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建築に関するレビュー/プレビュー

ヴィチェンツァのパラディオ建築

[イタリア、ヴィチェンツァ]

ヴェネツィアにも、後期ルネサンスを代表する建築家アンドレア・パラディオの作品、サン・ジョルジョ・マッジョーレやイル・レデントーレの教会は存在するが、《ラ・ロトンダ》(1566-67)やシニョーリ広場のバシリカ(公会堂)など、彼がより多くの仕事を手がけたのは、近郊の都市ヴィチェンツァである。ヴェネツィアのサンタルチア駅から電車で約40分程度、久しぶりに足を運んだ。パラディオの街だけに、彼以外の手がけた建築も古典主義のレベルが高い。以前、イタリア北部のコモを訪れたとき、ジュゼッペ・テラーニによるモダニズムの建築だけでなく、周りの集合住宅が十分に優れたデザインだったことを思い出した。ちなみに、ヴェネツィアは一部の建築を除き、割と構成や細部(バラストレードやアーチ)がラフであり、実はバラバラなのだが、その揺らぎこそが逆に魅力を生み出している。おそらく、日本人にとっては、ヴィチェンツァの古典主義建築は堅苦しいと感じられ、やや乱雑なヴェネツィアの方が親しみやすい。

規則に基づく古典主義に対し、知的な操作による創作の可能性を展開したのが、パラディオだった。昔来たときはなかったと思うが、彼の《パラッツォ・バルバラン・ダ・ポルト》(1569)を転用した、パラディオ博物館にまず入る。中庭や内部空間を体験できるだけでなく、数多くの模型を並べた展示がよかった。例えば、建設費のコストを抑えるため、かなりの部分が実は石造でないことを解説しており、やはり、柱頭など意匠の密度が高い細部に石を用いている。またモールディングはただの装飾ではなく、光と影を演出する彼の重要なデザインだという。パラディオによる透視図法を利用した劇場空間《テアトロ・オリンピコ》(1580-85)では、あまり大した内容ではなかったが、観光客へのサービスとして光と音のショーも行なうようになった。現代の展示空間を増築した《パラッツォ・キエリカーティ(絵画館)》(1609)では、地元の作家ベネデット・モンターニャやフランドル地方の影響など、ヴィチェンツァにおける中世以降の美術史をコンパクトに紹介する。この施設は地下にも企画展示室があり、展示デザインがよかった。



モールディングの展示(パラディオ博物館)




部位ごとの建材の説明(パラディオ博物館)




《パラッツォ・キエリカーティ(絵画館)》




《パラッツォ・キエリカーティ》の増築部分




《テアトロ・オリンピコ》


今回、初めて見学した《ガッレリア・デイタリア》は、パラディオの建築ではなく、17世紀にレオーニ・モンタナーリが建造したパラッツォを転用した現代美術館である。外観は細部が少しいびつになった程度だが、室内はリミッターを外し、やりたい放題のデザインで驚かされた。すなわち、古典主義の都市に対しては控えめな表情とする一方、超過剰なバロック的なインテリアを抱える。なお、美術館としては、ロシア・イコン画と夭折したイラストレーターのエレナ・クサウザの回顧展を開催していた。



《ガッレリア・デイタリア》のバロック装飾




フランチェスコ・ベルトスの彫刻《堕ちた反逆の天使》


2023/08/06(日)(五十嵐太郎)

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023 アルセナーレ会場ほか

[イタリア、ヴェネツィア]

アルセナーレ会場の冒頭におけるディレクターのガーナ系スコットランド人のレスリー・ロッコのステートメントが興味深い。ヴェネツィア・ビエンナーレ側が展示にあまりお金を出さないので、これまで金持ちの国や組織ばかりが出展していたことを批判していたからだ。なお、ジャルディーニ会場のパビリオンは場所を提供するだけで、展示費用の全額が各国の負担である。万博の形式と似ているが、実際にヴェネツィア・ビエンナーレは万博の時代だった19世紀末に誕生し、現在それだけのブランドを獲得しているから可能なシステムである。また2006年以降、筆者はビエンナーレの国際建築展を8回鑑賞しているが、これまで見たなかで日本人の出展者が最少だった(日本館以外では、藤貴彰の《ベネチ庵》くらい)。もっとも、ロッコが明確にアフリカ系の起用を掲げており、当然の結果だろう。歴史的な経緯から欧米はアフリカ系の人間が多いが、そもそも日本には少ない。逆に2010年に妹島和世がディレクターを務めたときはもっとも日本人のプレゼンスが高かった。後から歴史を振り返ると、これが日本の現代建築のピークだったと位置づけられるかもしれない。

なお、本体企画とは別だが、ビエンナーレの会期に合わせて、パラッツォ・フランケッティにおいて、隈研吾の「オノマトペ建築(Onomatopoeia Architecture)」展が開催されていた。新しい日本的な概念としてオノマトペ概念を説明しつつ、美しい写真と精巧な模型を並べ、空間構成や構造の解説は省略している。展示のトップは《国立競技場》(2019)だった。それゆえ、2016年に同じ会場でザハの回顧展を見た記憶が蘇る。このとき彼女が排除された国立競技場案は展示されておらず、代わりに未来的な技術を探るプロジェクトの数々が紹介されていた。



隈研吾による「オノマトペ建築」展(パラッツォ・フランチェッティ)


ところで、あまり指摘されていないが、実は今回のビエンナーレはキャプションが特徴的だった。すなわち、通常はただ解説が付いているのみだが、出品者の顔写真をカラーで添付し、制作関係者のクレジットを細かく記載している。したがって、写真によって女性(おそらく、過去最多だろう)やアフリカ系が多いことが一目瞭然だった。またチームとしての制作を重視する姿勢は、アルセナーレ会場とジャルディーニ会場の中央館のエントランスでも、ロッコの名前の後に、映画のエンドロールのような名前の長い列がパネルで掲げられていたことからも伺える。リサーチャーや秘書の名前まで入っていた。



「Black-Females in Architecture」展の展示キャプション


アルセナーレ会場では、キリング・アーキテクツによる中国の再教育施設の分析、フォレンジック・アーキテクチャーらのウクライナ調査を通じた都市起源の仮説、DAARのイタリア・ファシズム建築保存への問い、リアム・ヤングのSF的な未来など、映像に力作が目立った。また建築模型はフローレス&プラッツ、屋外のインスタレーションはデイヴィッド・アジャイ、国別はウズベキスタンの展示が印象に残る。もっとも、中途半端なアート風の展示が散見されたので、ベタな建築の紹介がもう少し欲しかった。ロッコの問題提起は興味深いが、それを理解するために、個人的にはアフリカの知られていない前提や文脈を共有すべく、もっとアフリカ各国の歴史と建築の背景を展示しても良かったのではないか。ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館が主催するアプライド・アーツ・パビリオンの「トロピカル・モダニズム」(特にガーナとイギリスの関係)の展示のみが、ちゃんと近代建築史を伝えており、こうしたタイプのコンテンツを充実させてほしかった。

なお、筆者が初めて名前を覚えた、貧者のための建築を実践したエジプトのハッサン・ファトヒーも本体企画では言及されておらず、ようやく別企画のパラッツォ・モラの展示に含まれていた。



キリング・アーキテクツによる中国の再教育施設の分析




DAARによる、イタリア・ファシズム建築保存に関する展示風景



フローレス&プラッツの展示室


ロイドの活動(アプライド・アーツ・パビリオン「トロピカル・モダニズム」展)



ハッサン・ファトヒーの展示(パラッツォ・モラ)



ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023:https://www.labiennale.org/en
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館:https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/j/architecture/2023



関連レビュー

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023 ジャルディーニ会場|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2023年09月01日号)
ZAHA HADID EXHIBITION AT PALAZZO FRANCHETTI |五十嵐太郎:artscapeレビュー(2016年10月15日号)

2023/08/05(土)(五十嵐太郎)

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023 ジャルディーニ会場

[イタリア、ヴェネツィア]

各国のパビリオンが並ぶビエンナーレは国際情勢を反映する場だが、ロシアによるウクライナ侵攻が発生したことを受け、ロシア館は閉鎖されており、若手建築家のユニット、アレクサンドラ・コヴァレヴァと佐藤敬がリノベーションを手がけた空間を見ることができなかった。また2008年はロシア館の手前の道にウクライナの展示があったが、今回は別の場所で久しぶりに出現し、重い問いを投げかけている。さて、「未来の実験室」というテーマを受け、全体の傾向として、ジャルディーニ会場は、土や水、環境やリサイクル、アフリカに関わる展示が多い。また建築のプロジェクト紹介が少ないのも特徴だろう。両会場を通じて、アフリカ系のデイヴィッド・アジャイとフランシス・ケレ、中国のネリ&フーらは出品していたが、欧米のスターアーキテクトがほとんど不在だった。生涯功績による金獅子賞を受賞したナイジェリア人のデマス・ヌゥオコも、今回らしい選び方だが、決して有名ではない。したがって、空気を読まず(?)、堂々と国家の建築プロジェクトを展示したハンガリー館が、かえってユニークに感じられた(アルセナーレ会場では、中国館が上海のプロジェクト群を紹介)。



デイヴィッド・アジャイの模型(中央館)




生涯業績賞となったナイジェリアの建築家の展示(ジャルディーニ会場)




国家プロジェクトを紹介するハンガリー館


大西麻貴(o+h)らがキュレーションした日本館は、さわやかな印象だった。吉阪隆正が設計したパビリオンを読み解き、モノに生命を与えるプロセスを通じて、o+hの作品のテーマでもある「愛される建築」を掘り下げる試みである。これは建築そのものに向き合うことを意味しており、筆者が企画した「かたちが語るとき」展(2020-21)や「装飾をひもとく」展(2020-21)の視点からも、興味深い内容だった。



日本館のピロティを覗き込む


ちなみに、筆者も関わった日本館のキュレーターの選考は、そもそも毎回ディレクターやテーマがはっきりしない段階で始まるが、ほかの館との同時代性も感じた。例えば、パビリオン自体を題材とすること(スイス館、ドイツ館など)、有機体としての建築(ベルギー館)のほか、素材、リサイクル、記憶への関心、多様な構成メンバーなどである。



ベネズエラ館との壁を取り払ったスイス館


個人的には、オーストリア館が最高だった。前々から気になっていた、ビエンナーレの拡大と増殖による会場外の展示や開催期間における公園の占有に対し、パビリオンを街=市民に開くため、敷地の境界線をまたぐ橋を提案していたからである(最初は敷地の壁に出入口を設ける案だった)。しかし、当局から許可されず(そのやりとりも公開)、橋の建設が中断されたままになっていた。会場の隅に位置するオーストラリア館の場所を生かしたダイナミックなプロジェクトは、ヴェネツィア・ビエンナーレの制度に対する批判としても刺激的である。



塀を越える橋の模型(オーストリア館)



中断された橋の建設(オーストリア館)



ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023:https://www.labiennale.org/en
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館:https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/j/architecture/2023



関連レビュー

ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2023 アルセナーレ会場ほか|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2023年09月01日号)

2023/08/04(金)(五十嵐太郎)

第11回ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展

会期:2023/07/22~2023/10/15

広島市現代美術館[広島県]

2018年にヒロシマ賞第11回の受賞者としてアルフレド・ジャーが選ばれたことが発表されたが、コロナ禍に加え、美術館の改修が入り、受賞記念展はかなり遅れて2023年に開催された。これは3年に一度の賞であり、モナ・ハトゥムによる第10回の受賞記念展が2017年だったから、丸1回分飛んだ格好となる。「美術の分野で人類の平和に貢献した作家の業績を顕彰」するヒロシマ賞の趣旨から言えば、ジャーはいつ選ばれてもおかしくなかったが、展覧会が遅れている間に、ロシアによるウクライナ侵攻が発生し、結果的に彼の活動がさらに意味をもつタイミングになった。

通常はコレクション展に使う北側のエリアを会場とし、前半は広島に投下された原爆をモチーフとする作品を中心に構成されていた。特に新作《ヒロシマ、ヒロシマ》(2023)の映像は、広島の空を飛ぶドローン(=原爆のまなざし)が真上から原爆ドームに近づく。そしてむき出しになった屋根の鉄骨がホイール状に見えることが認識されると、類似した形状のサーキュレーターが、突如、背後から出現し、鑑賞者に向かって強い風を吹き付ける。階段を降りると、円形の中庭において生誕を祝福したり、難民の生を想う作品が続く。最後のパートにおける《サウンド・オブ・サイレンス》(2006)と《シャドウズ》(2014)は、鑑賞者が強烈な光に晒され、写真ジャーナリズムのインパクトを目に焼き付ける。《ヒロシマ、ヒロシマ》と同様、鑑賞者が距離を置いて安心して見ることを許さず、作品が突き刺さるように、身体に入り込む。ジャーは建築家としてのアイデンティティももつが、中庭を室内化したり、インスタレーションを効果的に挿入するなど、空間の使い方が巧みである。



《ヒロシマ、ヒロシマ》(2023)



《サウンド・オブ・サイレンス》(2006)の展示ボックスを外から見る




《われらの狂気を生き延びる道を教えよ》(1995-2023)



なお、広島市現代美術館は、2023年3月にリニューアル・オープンしたが、外観の印象は変わらない。側面にカフェと多目的スペースのガラス空間を増築したほか、ショップの移動、設備の補修、機能の更新、劣化した部分の改修、新しい什器の導入などが行なわれた。やはり、黒川紀章によって設計され、1989年にオープンした元の公共建築は、日本が豊かな時代であり、内装に良い材料を使っていたらしい。また館内のピクトグラムやフォントのサインも更新しつつ、街の文字を探索するプロジェクトをメディアライブラリにおいて展示していた。



増築された側面(広島市現代美術館)



中庭に屋根をかけ、室内化した展示室(広島市現代美術館)



美術館のプランをかたどった什器(広島市現代美術館)



街中のフォントを調査し、館内のサインに生かす「新生タイポ・プロジェクト」(広島市現代美術館)



公式サイト:https://www.hiroshima-moca.jp/exhibition/alfredo_jaar/

2023/07/30(日)(五十嵐太郎)

ガウディとサグラダ・ファミリア展

会期:2023/06/13~2023/09/10

東京国立近代美術館[東京都]

現在も建築学科への志望動機としてガウディのサグラダ・ファミリアがときどき挙げられるように、相変わらず人気が高いことを感じさせる会場の混雑ぶりだった。日本では、数年おきくらいのペースでガウディ展が開催されているが、切り口は変化しており、装飾が注目されたり、コンピュータによる構造解析を示すなど、時代を反映している。今回は、第1章「ガウディとその時代」では19世紀末という時代背景、第2章「ガウディの創造の源泉」では彼のアイデンティティを形成した要素、第3章「サグラダ・ファミリアの軌跡」では聖堂の経済状況の推移(やはり、コロナ禍では収入が激減)、細かい造形の手法分析、最後の第4章「ガウディの遺伝子」では研究史や後の現代建築への影響(構造家へのインタビュー)などを解説し、新鮮な内容だった。もっとも、第3章のエリアに入ると、ずっと先の部屋の映像で流れる音楽がずっと聴こえたり、最初は人がぎゅうぎゅうになる高密度で、ラストはスカスカの会場のあり方が気になった。



全体模型(「ガウディとサグラダ・ファミリア展」より)



巨大な断面模型(「ガウディとサグラダ・ファミリア展」より)



ねじれを示す柱頭の模型(「ガウディとサグラダ・ファミリア展」より)



彫像(「ガウディとサグラダ・ファミリア展」より)


展示の第3章では「ガウディ時代」と「ガウディ以降」を切り分けているが、やはり現在も建設される聖堂は、彼とは別物という以前から抱く思いも改めて強くなった。だからこそ、展覧会のタイトルも「ガウディとサグラダ・ファミリア」なのかもしれない。個人的にはステファン・ハウプト監督のドキュメント映画『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』(2012)で描かれたように、ル・コルビュジエ、ミロ、ニコラウス・ペヴスナーらの著名建築家、歴史家、芸術家が死後の建設継続に反対声明を出したことや、彫刻の表現をめぐるクレーム、近隣との工事上の確執などにも触れてほしかった。「ひとりの天才による造形」というのは近代的な発想であり、建設時期によってデザインが変わることは、むしろ時には完成まで数百年かかるゴシックの大聖堂では当たり前のことだろう。こうした諸問題も抱きとめながら、さまざまな人の想いでサグラダ・ファミリアはつくられ、未完ながら社会的な存在になっている。もっとも、そうしたことを紹介すると、スペインから資料を貸してもらえないのかもしれない。



古い降誕の正面(2017年にバルセロナで撮影)



新しい西側ファサード/受難の正面(2017年にバルセロナで撮影)



日没直前の堂内/サグラダ(2017年にバルセロナで撮影)



公式サイト:https://gaudi2023-24.jp/

2023/07/21(金)(五十嵐太郎)

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