artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
有元伸也「ariphoto 2013 vol.1」
会期:2013/01/15~2013/01/27
有元伸也は、自分の名前を冠した「ariphoto」と題するシリーズの発表を、2006年から年数回のペースで続けている。最初から6×6判のモノクローム路上スナップ、しかも新宿界隈のみで撮影というルールは厳格に定まっており、いささかの揺るぎもない。だが、会場に置いてあった、初期作品をまとめて掲載した写真集と今回の作品とを比較すると、微妙な違いがあらわれてきていることがわかる。
最初の頃は、中心となる被写体にストレートにカメラを向け、それを画面の中心に据えるような写真がほとんどだった。ところが近作になると、レンズがやや広角になり、被写体の周辺の雑踏を写し込むようになってきている。しかも、やや高い歩道橋のような場所から街を俯瞰した写真や、ホームレスらしい老人の頭(傷口がホッチキスのような金具で留められている)の上から覗き込むように撮影した写真など、多様なアプローチが目につくようになった。つまり、街頭のさまざまな要素が多次元的にせめぎあう様子に、有元の関心が向き出しているということではないだろうか。
このような変化は、僕には好ましいものに思えた。有元の路上スナップはもはや古典的と言えるほどの風格を備えているが、その完成度は諸刃の剣とも言える。2000年代以降、都市の構造が流動的に変質し、彼自身の生のあり方も変わっていくなかで、写真もまた脱皮を重ねていくべきではないだろうか。それこそが、彼自身と写真とが融合した「ariphoto」の本来あるべき姿であるはずだ。
2013/01/17(木)(飯沢耕太郎)
風間サチコ展「没落 THIRD FIRE」
会期:2012/12/08~2013/01/19
無人島プロダクション/SNAC[東京都]
風間サチコほど同時代と向き合い、それを表現しようと格闘しているアーティストはいないのではないか。東日本大震災以後、原子力発電所という戦後日本にとっての内なる敵を表現するアーティストは依然として数少ないが、そうしたなか風間こそ最も突出してすぐれたアーティストであることを、本展は証明した。
その理由は、同時代の主題に取り組む類まれな粘り強さが、作品の端々からにじみ出ており、それが見る者にたしかに伝わってくるからだ。それは版画というメディアに由来する制作技法上の持久力ばかりではない。風間は作品を制作する前に徹底したリサーチを繰り返しており、歴史の知られざる事実を掘り起こすことで、それらを作品のなかに巧みに取り込んでいる。原発事故を起こした福島第一原発が建つ土地には、かつて陸軍磐城飛行場があり、多くの若者たちが特攻隊員として戦場に飛び立っていた。しかも長崎に原爆が落とされた1945年8月9日、米軍による空爆によってこの基地は壊滅したのである。
風間サチコの版画作品には、こうした歴史的事実と時事的な出来事が造形面でみごとに融合しているが、その根底には言いようのない怒りが満ち溢れている。それは、原爆を日本人の頭上に落としたばかりか、それと同じ原子力の平和利用を嘯きながら原発を日本に売りつけた米国への怒りであり、それを積極的に受容して、原発事故以後も強引に再稼働を推し進めようとする財界人への怒りであり、こうした事態をみすみす甘受してしまっている私たち自身への怒りでもある。
《噫!怒涛の閉塞艦》は、風間の粘り強い怒りがみごとに昇華した傑作である。横幅4メートルを超える大作で、荒波のなかを突き進む戦艦を描いているが、その艦上には水素爆発した福島第一原発と東京電力の本店が見えている。後景には広島と長崎の原爆によるキノコ雲と、1954年にアメリカの水爆実験によって被曝した第五福竜丸、そして日本初の原子力船である「むつ」の亡霊。それらを飲み込むほど迫力のある荒々しい海波は、戦時中の軍艦を勇ましく描いた絵はがきから引用されたという。つまり、戦争に突き進む高揚感と破滅を重ねあわせながら原子力をめぐるクロニクルを描き出したのである。
この戦艦が向かう先は目に見えている。これを止めるには、私たちは「怒りの持久力」をもっと学ばなければならない。
2013/01/17(木)(福住廉)
「クリムト 黄金の騎士をめぐる物語」展
会期:2012/12/21~2013/02/11
愛知県美術館[愛知県]
愛知県立美術館の「クリムト 黄金の騎士をめぐる物語」展は、重要なコレクション作品に焦点をあてるが、クリムトの絵画そのものはさほど多くなく、むしろその文化的、あるいは時代の背景をていねいに紹介する。個人的には、彼らの雑誌『ヴェル・サクルム』の各号、ホフマンやモーザーによる家具のデザインなど、周囲の状況に関心があるので、興味深いものだった。当時は議論を巻き起こしても、いまや歴史化されているのを見ると、グループを結成し、自ら雑誌をつくり、展覧会を行なうことの重要性を改めて感じる。それにしても、象徴主義から影響を受け、独自の世界観を生んだクリムト的なものは、ひとつの発明であり、その後のサブカルチャーにも充分浸透していた要素だと改めて思う。
2013/01/16(水)(五十嵐太郎)
澤田知子「SKIN」
会期:2013/01/12~2013/02/24
MEM[東京都]
12点のシリーズ。すべて同じブティック内で撮った下半身のみの写真だが、スカート、ストッキング、靴、そしてポーズはすべて異なっている。足は細めなので失礼ながらご本人ではないようだ。ということは、これまでのセルフポートレートから一歩踏み出す新たな展開ということになる。解説によると、これは偶然重なった2本の制作依頼のうちのひとつで、「産業、社会と領域」をテーマにしたもの(ちなみにもうひとつの制作依頼は「サイン」で、これは国立新美術館の「アーティスト・ファイル」で発表するらしい)。なぜスカートやストッキングが産業や社会に結びつくのかといえば、女性の社会進出に関係があるそうだ。ここからジェンダー問題を浮かび上がらせることもできるが、しかしはっきりいって澤田本人の顔が写ってないのが最大の弱点だろう。
2013/01/16(水)(村田真)
森田浩彰「交換・・作/備/品」
会期:2012/12/14~2013/01/20
ナディッフギャラリー[東京都]
ベンチ、傘立てのカギ、エスカレーターの透明な仕切り板、小さな譜面台みたいな表示板などが置かれ、床に「MOT」印の紙やゴミが散乱している。森田は今年の「MOTアニュアル」にも参加しており、あちらの展示と呼応しているようだ。一種のリプレイスメントですね。ということはしかし「MOTアニュアル」を見てない人にはおもしろさが伝わりにくいし、ましてや「MOT」がなんのことか知らない人には単なるガラクタでしかない。ちょっとシャレた配置のガラクタ。
2013/01/16(水)(村田真)