artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
東日本大震災復興支援「つくることが生きること」神戸展
会期:2013/01/17~2013/01/27
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]
2011年3月から始まった東日本大震災復興支援プロジェクト展「つくることが生きること」の神戸展。東日本大震災復興支援活動をサポートするアートプロジェクト「わわプロジェクト」と2012年8月に開館したKIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)との共同開催で、会期中の土日には阪神・淡路大震災、東日本大震災の復興プロジェクトに関わるアーティストやクリエイターによるトークセッション、ワークショップなどのイベントも多数行なわれた。日本と核の問題にアプローチした全長30メートルの椿昇の巨大バルーン作品、岩手県陸前高田市の震災前と震災後の光景を撮影した畠山直哉と、阪神・淡路大震災直後の神戸を撮影した宮本隆司の写真を巨大スクリーンに投影する展示をはじめ、会場では、東北を中心に活動する復興リーダーたちが等身大でモニタ画面に登場し、これまでの想いを語るインタビュー映像や、阪神・淡路大震災後行なわれてきた支援活動をアート、デザイン、建築の分野別に立体的な年表にしたインスタレーションなど、さまざまな支援プロジェクトの記録や作品が紹介されていた。どの活動も、生きる、という人間の切なる欲求と願い、喜びからつながってきたもので強く打たれる。私もだが、ここに来た多くの人たちの意識に一石を投じるものだったに違いない。まだこれから続く復興に向けて未来に繋いでいかねばならない言葉が詰まっていた展覧会。
2013/01/22(火)(酒井千穂)
ここに、建築は、可能か(第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館帰国展)
会期:2013/01/18~2013/03/23
TOTOギャラリー・間[東京都]
昨年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を獲得した日本館の展示を再構成したもの。国際建築展のコミッショナーは伊東豊雄、参加作家は乾久美子、藤本壮介、平田晃久、畠山直哉で、東日本大震災後に岩手県陸前高田市に建てられた「みんなの家」の模型、図面、写真、映像などのドキュメントが展示されている。圧巻は百数十個にもおよぶスタディ模型。だれのための、なんのための建築なのか、あれこれ考え試行錯誤した形跡がうかがえる。ひょっとしたら日本の建築家はようやく本気で建築に取り組まざるをえなくなったのかもしれない。
2013/01/22(火)(村田真)
アーティスト・ファイル2013──現代の作家たち
会期:2013/01/23~2013/04/01
国立新美術館[東京都]
「特定のテーマを設けず、国内外で注目すべき活動を展開する作家を個展形式で紹介する」という、押しつけがましさのない、ある意味愚直なアニュアル展。と思ったら毎年開催というわけでもなく、昨年は休んで今年にズレ込んだみたい。年度でいえばまだ2012年度だけどね。今回は海外3人を含む計8人の出品。なにげに海外作家が増えているような気がする。韓国のチョン・ヨンドゥは、子どもの描いた絵とそれを現実化して撮影した写真を併置した作品と、老人の語る話を動画化した映像の出品。これはおもしろいけどありがちだなあ。インドのナリニ・マラニは、円筒形の透明アクリルシートに社会問題をテーマにした物語画を描き、光を当てて壁に影絵のように映し出すインスタレーション。これは昨年の「ドクメンタ13」で見たが、土着的な祝祭性と批評性を併せもつ表現は洗練されてないものの、時流におもねらない姿勢に強度を感じた。洗練されず、時流にもおもねらない愚直さは國安孝昌にも通じる態度だ。形態に大きな動きが出てきたとはいえ、巨大空間に何千、何万個もの陶片と丸太をひたすら積み上げていくマゾ的作業は、初めて見た4半世紀前と変わらない。ここにはナリニ・マラニと違って批評性は感じられないが、何十年も同じ作業を繰り返していくこと自体に批評性がはらまれているともいえる。また、延々と正面向きの子どもの顔ばかりを描き続けている中澤英明の絵画にも似たようなことがいえる。一見いまどきありがちな絵にも映るが、一人ひとりの奇矯ともいえる個性を古典的な技法で表出させた作品は、とりもなおさずアートが社会に存在すること自体の批評性を物語っているようにも感じられるのだ。
2013/01/22(火)(村田真)
Non-Linear/非線形プロジェクト「What’s Next?」
会期:2014/01/18~2014/02/09
ARTZONE[京都府]
作家それぞれの新作の出品。作品が隣にあるというぐらいの作品同士の関係性で、展開もあまり設定されていない、それぞれのブースのようにシンプルすぎる構成。さらに企画者の意図やテキスト、テーマ性への解説もない。企画意図のはっきりしない展示と考えるとそれまでだが、本展のキュレーターであるイ・ハヌルのそれに対するひとつの意志表示と考えると興味深い。
キュレーターというと、作家との関係は、共犯関係であったり、もしくは目撃者としての立場などあると思うが、彼女の場合、またそれと少し違う。話をきくと「作家の作品を見続けたい」というような立場。作家への展示の依頼のときも、「作家のいままでにしてないことをしませんか」という提案をしていたそう。作家との付き合いも、「作家が驚くほど私に本音でいろいろ話してくれた」ということからも作家側からも美術館学芸員のような立場とは違う接し方だったこともわかる。どこまで彼女が意図していたかはわからないが、とはいえその意志はにじみ出るもの。作家のコメントが撮影された映像が上映されていたが、逆に質問者(企画者)の存在が目立つかたちとなっていたこと、そして出品作家の作品は映像的であることから、(特にプロジェクト名にも関されている)ノンリニアという言葉でテーマとしてくくられているようにも想像すると興味深いところもある。
痕跡としての作品から本人が動いている制作プロセスが想起させられる桜井類。関連して展示されていたHAPS(京都市東山区)で実物展示を見せつつ、そのものを平面に落とし込み、目の前の版と実物を関連づける金光男。暗い部屋でブラックライトと白い糸を組み合わせ、動・不動を骸骨モチーフで象徴的に提示する松原成孝。彼らは、自分であったり身の回りの物事、自信のイメージの一瞬一瞬を連続的にとらえるような映像的な意図も読み取れる。
本展ではそれをつなぐ役割はキュレーターではなく、鑑賞者それぞれであり、展覧会が鑑賞者によってつくられるようなさまざまな余白を残していたということだろうか。「what`s Next?」(次は何?)というタイトルを以て最大の説明であり、キュレーターとしての「愛」なのだと感じる。
2013/01/22(木)(松永大地)
坂口恭平 新政府 展
会期:2012/11/17~2013/02/03
ワタリウム美術館[東京都]
ワタリウム美術館の坂口恭平展へ。個人的には、彼自身よりも、まず彼を受容する坂口現象に興味がある。ネタとしての天才・会田誠ではなく、尾崎豊のようなベタな天才肌だ。今回、多くのドローイングを見ながら、彼は造形の人ではなく、本質的にアウトサイダーアート的な絵描きなのではないかと気づく。同時開催の森本千絵にも同じ匂いがあり、ワタリウムは一貫している。坂口の路上観察にはあまり新しさを感じないが、ゼロセンター以降の動きは、とことんその先を見たい。美術館の近くにゼロセンターを立ち上げる実行力もさすがだ。ただ、美術館内は撮影禁止である。0円主義なら、スケッチやアイデアの画像所有権にこだわらず、どんどん来場者に撮ってもらい、思想を拡散させればよいのに。
2013/01/20(日)(五十嵐太郎)