artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

新incubation4「ゆらめきとけゆく──児玉靖枝×中西哲治 展」

会期:2012/06/16~2012/07/13

京都芸術センター[京都府]

久々に京都へ。「インキュベーション」はベテランと若手を対比的に見せる意欲的な(ときに残酷な)シリーズ。まず児玉靖枝だが、これまでの木を描いた絵のほかに、海中を描いた新作《わたつみ》も出している。木のほうは、フラットな地塗りの上に1本の木の枝や葉を描いた単体描写と、森林のように1本1本の木が識別できない情景描写の2通りあって、児玉の関心のありようがうかがえる。《わたつみ》のほうは海中を横から見たもので、画面中央部が深緑におおわれ、上下は色が少し薄くなっている。つまり海面と海底がわずかに示唆されており、画面の中央部が奥深く感じられる。絵画はたいてい垂直に立てられ、水平方向に広がる奥深さを表わすものだから、これは絵画空間そのものへの関心に基づいていると推測できる。それに対して、中西哲治の関心のありようはまったく異なっている。中西は工事現場や街角など身近な都市風景を大胆なストロークで描く。いや、都市風景を描くというより、風景をモチーフに「内的感情」を表現しているというべきかもしれない。もとより大きな筆で激しく描けば「感情的」と見なされ、抽象に近づいていくが、中西の絵はその一歩手前で踏みとどまっているような印象だ。どちらも見ごたえのある展示。関西ってなんでこんなに絵画の意識が高いんだろう。

2012/06/16(土)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00017834.json s 10037051

植田正治「童暦・砂丘劇場」

会期:2012/06/05~2012/07/01

JCII PHOTO SALON[東京都]

植田正治が1971年に刊行した写真集『童暦』(中央公論社)は、僕にとっても忘れがたい写真集だ。当時『カメラ毎日』の編集部員だった山岸章二が企画・編集した「映像の現代」シリーズの第3巻として刊行されたこの写真集は、山陰地方を拠点に活動する「地方作家」であった植田の名前を、一躍全国に知らしめるものとなった。僕自身もこの写真集で彼の写真の面白さに開眼したひとりであり、何度見直しても驚きと感動を覚える。山陰の風土とそこに生きる人々の姿を、四季を通じて撮影したドキュメンタリーとしてももちろん優れた成果なのだが、それ以上に小さな子どもたちの存在のはかなさと輝きが、詩情とともに浮かび上がってくる、極めつきの名作と言えるだろう。
今回の展示では、ペンタックスカメラ博物館に旧蔵され、2010年に日本カメラ財団に移管された、その「童暦」シリーズの代表作を見ることができた。ただし、写真集の『童暦』に収録されたものとは微妙に構図が違う、別カットのプリントも含まれているのが興味深い。植田が、いったん作品を写真集として完成させた後でも、さらに試行錯誤を続けていったことがわかる。それに加えて、自宅近くの弓ケ浜や鳥取砂丘を「巨大なホリゾント」を持つ劇場に見立てて撮影した「砂丘劇場」のシリーズも、あわせて展示してあった。戦前の傑作「少女四態」(1939年)から1980年代の「砂丘モード」に至るまで、この日本には珍しい広々とした開放的な空間が、植田のインスピレーションを常に刺激し続け、魅力的な群像写真の連作として結実していったことが、そこにはよく表われていた。
来年(2013年)は、いよいよ植田正治の生誕100年の年だ。そろそろ、その写真家としての全体像をしっかりとかたちにしていかなければならない時期が来ているということである。

2012/06/15(金)(飯沢耕太郎)

「エル・グレコ展」記者発表会

会期:2012/06/15

スペイン大使館B1Fオーディトリアム[東京都]

10月から大阪の国立国際美術館で開かれる「エル・グレコ展」(来年1月からは東京都美術館)の記者発表会。エル・グレコと聞いても、日本では25年ぶりといわれても、心ときめかないのはなぜだろう。たぶん絵がヘタだからだと思うんだ。近代以降はともかく、16世紀にこんなにヘタでよく美術史の一線に残ったもんだと感心する。なぜなのか? ただその一点の興味でこの展覧会は見逃せない。それはともかく、なんで最近の展覧会には女優がくっついてくるんだ? キャンギャルならぬオフィサポ(オフィシャルサポーター)と呼ぶらしいが、「マウリッツハイス美術館展」は武井咲、「ベルリン国立美術館展」は音声ガイドも務めた小雪で、今回は森口瑤子だ。だれ? 森口瑤子って。

2012/06/15(金)(村田真)

MAMプロジェクト 017:イ・チャンウォン

会期:2012/06/16~2012/10/28

森美術館ギャラリー1[東京都]

暗い壁に人や動物の姿が白く映し出され、なにやら楽しそうだ。その下には台が並び、人や動物の姿を切り抜いた元ネタの図版が置かれている。切り抜いた部分に鏡がはめられ、斜め上から光を当てているので、壁に映された像が図版の切り抜きからの反射だとわかる。よく見ると、壁の牛は洞窟壁画に描かれた野牛を思い出させるし、その横にある人の手はまるで古代人が印した手形のようだ。また、輪になって踊る人たちはマティスの「ダンス」を思い起こさずにはおかない。なるほど、よくできたインスタレーションだ。が、それで終わりではない。じつは、元ネタの図版は戦場や災害地や事故現場を写した報道写真で、踊る人は兵士だったり銃弾に倒れた死体だったり、羽ばたく鳥は重油にまみれてもがく野鳥だったりするのだ。その悲惨な図像と楽しげな反射像とのギャップに観客は一瞬、世界の裏をかいま見る。この作品のタイトル《パラレル・ワールド》のゆえんだ。

2012/06/15(金)(村田真)

アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る

会期:2012/06/16~2012/10/28

森美術館[東京都]

大ざっぱな印象を述べれば、以前こちらでやったインド現代美術展「チャロー!インディア」や、アフリカ現代美術展「アフリカ・リミックス」とかなり近い。なにが近いかというと、おそらく欧米を核とするアートワールドとの距離感だ。欧米との距離が近いのではなく、欧米との距離感がインドからもアフリカからもアラブからもほぼ等しく遠いということだ。地理的に見てもアラブはインドとアフリカのあいだに位置するので、当然といえば当然だが、しかしこれら3地域は地続きでありながら、気候風土も民族も宗教・文化も政治体制もすべて異なっている(一部重なっているけど)。にもかかわらずほぼ等距離に感じたのは、これらの3展が似たような視点や価値観で構成されているからだろう。つまり、欧米の現代美術の流儀にのっとったうえでインドやアフリカやアラブの社会・文化を反映した作品が選ばれている、ということだ。たとえば、サウジアラビアのアハマド・マーテルの《マグネティズム》。黒く四角い立体のまわりに小さなものが渦巻いている写真で、磁石に引き寄せられた鉄粉を撮ったものだが、イスラム世界を少し知っている者は、カアバ神殿の周囲に群がる巡礼者たちを思い起こすに違いない。このようなダブルミーニングは比較的わかりやすいため多くの作品に見られる。いずれにせよこれらは「いかにもアラブな現代美術」であり、アラブの現在の一端を知るにも、また現代美術の一端を知るにも好都合かもしれない。その意味では不特定多数の観客が入場する森美術館らしいセレクションといえる。個人的に好きなのは、パレスチナのハリール・ラバーハによる、絵画が写っている展覧会の写真をスーパーリアリズムで描いた作品。彼はこの作品が展示された風景をもういちど描いてるらしい。絵を撮った写真を描いた絵を描いてるってわけ。

2012/06/15(金)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_000175528.json s 10037048