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建築に関するレビュー/プレビュー

ヴェネツィア展──魅惑の都市の500年

会期:2015/09/19~2016/02/21

名古屋ボストン美術館[愛知県]

長年にわたって美術に愛された水の都市とアートの関係をたどる。もちろん、宣伝で謳われているように、ティツィアーノ、カナレット、モネ、ブーダンらの作品をアメリカからもってきたのがウリだが、フォルトゥーニによるプリーツのファッション、小さな都市においてプライバシーを守るためのマスク、20cmありそうな高底靴、ムラーノ・ガラスのデザインにおける近代革命など、生活と風俗の展示も楽しめる。

2015/10/18(日)(五十嵐太郎)

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Under 35 Architects exhibition 2015──35歳以下の若手建築家による建築の展覧会

会期:2015/10/16~2015/10/31

グランフロント大阪[大阪府]

毎年恒例U-35の展覧会。シンポジウムで建築史家の倉方俊輔とダブル司会を務めたように、司会は2人だし、出品者よりゲスト建築家が多い、やたら豪華な企画である。今年は若手6組の展示手法が、それぞれ個性的であり、うまかった一方で、建築作品そのものの紹介が少なかった。そのせいか、今年から最優秀を決める予定だったが、最後は審査委員長の藤本壮介がゴールドメダルはナシと判断した。一昨年、石川県のでか山のプロジェクトで卒業設計日本一だった岡田翔太郎が参加しており、圧倒的な最年少である。

写真:左上=岡田翔太郎、左中=金田泰裕、左下=植村遥、右上=高濱史子、右中=佐藤研也、右下=北村直也

2015/10/16(金)(五十嵐太郎)

松ノ井覚治の建築ドローイング─ニューヨークで学んだボザール建築

会期:2016/10/03~2016/10/21

京都工芸繊維大学美術工芸資料館[京都府]

美しい建築ドローイングの数々に、思わずため息が出る。松ノ井覚治(1896-1982)は、1920年代のニューヨークで活躍した珍しい経歴をもつ建築家。1918年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、アメリカに渡る。帰国した1932年には、ヴォーリズの事務所にも籍を置いた。ところで同大学の同級生が、村野藤吾(1891-1984)である。村野は拠点を大阪に移し、渡辺節の事務所に勤めた。一方、松ノ井はニューヨークの大手の建築事務所で働きながらコロンビア大学に学ぶ。1928年には、設計主任としてマンハッタン銀行本店(ウォール・ストリートの超高層ビル)の建て替えの仕事に携わるまでになったという。本展に展示されるのは、彼が大学に在籍しながら、ボザール・インスティチュート・オブ・デザイン(BAID)宛に応募した課題(審査結果は建築雑誌の誌面に公開された)。同団体は、パリのエコール・デ・ボザールによる「ボザール様式」を規範とする教育を行なう、当時の建築教育にあっては重要な機関であった。そのとおり、ドローイング作品には見事に描かれ着彩された、古典的な設計意匠を見て取ることができる。また京都工芸繊維大学美術工芸資料館 には、村野藤吾の充実した資料と研究実績がある。展示された寄贈品を巡る「もの」を通して、松ノ井と村野の間に流れるあたたかな友情の物語までも伏線として示される、何とも素敵な展覧会。[竹内有子]

2015/10/15(土)(SYNK)

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BankARTスクール横浜建築家列伝vol.2 五十嵐太郎+磯達雄 ゲスト林要次「中村順平について」

会期:2015/09/28

BankART Studio NYK[神奈川県]

磯達雄と共に講師を担当している今期のBankARTスクールでは、横浜建築家列伝をテーマとしており、林要次をゲストに迎え、横浜国立大学の前身となる学校で教鞭をとった中村順平のレクチャーが行なわれた。彼は曽禰中條の事務所で働いた後、ボザールに留学するが、関東大震災を聞いて、復興に寄与すべく、急いで帰国して教育者となる道を選んだ。中村がモダニズムが掲載された外国の雑誌を学生にあまり見せなかったエピソードが興味深い。林は博士論文において、中村のメモから当時フランスで読んだであろう書籍を割り出したという。当時の建築界の状況を知るうえで、貴重な労作である。

2015/09/28(月)(五十嵐太郎)

ツォー駅周辺

[ドイツ、ベルリン]

最後はツォー駅周辺のエリアで現代建築を中心にまわる。グリムショウ、ヤーン、ゴットフリート・ベームの作品もあるけど、比べると、旧東サイドの開発の方がインパクトは大きい。ところで、昔は外国でアジアの観光客を見かけると、ほぼ日本人だったが、だんだん韓国人が増え、いまや完全に中国人がメインになった。内向きになった日本人はもうあまり海外に出かけないのだろうか。

写真:上=グリムショウ、中=ヘルムート・ヤーン、下=ベーム

2015/09/26(土)(五十嵐太郎)