artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
台北と高雄 流行音楽中心の建築と展示
台湾では、ついにOMAによる《台北パフォーミングアーツセンター》がオープンしたが、ほかにも海外の建築家による現代建築が登場している。ここでは台北と高雄の流行音楽中心(ミュージックセンター)を紹介しよう。いずれもホールや音楽関連の施設、そしてポピュラー音楽の歴史に関する展示空間を備えている。
台北では、巨大ビルの開発が進行中の南港エリアに行くと、ライザー+梅本による《台北流行音楽中心》が、コンサートは開催されていなくても、日曜日の出店で大賑わいだった。これは音楽育成のための産業区の棟と音楽史をたどる文化館が広場を挟み、さらに空中ブリッジで道路を横断すると、ギザギザで多面体的な造形の派手なホールがあり、想像以上に大きい。上部が外に張りだすデザインは過剰だが、よく考えると、街中のビルも2階より上を前面にだすことで、雨に濡れない通路を提供しており、これと同じ機能をもつ。文化館は、1930年代からの流行音楽史を紹介し、ヘッドフォンをつけてまわるが、音とともに時代・背景の変化を工夫して展示していた。1970年代にフォーク、80年代になると、ロックやアイドルといった流れは、日本と似ている。もっとも、80年代における政治的な民主化がもたらした「自由」は日本と比べて、重みが違う。権利関係をまとめるのは大変そうだが、日本にはこういう通史の常設施設がない(古賀政男音楽博物館はあるけど)。文化館はエレベータで最上階にのぼってから降りるという動線だが、ルートの途中、ガラス張りの階段を使うとき、ほかの2棟を見下ろすことができ、施設の全容がわかる。
4年前に訪問したときはまだ工事中だったが、スペインの建築家、マヌエル・モンテスリンによる水辺の《高雄流行音楽中心》も完成していた(もともとコンペでは、平田晃久案が惜しくも2位だった)。巨大な建築だが、これに沿って路面電車のルートが設定されているので、アクセスはしやすい。八角形を反復するデザインは、遠くからも見え、奇抜な造形だが、近づくと、内部の構造とは関係がなく、完全なハリボテである。フランク・ゲーリーの建築は、ハリボテでもカッコいいけど、残念ながら、そのレベルには達していない。さて、その展示は、台北と同様、ポップスとロックの歴史をたどる。こちらはインタラクティブな仕掛けを多用し、スタイリッシュだが、外国人にとっては、エリアごとに音を自動再生する台北の方が親切だった。いずれにしろ、音楽の展示は難しい。ちなみに、筆者以外に来場者は誰もいなかった。
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2023/04/05(水)(五十嵐太郎)
台湾のリノベーション事情
[台湾]
台湾を訪れるたびに新しいリノベーションに出会う。台南では、《林百貨店》(1932)の再活用は有名だが、藤本壮介が8階建ての古いビルを改造し、2022年にオープンした《南埕衖事》には驚かされた。なにしろ、カフェなのに、入場券を購入する行列が生まれていた。そしてビルに入ると、フロアをスケルトン化し、迷宮のような階段が展開されている。ここが人気のフォトスポットだった。前橋の《白井屋ホテル》のリノベーションでも、ピラネージを想起させる階段はあったが、それよりもさらに複雑である。カフェの面積を削ってしまうくらい、必要以上に大きな階段のスペースだが、だからこそ思い切りの良さが新しい名所を生み出したのだろう。
新北市立図書館に隣接するエコロジカル・パークを散策すると、生態系のランドスケープに混ざって、橋の向こうに二つの近代建築をスケルトン化しつつ、廃墟のような点景として残されたものがあった。これは特に用途は定められておらず、内部にも入れないが、明らかに鉄骨で補強しているので、意図的に保存したようだ。今後、活用されるかもしれない。
台北では、台北101のすぐ近くにある四四南村を訪れた。日本統治時代にさかのぼる古い建築群をリノベーションしたエリアだが、いま見ると、こぢんまりとしてスケール感がかわいい。また店舗のセンスやインテリアも優れている。隣接するランドスケープは散りばめられた家型を表現し、既存建築に合わせていた。また宜蘭を拠点に活躍するフィールド・オフィス・アーキテクツと7人のアーティスト(映像、ダンス、彫刻など)のコラボレーション展「超出建築 beyond architecture」を開催していた台北当代芸術館を訪問したことで、同館の東側に《中山蔵芸所》が保存されていたことに気づいた。いずれも日本統治時代の建築である。
国立台湾博物館の2020年にオープンした「鉄道部パーク」は、森山松之助が設計した《交通局庁舎》や《八角楼》(トイレ)などをリノベーションした施設だった。敷地内に円錐形の防空壕もあり、台湾の鉄道史(駅、ホテル、橋、トンネルなど、建築土木の内容も多い)、建物の保存活動を紹介する展示がよく工夫されている。
鉄道工場跡地の《台北機廠》(1935)のリノベーションも進行中であり、おそらく、日本以上に台湾は、かつて日本が建設した近代遺産の活用に積極的である。ここは博物館が予定されているらしい。都心の空軍総司令部跡地は、C-LAB(文化やイノベーションの拠点)+公園にリノベーションされると聞いて、足を運んだが、まだ工事中のエリアが多く、施設全体の本格的な稼働はこれからだった。銃眼を備え、トーチカに転用可能な門、防空施設の遺跡などが文化財として残る。
2023/04/03(月)、06(木)(五十嵐太郎)
レオナルド・ダ・ヴィンチめぐり
[イタリア、ミラノ・フィレンツエ近郊]
今回のイタリア滞在では、自動車を使い、ミラノとフィレンツエの近郊にあるレオナルド・ダ・ヴェンチゆかりの地をまわった。まずミラノ近郊のヴィジェーヴァノの《スフォルツェスコ城》へ。新しい施設の「レオナルディアーナ」は、現代的なディスプレイによる複製品・模型のみで構成しつつ、絵画から都市計画まで、レオナルドの幅広い仕事を紹介する。ほかに《ブラマンテの塔》や、スケッチに描かれた厩など、ダ・ヴィンチに関連する施設を見学した。ちなみに、ヴィジェーヴァノは、中世的な街並みに挿入された近世的な広場のデザインが有名である。
続いて、彼が滞在し、大学で解剖を見学したというパヴィーアを訪れた。ミラノから約30kmの地方都市である。ここではダ・ヴィンチ広場(ドゥカーレ広場)の三つの塔を見学した。またブラマンテやダ・ヴィンチが関わったというドゥオモ(街のランドマークとなる教会堂)が存在する。その堂内に入ると、かなり巨大なドームをもち、集中式を追求するまさにルネサンス的なプランだった。イタリアは、かもしれないというレベルで、ダ・ヴィンチの痕跡があちこちに散らばる。
フィレンツェから約1時間のヴィンチ村は、彼の名前が「ヴィンチ村のレオナルド」を意味するように、出生の地である。小さな村だが、各種の複製や模型を活用し、透視図などさまざまな切り口で紹介する展示施設、博物館、ライブラリー、レオナルドの仕事に着想を得た現在のオブジェやアートを分散させ、これらをめぐると、村を周遊できるという仕掛けだ。もっとも、模型などの展示は、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館が充実しており、あまり新しい発見はなかったが、彼が生まれ育った場所には大きな意味がある。なぜなら、生誕500周年を記念して修復されたレオナルドの生家が残っているからだ。ここでは20世紀半ばに行なわれた修復や記念事業の映像も流している。個人的に印象的だったのは、石造の部屋の窓や近くの建築から眺める田舎と山の風景だった。大都市と違い、ほとんど人工的な構築物がないので、おそらく昔と比べても、それほど劇的に変わっていないと思われる。実際、ダ・ヴィンチの絵画の背景に描かれた風景を想起させるだろう。
2023/03/18(土)、20(月)(五十嵐太郎)
トリノの建築とダリオ・アルジェント
[イタリア、トリノ]
これまでは外見のみで、内部に入るのは初めての《モーレ・アントネッリアーナ》(1889)を訪れた。独特の形状からそうかもしれないと思ったが、もともとはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)として依頼されたものの、建築家アレサンドロ・アントネッリの計画が誇大化し、施主が離れるという特殊な経緯でつくられたトリノのランドマークである。まだモダニズムになる前の19世紀末の過渡期のデザインとその後に施された補強が興味深い。吹き抜けの中心を貫く驚異的なエレベータで昇ると、展望台からの眺めは抜群で、遠くのアルプスは街の原風景になっていることがわかる。現在、ここは国立映画博物館となり、常設は視覚技術の進化から映画の誕生、そしてさまざまな角度からの映画史を紹介する。今回の目的は、イタリアのサスペンス、ホラー映画の巨匠、ダリオ・アルジェントの企画展だった。動物やアートがよく登場するといった作品の特徴、ロケ地を紹介するが、日本未公開の作品が結構多い。そして最後にタランティーノ、ギレルモらに加え、吉本ばなながコメントを寄せる。
実はアルジェントの美学が全開の映画『サスペリア2 Profondo Rosso』(1975)の舞台となったのが、トリノである。まず冒頭の印象的な劇場は、カリニャーノ宮の向かいの《テアトロ・カリニャーノ》だが、残念ながら、室内の赤い空間には入れなかった。
すぐ近くのロケ地、ガラス・ブロックを用いたガレリア・サン・フェデリコを散策すると、映画館があり、ここでもおそらく当時『サスペリア2』を上映したはずだ。特に現地で確認したかったのは、トリノに以前訪れた際は見た記憶がなく、こんな場所があったのか? と後日思ったサンカルロ広場の手前の彫像である。なるほど実在したが、構図のシンメトリーを強調することで、それをさらに引き出したのが、映画なのだと納得した。そもそもトリノは絵になる整然とした都市デザインをもつ。
惨劇が起きた不気味な屋敷として描かれた《ヴィラ・スコット》(1902)も見学したかった建築である。リバティ様式のラベルだけでは片付けられない奇妙な装飾が気になったからだ。これは郊外に実在し、丘を登って現地に足を運ぶ。映画では廃墟だったが、いまは高級な住宅として使われていた。アルジェントの魔術でかなり印象を変えていたことがうかがえる。
DARIO ARGENTO - The Exhibit
会期:2022年4月6日(水)〜2023年5月15日(月)
会場:Museo Nazionale del Cinema(Montebello, 20 10124 Turin, Italy)
2023/03/15(水)、16(木)(五十嵐太郎)
イタリアの展示デザインとリノベーション
[イタリア]
日本の美術館で展示デザインに建築家が関わることは増えているが、現場にそれが明記されることは少なく、チラシやカタログなどを注意深く観察すると、名前を発見できる。しかし、イタリアのミラノではそうでなかった。スフォルツァ城内のロンダニーニのピエタ美術館は、ミケランジェロの未完ゆえに、現代アート風にも解釈しうる有名な彫刻を展示している。中央に彫刻が1点置かれているだけで、ほとんどの来場者はそれを鑑賞して帰るのだが、奥では過去の展示デザイン、また脇に小部屋が並び、これまでの台座の変遷を紹介していた。例えば、回転する台座の実物があったり、以前のイタリアの建築家グループBBPRによるデザイン、コンペで勝利したものの実現されなかったアルヴァロ・シザの案、そして現在の展示空間を手がけたミケーレ・デ・ルッキを説明している。すなわち、いかに展示したかも歴史化されており、その情報を開示しているのだ。またブレラ絵画館では、ベッリーニやマンテーニャなど、イタリアの近世美術を展示しつつ、近現代作品も混入したり、顔の描き方はヘンだが、背景の建築は精密に描くブラマンテの絵もあって楽しめるが、感心したのは、やはり建築家を重視していること。すなわち、見せる収蔵庫の一部や修復作業を公開する部屋をエットレ・ソットサスが担当していることが、キャプションに明記されていた。
ちなみに、今回、ロンダーニのピエタ美術館以外にも、ミケーレ・デ・ルッキが美術館の空間デザインによく関わっていることを知った。まず20世紀初頭の銀行と4つのパラッツォを連結した巨大な美術館、ミラノのガッレリア・デイタリアは、企画展「メディチ家からロスチャイルド家まで──パトロン、コレクター、フィランソロフィスト」を開催し、主に銀行家コレクションの数々を紹介していたが、常設展のエリアにおいてカーテンを効果的に用いるなど、ルッキによるリノベーションの空間だった。またトリノの地下空間を活用したガッレリア・デイタリアも、ルッキのリノベーションである。こちらはJR展を開催しており、隣接する広場で難民の子どもたちの巨大写真を広げ、空から撮影した作品を紹介していた。大勢の人の協力で実現される水平のモニュメントは、シンプルだけど強い作品である。
From the Medici to the Rothschilds. Patrons, collectors, philanthropists
会期:2022年11月18日(水)~2023年3月26日(日)
会場:Gallerie d'Italia in Milan (Piazza della Scala, 6 20121 Milano)
JR. Déplacé∙e∙s
会期:2023年2月9日(木)~6月16日(金)
会場:Gallerie d'Italia in Turin (Piazza della Scala, 6 20121 Milano)
2023/03/12(日)(五十嵐太郎)