2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

山形で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき

会期:2021/07/17~2021/08/27

山形美術館[山形県]

今年見た展覧会では、もっともインパクトのある企画だった。国立西洋美術館が長期の休館に入っていることから、貴重なコレクションが貸与されたものだが、通常ならば、ただの名品展になりかねない。実際、本展をそのように鑑賞している来場者は圧倒的に多そうだった。しかし、別のレベルで意欲的な試みがなされており、断続的に挿入される長い説明文を読んでいくと、日本における西洋美術の受容というテーマを軸に、山形美術館と国立西洋美術館のコレクションと交差させながら、ダイナミックな三部構成が提示されている。すなわち、山形の地元彫刻家・新海竹太郎の渡欧体験、1900年パリ万博訪問、留学先の記憶/西洋美術館のコレクション形成史と建築の軌跡/再び山形に戻り、「洋画」の展開をたどる。もうひとつの開催地の高岡市では、おそらく第一章(林忠正と本保義太郎に変更)と第三章を入れ替えた展示になるはずだ(確認すべく、見に行こうと考えている)。ちなみに、山形美術館は、フランス近代絵画を核とした吉野石膏コレクションが寄託されており、国立西洋美術館の作品群とも出会う。

新海は上野の近くに暮らしたが、自らの死後、西洋美術館が存在する未来を想像できたであろうか、というテキストが、第一章と第二章を架橋する。作品解説の枠を超えた内容に尋常ならぬものを感じ、閉館が迫っており、限られた時間しか滞在できなかったため、カタログがない可能性も想定し(山形美術館ではありうる)、とにかく会場で文章だけは全部読むことにした。実のところカタログにはすべての文章は収録されていたが、上段に山形、下段に高岡に関する文章を並行させた構成、しかも文体や言いまわし、段落の構成も意図的にそろえた本の造りは見事である。これは新藤淳が中心になって企画したコレクションの展覧会だが、新しい形式の発明と言えるだろう。

またコロナ禍において、海を渡る作品の貸し借りが難しくなり、コレクションを見直して、有効に活用すること、あるいは簡単に西洋に行けず、改めて「遠く」を想像する意味を考えるという意味で、本展は時節にあう企画だ。ところで、会場の最後には、新海と本保をつなぐ仕かけとして、2人が並ぶ書籍を紹介していたが、カタログにはない。あとから見つかり、追加された資料なのだろうか。

★──高岡市美術館では「高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」に改題。(会期:2021年9月14日~10月24日)

2021/08/09(月)(五十嵐太郎)

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山形(金山町、新庄市、銀山温泉)の建築群

[山形県]

山形県の金山町を歩く。地域住宅計画、街並み景観条例、1978年から続く住宅建築コンクールなど、長い時間をかけた努力の甲斐あって、なるほど街並みの景観がよく揃う。金山スタイルというべき意匠も確立されている。林寛治、片山和俊らの東京藝大系の建築家が関与し、明治時代の土蔵をカフェやギャラリーに転用した《街角交流施設 マルコの蔵》(2012)と広場や、《街並み交流サロン ぽすと》(1936年竣工の旧郵便局)などのリノベーション(2000)、あるいはきごころ橋、小学校、役場などの現代建築を手がけ、ただ古建築を保存するだけでなく、新旧の魅力を融合した。また金山スタイルではないが、やはり藝大出身の益子義弘による森林に囲まれた火葬場が素晴らしい。



《街角交流施設 マルコの蔵》



《街並み交流サロン ぽすと》



益子義弘による火葬場


新庄市では、急勾配のとんがり屋根をもつ《雪の里情報館》の展示棟(旧農林省積雪地方農村経済調査所庁舎、1937)に立ち寄った。これは考現学で有名な今和次郎が設計した建築である。彼は青森県・弘前の出身だから、大雪がもたらす状況をよく知っていたはずである。もともとは雪害対策を調査するために設置された建築だが、第5展示室ではシャルロット・ペリアン訪問の展示があり、彼女がとてもお茶目なキャラクターだったエピソードを伝える。



《雪の里情報館》の展示棟(旧農林省積雪地方農村経済調査所庁舎)


また《新庄市エコロジーガーデン「原蚕の杜」》(2002)では、工学院大学の富永祥子研究室ほかによる1930年代の蚕糸試験場のリノベーションを見学した。外観は当初の状態に復元し、2階は見えない部分での耐震補強を施し、2021年の初頭に3棟の改修工事が完了している。旧第4蚕室は、創造交流館として再生し、とても良い雰囲気の「おやさいcafé AOMUSHI」、スタジオ、オフィスなどが入る。



富永祥子研究室ほかによる蚕糸試験場のリノベーション


銀山温泉は、エリアの手前で自動車を降りて、歩いていくことになるが、うねる細い川の両岸に宿がぎっしりと並ぶ風景が印象的だった。大正時代に建設された《能登屋旅館》(1921)など、よくできた和洋折衷が興味深い。一方、隈研吾による《藤屋》(2006)は、外に屋号すらも示さない、すっきりとしたミニマルなデザインや繊細なルーバーによって、賑やかな宿が多い環境において逆に存在感を示していた。



《能登屋旅館》



左が隈研吾の《藤屋》

2021/08/08(日)(五十嵐太郎)

秋田(角館、大曲、横手、湯沢)の建築群

[秋田県]

およそ20年以上ぶりに秋田の角館を訪れた。武家屋敷の雰囲気が残る町並みに、大江宏によるポストモダン、いや正確に言うならば、異なる時代と地域の様式を混在させたような《仙北市立角館町平福記念美術館》(1988)や《仙北市立角館樺細工伝承館》(1978)はあらためて不思議な組み合わせである。力作(特にイスラム風にも見える前者)であることは間違いない。だが、現代の発火しやすいSNS社会なら、これらは炎上する公共建築になったかもしれないと思う。ともあれ、かたちのデザインが輝いていた時代の建築である。



武家屋敷の蔵



《仙北市立角館町平福記念美術館》



《仙北市立角館樺細工伝承館》


また《角館歴史村・青柳家》展示施設では、『解体新書』の人体解剖図を描いた画家、小田野直武が、角館の武士だったことを紹介していた。なお、『解体新書』の扉絵に西洋建築が入っているが、日本に伝わった最初期の古典主義のイメージだろう。昭和初期の《旧石黒(恵)家》(1935)も、和洋折衷のデザインが見応えがある。こうした古風でありながら、新しいものを取り入れた態度は、大江の建築と重なるかもしれない。

鈴木エドワードによる《大曲駅》(1997)を見てから、《花火伝統文化継承資料館 はなび・アム》(2018)を訪問した。日本一を競う花火の展示施設であり、内容も悪くないのだが、建築のデザインが酷すぎる。これでは、花火に失礼だろう。気合いの入った花火職人の映像を見ると、東京2020オリンピックの開会式で日本製の花火を使わなかったことも同情する。



《大曲駅》


横手市の《秋田県立近代美術館》(1994)は、巨大ヴォリュームを持ち上げる、ど派手な外観に驚く。が、それ以上に連結するエンターテイメント施設群や飲食エリアを含む、秋田ふるさと村のプログラム構成がなんともシュールである。



《秋田県立近代美術館》


湯沢市では、まだ見ていなかった東京から移築した白井晟一の《試作小住宅》(1953)を探した。パソコンでサムネイル的に小さい画像で見ると、普通の切妻屋根の家屋とあまり変わらないようにも見えるが、ようやく実物を発見すると、絶妙のサイズとプロポーション感覚で舌をまく。また今回は雪に埋もれていない状態の《四同舎(旧湯沢酒造会館)》(1959)も確認することができた。なんとか保存されており、古びてはいるが、クラシックなデザインの感覚をもち、背筋が伸びるような建築である。



白井晟一《試作小住宅》




白井晟一《四同舎》

2021/08/07(土)(五十嵐太郎)

愛媛(宇和島ほか)の建築

[愛媛県]

宇和島市の建築めぐりを行なった。《宇和島城》(1601)は復元ではなく、現存する17世紀の天守であり、三層の屋根や玄関に懸魚付きの唐破風や千鳥破風を散りばめ、優美な姿をもつ。ただし、あまり大きくないことと、樹木が成長しており、下方からはあまり見えない。また登る途中の石垣も、夏は植物で覆われてしまう。《城山郷土館》(1966)は、宇和島藩の19世紀の武器庫を移築保存したものを再利用している。《宇和島市立歴史資料館》(1992)も、古い建築のリノベーションだ。擬洋風の《宇和島警察署》(1884)が1950年代に移築され、1990年までは町役場として使われた後、再移築されたものである。また石垣のモチーフを組み込み、1974年にオープンした《宇和島市立伊達博物館》(1974)は、伊達家の史料などを収蔵し、天赦園に隣接して建つ。しかし、老朽化に伴い、建て替えを計画しており、プロポーザル・コンペによって隈研吾が設計者に選ばれた。一番新しい昭和の建築が解体の対象となるのは皮肉だが、これを契機に各館のコレクションを効果的に再編できるのではないかと感じた。



《宇和島城》



《城山郷土館》



《宇和島市立歴史資料館》



《宇和島市立伊達博物館》


宇和島といえば、大竹伸朗のはずだが、どこに行っても彼の作品に遭遇しない。ようやく出会ったのは、駅前の《宇和島市学習交流センター パフィオうわじま》(2019)の図書館だった。ここでは大竹に関連する展示、彼の蔵書コーナーを設けているほか、1階ではグッズの販売が行なわれている。また同施設のホールの緞帳は、大竹が制作したものだ。



《宇和島市学習交流センター パフィオうわじま》図書館内での大竹伸朗に関連する展示


また愛媛の建築家、武智和臣が、アーティスト、ケース・オーウェンスのアトリエを改修し、昨年オープンした宇和町の宿泊施設《atelier O-HUIS》(2020)を見学した。斜めに配された石積みの壁や大きな鉄の扉が重厚である。200㎡の客室、天窓のあるベッド、露天風呂などがつく。越後妻有トリエンナーレにも参加したオランダ人の作家であり、もともとは1990年代に建てたものらしい。外は田園風景が広がり、庭園は石の彫刻、屋内は絵画や陶芸などのアートに囲まれ、1日1組限定の一棟貸しで、最低でも24万円台からである(食事はシェフを呼ぶ)。ホテルというよりも、別荘を借りる感覚だ。かなりの高価格だが、大衆を相手にしているわけでなく、こうした豊かな空間を求めている層がちゃんといるという。新しいアート・ツーリズムが生まれている。



武智和臣《atelier O-HUIS》



《atelier O-HUIS》

2021/07/22(木)(五十嵐太郎)

分身ロボットカフェ「DAWN ver.β」

[東京都]

新日本橋駅の近くにある分身ロボットカフェの「DAWN ver.β」を訪れた。これは吉藤オリィが、重度障害のために外出困難な人でも、遠隔地から在宅で働けるロボットを開発し、実証実験を経て、6月に常設店がオープンしたものである。彼は自らも3年半の不登校を経験した後、早稲田大学在学中に独自で「オリィ研究室」を立ち上げているが、2013年にFacebookを通じて、交通事故で動けない番田雄太と出会ったことを契機に、「寝たきりであっても自分らしく働ける場所」の実現に取り組んだ。 現在、カフェでは3種類の分身ロボットが稼働している。まずiPadと連動する小型の遠隔操作ロボット「OriHime」は、卓上に置かれ、手や首を動かしながら、音声でのコミュニケーションをとって、食事の注文や会話を行なう。


iPadと連動する小型の遠隔操作ロボット「OriHime」


次に遠隔での肉体労働を可能にする自走型分身ロボット「OriHime-D」は、身長が約120cmであり、店内をガイドラインに沿って移動することによって、ドリンクを運ぶ。基本的に客席では、この2種類が対応するが、奥のカウンターでは、元バリスタとの意見交換を受けて開発され、遠隔操作によってコーヒーを淹れることが可能な「Tele-Barista OriHime×NEXTAGE」が立つ。バリスタのロボットが動く状況には立ち会えなかったが、両腕によって、もっとも複雑に動くと思われる。


遠隔での肉体労働を可能にする自走型分身ロボット「OriHime-D」



「Tele-Barista OriHime×NEXTAGE」


筆者は、実際にランチを注文し、青森県や山形県にいるパイロット(遠隔地から働くメンバーをこう呼ぶ)との会話を体験した。ただ音声をやりとりするのではなく、言葉に反応して動く「OriHime」のおかげで、本当にパイロットの存在を感じることができる。ロボットは、いわゆるかわいいデザインだが、別の客席にいた幼児は怖がって泣いていたから、かわいいという感覚も後天的に獲得されるものなのだろう。ともあれ、こうしたコミュニケーションは、メディアアートなどでも試みられていたが、分身ロボットカフェがインパクトをもつのは、実際に社会に役立つデザインになっていることだ。これぞ、新しいデザインと工学の融合を社会実装させ、未来を感じさせるプロジェクトである。今後は教育の分野でも、活用が期待できるだろう。


パイロットとのガイダンスの様子



「OriHime-D」と「OriHime」


じつはカフェを訪れたのは、ちょうど崇高な理念をうたうはずのオリンピックの開会式への、障害者に暴行を働いた過去をもつミュージシャンの参加が問題になったタイミングであった。それだけに「孤独の解消」を掲げる、こうした民間の挑戦は、頼もしく思えた。

公式サイト:https://dawn2021.orylab.com/

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