artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

こどもとファッション 小さい人たちへの眼差し

会期:2016/07/16~2016/08/31

東京都庭園美術館[東京都]

小さな子供たちは自分で服を選んだり買ったりすることはない。たいていのばあい、親が子供の服を選び、買い、あるいは作り、子供に着せるのだ。それゆえ子供が着る服には親の考える子供観、子供らしさが反映されている。そして親の考える子供らしさには、個人差はあれども、おおむねその時代の社会における子供観が反映されている。それゆえ、この展覧会に並んだ子供服、子供を描いた絵画・写真は、ファッションの歴史を語ると同時に、人々が考える子供らしさ──すなわち私たちの「小さい人たちへの眼差し」の変遷を語る証言者なのだ。
展示の半分はヨーロッパ(フランス・イギリス)で、半分は日本の子供服で構成されている。ヨーロッパの展示はフィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』(訳書:みすず書房、1980)がベースだ。アリエスによれば、中世まで人々にとって子供は小さな大人であり、子供を大人と異なる存在と位置づけて、それが保護され、教育され、愛情を注がれるべき対象と捉える子供観は近世初期に現れて18世紀にようやく定着したという。展示では子供が「誕生」した18世紀から20世紀初頭までの実物史料のほか、ファッションプレートや人形、絵本などで歴史の流れを補いつつ、ファッションに現れる子供らしさや性差、子供期の長さの相違と変化が示される。
日本の子供服の変化は明治後期から昭和初期における洋装化の過程として示されている。すなわち、明治期以降に入ってきた西洋近代的な家族観、子供観、教育法が、子供たちの服装にどのように現れたかという点である。実物史料として展示されている田中本家博物館(長野県)が所蔵する大正期の子供服は同時代の子供服のスタイルを伝えるばかりではなく、三越や松屋といった東京のデパートメントストアのラベルからは地方の富裕層にも都会で流行していたファッションが伝わっていたことがわかる。また同時期に刊行され始めた童画雑誌、菓子などの広告ポスター、明治期から大正期にかけての裁縫雛形からも子供服への洋装の普及が見てとれる。とはいえ、出展されている絵画作品にはまだまだ着物姿の子供たちが多く描かれ、洋装はエプロンや日傘などの小物から少しずつ子供たちの日常に入り込んでいった過程がうかがわれる。
展示は本館1階がヨーロッパ、2階が日本、新館前半がふたたびヨーロッパ、後半が日本。本館と新館の展示で一部の時代が前後しているので注意が必要だ。展示室入り口で会場構成と西洋ファッション史の略年表が印刷されたリーフレットが配布されているので、それを参考にしながら鑑賞することを勧める。東京都庭園美術館には、2014年11月のリニューアルオープン時に旧朝香宮邸の本館に加えてホワイト・キューブの新館展示室が設置された。歴史的空間とモダンな展示室という性格が異なるスペースをひとつの展覧会でどのように使い分けて構成するか、とくに今回のような巡回展の場合は企画担当者は相当苦労されているだろうと推察する。新館ギャラリー2ではアフリカ・南米・オセアニアにおける子育ての様子を記録したドキュメンタリー映像が上映されている。ヨーロッパでも日本でもなく、服らしいものを身につけてさえいない親子たちの姿であるが、これもまた「小さい人たちへの眼差し」の多様性のひとつと見ることができようか。[新川徳彦]


左:本館展示風景 右:新館展示風景

2016/07/15(金)(SYNK)

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学業から職業へ ─京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校の図案教育III─

会期:2016/06/20~2016/08/08

京都工芸繊維大学美術工芸資料館[京都府]

本展は、「浅井忠・武田五一と神坂雪佳 ─京都高等工芸学校・京都市立美術工芸学校の図案教育I─」(2014)、「“倣う”から“創る”へ ─京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校の図案教育II─」(2015)に続く連続展覧会企画の第三回。大正から昭和初期の京都の図案教育の成果として、京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校図案科の学生作品である、着物、ポスター、家具、住宅等のデザイン、33点が、学業が職業につながり結実した成果として、両校の卒業生や教員によるデザイン、29点が展示された。学生作品といっても充分な描写力や創造性が認められるものばかりだが、やはり卒業生や教員の作品にはプロらしい精確さや緻密さが感じられる。なかでも、村野藤吾(1891-1984)が手がけた貨客船「橿原丸」平面図と本野精吾(1882-1944)が手がけた「出雲丸」内観パース、高島屋大阪店による「橿原丸」と「出雲丸」の室内設計案は技術という点だけでも圧倒的だ。
京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)は、日本初の公立画学校として創立し1891年に京都市美術学校と改称すると同時に工芸図案科を設けた。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)は、東京高等工業学校(1901年東京工業学校から改称)に次いで1902年に創立した旧制専門学校。いずれも近代日本を牽引したデザイン教育機関である。その活動の一端を明らかにする一連の展覧会は、日本のデザイン教育史構築においても意義深い展覧会といえるであろう。[平光睦子]

2016/07/09(土)(SYNK)

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川村悦子展──ありふれた季節

会期:2016/06/11~2016/07/31

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

京都を拠点に活躍する洋画家・川村悦子の個展。1980年に京都市立芸術大学西洋画専攻科を修了後、イタリア古典絵画への憧憬を通して西洋と東洋美術の位相について問いかけながら、絵画における現実と虚実性や、自然をテーマに制作活動を展開してきた。本展の展示では、最新の連作《ありふれた季節》を含め40点余りの全作品に、作家のそれらの思いを感じ取ることができる。最新作では、一見どこにでもありそうな公園なのに、作家の記憶にまつわる視覚的フィルターを通したかのように、靄がかかったかのような独特な油彩画の表面で仕上げられる。写実的な木々の描写と周辺には、特別の空気を纏った心象風景が浮かびあがる。《道》と題された作品には、鬱蒼とした木々の茂みに挟まれた橋が描写される。画面奥に収れんする、ありふれた橋の向こう側には何があるのか。私たちの眼と頭は、実体験の記憶にある風景と、画面に表現される仮想の現実の風景のあいだをさまよう。代表作の「蓮」を描いた作品群は、遠くから見れば写真のような写実性をもつのに、近くに寄って見ればうっすら白く優しい絵肌となる。蓮の葉の強い生命感に、水の気配や空気までも感じられるようだ。《白椿》は、陶器タイルの硬質な表面に描かれたかのような味わい。自然へのあたたかなまなざしと絵肌の透明性に魅了された。[竹内有子]

2016/07/03(日)(SYNK)

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From Life─写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展

会期:2016/07/02~2016/09/19

三菱一号館美術館[東京都]

19世紀イギリスの女性写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)。本展は2015年に迎えた彼女の生誕200年を記念して、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が所蔵する作品を同館のマルタ・ワイス学芸員の企画で構成する国際巡回展の日本展。キャメロンの作品、書簡類などのほか、同時代の他の写真家の作品も合わせて展示することで、彼女の作品の特徴──革新性を明らかにし、後世への影響をも見る。
キャメロンの作品の特徴は、技術的には人物のクローズアップ、意図的なボケ、現像液の斑や染み、ひっかき傷などネガに手の痕跡をあえて残しているところ。表現の主題としては、親しい人物たちを中心とした「肖像」、家族や友人、使用人たちをモデルとして演出、撮影した「聖母群」や「幻想主題」。とくにその技術面は、同時代の写真家、評論家たちからたびたび批判されたが、現在ではその絵画的表現は後のピクトリアリズム、モダニズムの写真を先取りしたものとして評価されている。「From Life」とは「実物をモデルにした」という意味で、ふつうは美術作品に用いられるが、彼女はしばしば自身の写真作品にこの言葉を銘記しているという。
写真史における評価もさることながら、キャメロンの人物、交友関係もまた興味深い。キャメロンの父親はイギリス東インド会社の上級職員、母親はフランス貴族の子孫。フランスで教育を受けたのち、1838年にインド・カルカッタでチャールズ・ヘイ・キャメロンと結婚。10年後にイギリスに戻ったあとは、妹サラ・プリンセプのサロンで著名人・芸術家たちと親交を結んでいる。キャメロンの家族はセイロン(現・スリランカ)でコーヒー農園を経営しており、1875年以降、同地に移り住み、そこで亡くなっている。彼女が写真を始めたのは48歳のとき。イギリス・ワイト島に住んでいた1863年のクリスマスに、娘夫婦からカメラをプレゼントされたことがきっかけだという。その出自、キャリア、年齢からすれば、彼女にとって写真は趣味に留まっていてもおかしくないように思うが、彼女はそうしなかった。カメラを手にした翌年には自身の写真の著作権登録を始め、ロンドン写真協会の年次展覧会に出品。写真専門誌からは手厳しい批判を受けてもひるむことなく、画廊と作品販売の契約を結び、1865年にはヘンリー・コウルを通じてサウス・ケンジントン博物館(後のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)に作品を購入させ、同館で展覧会の開催にこぎつける。1868年には博物館の2室を撮影スタジオとして使用する許可を得る。コウルに宛てた手紙には自身の写真が「あなたを歓喜に痺れさせ、世界を驚嘆させる」と記しているという。なんと意欲的、なんと野心的な人物だろうか。
彼女は作品によって名声を得ることを切望したばかりでなく、その販売によって富を得ることも望んでいた。ただし、街の肖像写真師のように誰でも撮るのではない。肖像写真は付き合いのあったグループ、親しい友人たちが中心。有名人にモデルになってもらおうと務め、作品の価値を高めるために彼らにサインをしてもらってもいる。自身のブランディングにも余念がなかったようだ。そうした行動の背景にはコーヒー農園の経営不振があったようだが、はたして写真の販売によってその損失を補うことができたのだろうか。その経営の才がどのようなものであったか、気に掛かる。
本展に合わせて会場出口のショップの壁面がいつもとは異なるギャラリー風のしつらえになっている。こちらのデザインにも注目だ。[新川徳彦]

2016/07/01(金)(SYNK)

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Repetition アトリエ染花 設立35周年記念作品展

会期:2016/07/01~2016/07/10

スパイラルガーデン[東京都]

「ファッション史の愉しみ」展(世田谷美術館、2016/2/13~4/10)で印象的だったマネキンの、髪飾り・コサージュ・装花を手がけた「アトリエ染花」。オリジナル商品の他にさまざまなファッションブランドのコスチュームアクセサリーを手がけている同社の設立35周年を記念する展覧会がスパイラルガーデンで開かれた。5年ごとに開催しているという作品展には、同社のデザイナーたちによる展覧会のためのオリジナル作品が並ぶ。今回のテーマは4つ。〈esprit〉はベルエポック時代のパリをテーマとした花飾り。〈design〉には多彩な技法と表現が並ぶ。〈mode〉は、チーフデザイナー川村智子によるコスチュームアクセサリー。布にとどまらず、プラスチックなどの多様な素材を自在に駆使した独創的なアクセサリーだ。縦長の鏡に飾られた作品の前に立つと、自分がそれを身につけているように見える。スパイラルガーデンの吹き抜けを使った展示は本展の主題でもある〈repetition〉。多種多様な素材と色彩による巨大な花飾りのオブジェは、設立当初からの想いを繰り返し、深化させ、極めていくことをイメージしたものだそうだ。[新川徳彦]


会場風景

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2016/07/01(金)(SYNK)