artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

終わりなき創造の旅 ─絵画の名品より─

会期:2016/03/19~2016/06/05

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

開館20周年を記念して、芸術家たちの制作にまつわる「旅」をテーマに選ばれた館蔵品、約80点近くによる展覧会。印象派、エコール・ド・パリ、ピカソ等20世紀巨匠たちの絵画の名品と、バーナード・リーチや濱田庄司ら民藝運動の作家たちの工芸品との両方が同時に楽しめる。絵画作品の見どころは、安藤忠雄設計の「地中の宝石箱(地中館)」に展示されたモネの《睡蓮》と、「夢の箱(山手館)」に展示されたゴッホの《農婦》および「青の時代」のピカソによる《肘をつく女》。さらに本展で民藝に関わって貴重なのは、柳宗悦と朝鮮古陶磁の研究を行った浅川伯教が朝鮮・日本で収集した民藝品が見られること。柳・浅川兄弟の審美眼によって選ばれた李朝陶磁器・唐津・瀬戸・備前焼などは、同運動を支援したアサヒビール初代社長、山本爲三郎との交流を通じてもたらされた。それが英国風の山荘建築の中に残されていることが素晴らしい。というのも、展示品と建築と選りすぐられた室内装飾が渾然一体となって、展覧会を作り上げているからだ。同館の展示では、東西の芸術文化と芸術のジャンルの垣根がなく調和的に同居し、民藝の思想を具現化しているとしみじみと感じ入る。庭園の池にはまた、モネの作品を想起させる睡蓮が咲き、展覧会に花を添えていた。[竹内有子]

2016/06/05(日)(SYNK)

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中島千波とおもちゃシリーズ 画家のひみつ

会期:2016/05/31~2016/07/10

渋谷区立松濤美術館[東京都]

現代日本画壇事情には疎いが、それでも中島千波といえば桜の絵を代表とする花鳥、人物、風景の画家として著名であることは知っている。多岐にわたる制作活動の中で、中島千波が生涯描き続けたいと語っているのが、本展で特集されている「おもちゃシリーズ」だ。描かれているのは「おもちゃ」といってもトイではなくて、陶製や木製の動物たちの置物──いわゆる民芸品で、メキシコの陶製・木製の動物をはじめてとして、ペルーやフランス、ベルギー、インド、日本など、産地はさまざま。「おもちゃシリーズ」では、だいたい前景にいくつかのおもちゃと花が組み合わされ、背景に窓が描かれている。最初におもちゃを描いた作品は1972年の《桜んぼと鳩》(本展には出品されていない)。そこにはその後のシリーズの原型がすでにある。銅版画家・浜口陽三のサクランボの作品のようなものを日本画にしたらどうなのだろうというところから始まったという。窓は「結界」で、デュシャンやマグリットの影響。初期の作品に描かれている窓の外にただよう雲や、割れたワイングラスや壊れたテーブルの脚は社会の不安を表し、平和の象徴である鳩と対比している。しかし、近年描いているおもちゃシリーズはメルヘンの世界だという。じっさい出展作品の大部分は純粋に楽しく見ることができるものばかりだ。地階展示室は、主に2008年に高島屋美術部創設100年を記念して開催された展覧会のために描かれたもの。2階展示室は、初期作品と近年の作品とが並ぶ。これは本人が語っていたことだが、おもちゃシリーズは売れないのだそうだ。これは意外だった。やはり桜の画家としてのイメージが強いのだろうか。2008年の展覧会出品作品は大部分が手元に戻ってきて、半分は自宅に、半分はおぶせミュージアム・中島千波館(長野県)に寄贈し、それゆえ今回まとまって出品することができたのだという。
本展では、おもちゃシリーズの作品とモチーフになったおもちゃ、花のデッサンが合わせて展示されている。とくに地階展示室ではおもちゃが露出展示されており、ディテールを間近で見ることができる。花はそれぞれの旬にデッサン、着彩されたもの。どの作品に用いるかは関係なく描きためられたもののなかからモチーフが選ばれるという。おもちゃはほとんどの場合デッサンを経ることなく、実物を見ながら直接描いているとのこと。作品と見比べると、色や模様はデフォルメされることもあるようだ。このようにふだん見ることができない創作のプロセスを見せているがゆえに、展覧会のサブタイトルは「画家のひみつ」なのだ。
モチーフに用いられたおもちゃのなかでも、メキシコ・トナラの陶製の動物、オアハカの木製の動物たちはとても魅力的。画のモチーフになったもの以外にも画家はたくさんのおもちゃを所有しているそう。いつの日か、中島千波コレクション展を見てみたい。[新川徳彦]


展示風景

★──中島千波『おもちゃ図鑑』(求龍堂、2014)8~9頁

2016/06/02(木)(SYNK)

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メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画

会期:2016/04/22~2016/07/05

東京都庭園美術館[東京都]

日伊国交樹立150周年を記念して開催される展覧会のひとつ。イタリア絵画を紹介する展覧会がいくつも企画されているが、本展はルネサンス文化発祥の地、フィレンツェに300年に渡って君臨し、芸術のパトロンであったメディチ家に焦点を当て、フィレンツェ・ウフィツィ美術館(銀器博物館)などのコレクションから彼らの肖像画と宝飾品のコレクションを紹介する展覧会。
フィレンツェで商業と銀行業で富をなした老コジモ(1389-1464)、痛風病みのピエロ(1416-1469)、ロレンツォ豪華王(1449-1492)らが同時代の芸術家たちを支援したことは言うまでもないが、他方で彼らは古代ギリシア・ローマのコイン、メダル、彫玉(カメオ、インタリオ)などのコレクターであった。彼らはこれらのコレクションを書斎に飾り、訪れる賓客、美術家たちに見せ、美術家たちはそれを写したり、絵画のモチーフに活かしたと考えられるという。彼らは古代の彫玉を貴金属のフレームで飾り、破損したカメオを金細工で補修し、また同時代の工芸家たちに新しい作品を作らせた。こうした経緯から、本展に出品されている宝飾品は年代別ではなく、蒐集者の視点で構成されている。作品を見るときは制作年代に注意が必要だ。
アーニョロ・ブロンズィーノ(1503-1572)など同時代の著名な画家に依頼して描かれた肖像画は美術品であると同時に一族の歴史を物語る資料だ。ルイジ・ファミンゴ作と推定されているロレンツォの肖像は宝飾品を身につけていない。共和制の都市フィレンツェで、初期のメディチ家の人々は事実上の支配者としての地位を固めつつあったが、形式的には市民であり、商人の伝統に従って、通常は質素な服装で過ごしていた。宝飾品は富を象徴するコレクションであっても、権威を示す用途で身につけられた訳ではないらしい。老コジモの父、ジョヴァンニ・デ・ビッチ(1368-1429)が遺した「公衆の目の届かないところにとどまっていなさい」という言葉に従ったのだろうか。しかし、16世紀以降、君主となったメディチ家の人々にとって、宝飾品は重要な役割を果たすようになったという。とりわけ、メディチ家の女性たちの肖像は膨大な数の宝飾品を身につけている。なかでもフランス王アンリ2世妃となったカテリーナ・デ・メディチ(1519-1589)の肖像に描かれた宝飾品の数々──とくに無数の真珠──には圧倒される。
残された財産目録によってメディチ家の人々が所有していた宝飾品が知られている一方で、肖像画に描かれたジュエリーで現存するものはほとんどないと聞いた。持ち主の経済的な危機において貴金属類は換金され、また衣裳に縫い付けられた宝石類には解体、再利用されたものも多いという。[新川徳彦]


本館展示風景

2016/05/23(月)(SYNK)

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いぬと、ねこと、わたしの防災「いっしょに逃げてもいいのかな? 展」

会期:2016/04/23~2016/05/22

世田谷文化生活情報センター生活工房

この展覧会でいちばん印象に残ったのは、災害発生時の状況別(ペットとともに在宅中、ペットとともに外出中、ペットを残して外出中)に、避難生活までをシミュレーションしたイラスト入りのチャートだった。東日本大震災の経験、そして本展が始まる直前に熊本から大分にかけて起きた震災の報道で、ペットを同行する避難によってどのようなトラブルが起こりうるか、どのように対策すべきかについては考える機会があった。しかし、災害発生のまさにその時にどのような状況が生じうるかについてはとくに考えたことがなかったことに気づかされた。ペットと一緒にいれば対応できることも、勤務先、外出先で被災し、容易に自宅に戻ることができなかったらどうしたらよいのか。自宅が損壊し、壊れた窓や壁からペットが逃げ出して迷子になったらどうやって見つけたら良いのか。展覧会会場では事前にできる備えから、災害発生時の対応、避難所での生活まで、現在可能な対策のほかに、クリエーターたちによるペット用キャリーや簡易柵などの提案も展示。配布されていたパンフレットは手近なところにおいて、ときどき読み直すようにしようと思う。さしあたり、迷子対策のためにペットの写真を撮ったり、特徴を記したメモを用意しておこう。参加できなかったけれども、迷子ポスターづくりのワークショップはとてもいい企画だ。[新川徳彦]

2016/05/20(金)(SYNK)

ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて

会期:2016/04/05~2016/05/22

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

ジャック=アンリ・ラルティーグ(1894-1986)の写真をどう見たら良いのか、よく分からないでいる。家族や友人、身近な人々、出来事を写した写真の数々は、とても良いと思う。富裕な家庭に生まれ、写真機という新しい高価な機械を買ってもらった少年が、身近なものに目を向け、また動きのある被写体から瞬間を切り取ることに夢中になったであろうことも理解できる。しかし、対外的に発表するつもりで撮られたのではない写真、極めて私的なアルバムをどのように見れば良いのか、そこに何を見出せば良いのか、迷うのである。他の写真家であれば、たとえ私的な写真であっても、そこに同時代の社会、事件などの証言を見ることができるものが多いのだが(あるいはそういう視点を含めて紹介されることが多いのだが)、ラルティーグの写真にはそのような時代、社会の記録をほとんど見ることができない(あるいはそういう視点では紹介されない)。二度の大戦を経ているはずなのに、彼はそのような世事に関心を持っていなかったように見えるし、また彼の写真を見る人々もそのようなドキュメンタリーを求めていない。いったい、1962年に米国で「発見」され、翌1963年に69歳で「デビュー」した「新人写真家」の作品に人々は何を見てきたのだろうか。
今回の展覧会の後半では、カラー作品40点が展示されている。筆者はラルティーグのカラー写真は初見。実際、そのほとんどが日本では初公開だ。解説によればラルティーグが残した写真の3分の1がカラーだが、これまでほとんど紹介されてこなかったという。撮影年代を見ると、1920年代に撮影されたオートクローム作品を除くと、リバーサルフィルムで撮影されたカラー写真はいずれも1950年代以降。改めて本展の作品リストを見てみると、出品されているモノクローム作品の撮影年代は1920年代までに偏っている。第二次世界大戦後の写真はわずかで、それもピカソや、ラルティーグの作品集出版に尽力した写真家リチャード・アヴェドンのスナップだ。ということは、カラー写真が紹介されてこなかったというよりも、ラルティーグの戦後の写真全体がほとんど紹介されてこなかった(あるいは関心を持たれてこなかった)ということなのだろう。海外で刊行された作品集をいくつか見てみたが、掲載されている作品には同様の年代の偏りがある。代表作とされ、これまでの展覧会でもとりわけよく取り上げられてきたのは、ベル・エポック期の写真だ。このようなバイアスの存在を考慮しつつ最初の疑問に立ち返れば、写真家ジャック=アンリ・ラルティーグを「発見」した人々、そして私たちは、写真に写すことで永遠のものとなったラルティーグの幸せな少年時代、古き良き時代という幻想を自分自身に重ね合わせて見ているということになろうか。[新川徳彦]

2016/05/19(木)(SYNK)

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