC Performing Arts Program LOVERS》の一環として、修復、展示された。11m四方の真っ暗な空間、その壁面には中心に設置された数台のプロジェクターから裸体の男女の姿が映し出される。男女はそれぞれ、歩いたり、走ったり、立ち止まったりし、時には重なり合い、自身を抱き、腕を広げて天を仰ぐ。白いタイルの床面には天井のプロジェクターから「DO NOT CROSS THE LINE OR JUMP OVER」というメッセージが投影される。そして静かに響く音や声が空間に緊張感を与える。
この作品が制作された頃を思うと、映像技術の進歩には隔世の感がある。まさに、当時のアナログ技術による作品をどのように未来に引き継ぐかがこのプロジェクトのテーマでもあるという。しかし一方で、アナログ技術ゆえの緩さや曖昧さ、揺らぎはすでに作品の一部であり、それらなくしては独特の繊細さや脆さも表現されえないのかもしれない。作者である古橋は若くして惜しまれつつ亡くなったが、そのことがあらためて思い起こされた。[平光睦子]

2016/07/20(水)(SYNK)

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始皇帝と大兵馬俑

会期:2016/07/05~2016/10/02

国立国際美術館[大阪府]

紀元前221年に中国を初めて統一した秦王朝の皇帝、始皇帝に関わる資料約120点余りを一堂に展覧している。見どころは日本初公開品を含む兵馬俑8体および軍馬の展示。西安市に出土した「兵馬俑」は、陶製の秦軍約8千体(平均身長180cm)からなり、ひとつとして同じ顔の物がないため、実物モデルに倣ったとされる。そのとおり、本展で見られる将軍・騎兵・軍使・歩兵・御者・立射・跪射など様々な俑は、どれも違う顔立ちと体形をしていることがわかる。そのうち印象深いのは、最も出土数が少なく10体しかない将軍俑。兵士とは異なる鎧と 冠を身に付けた装飾的な着衣は位の高い武将を表し、顔の造作表現にも品位の高さが窺える。当時の写実的表現の粋をまざまざと感じさせる。兵馬俑が作られた時には豪華な彩色がされていたので、本展ではその再現映像も見ることができる。非常にカラフルな着衣とその文様の装飾性の豊かさにはびっくりしてしまう。1970年代から現在に及ぶ陵墓発掘の、最新の考古学と科学研究の成果を踏まえ、秦の台頭から終焉に至る激動の歴史をたどる、ロマンあふれる展覧会。[竹内有子]

2016/07/17(日)(SYNK)

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