artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

丸山常生展──install-action(インスタラクション)という方法

会期:2011/12/12~2011/12/25

トキ・アートスペース[東京都]

壁には東北の被災地の風景写真、被災地で行なった本人のパフォーマンス写真、会期初日にギャラリー内で見せたパフォーマンス写真などが貼ってあり、そのときに使ったとおぼしきテーブルや椅子などが置かれている。「インスタラクション」というくらいだから、パフォーマンス(アクション)を見ないでインスタレーションだけ論じてもあまり意味はないだろう。それよりこれを見ながら思ったのは、被災地をモチーフにした作品の場合、あまりに手際よくきれいにまとめたり、わかりやすく伝えようとしたりすると逆に違和感を覚えるというか、うさん臭ささえ感じてしまうということだ。丸山がそうだというのではなく(よくも悪くもきれいにまとまってないし、わかりやすくもない)、一般論ですが。戦場カメラマンは現場で色彩や構図のことをどれほど意識するのだろう、なんて考えてしまった。

2011/12/16(金)(村田真)

日本の新進作家展 vol.10 写真の飛躍

会期:2011/12/10~2012/01/29

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

毎年開催されている東京都写真美術館での「日本の新進作家」展も、いつのまにか10回目を迎えていた。これまではどちらかといえば、すでに認知されている写真家の仕事の後追いの印象があったのだが、今回の展示ではそのあたりがかなりいい方向に動いてきている。添野和幸、西野壮平、北野謙、佐野陽一、春木麻衣子という顔ぶれを見ると、いま力を伸ばしつつある写真作家が順当に選ばれているように思える。北野、春木はそれぞれ個展を開催中でもある。「新進」というよりは「中堅」に近い人選だが、1968年生まれの添野、北野から、1982年生まれの西野までの世代の仕事は、まだ一般には広く知られていないので、タイミングのいい展覧会になっているのではないだろうか。今回のタイトルの意味はややわかりにくいが「フォトグラム、ピンホールカメラ、多重露光、露出といった、写真の根源的な手法や特性に着目しながら多彩な作品を制作」している作家を集めたということのようだ。たしかにデジタル化の進行とともに、逆に写真特有の手法にこだわる者も増えてきている。ノスタルジックな意味合いよりは、デジタル・メディアではむしろ表現不可能な領域が、まだまだたくさんあることが少しずつ見えてきているということだろう。さらに西野の緻密なフォト・コラージュや、北野の数十人の人物のポートレートを多重露光で重ね合わせていくプロセスなど、「手技」の部分が強調されている作品が多いのも今回の特徴だ。その、ある意味で手工芸的な作品の肌合いは、これから先の「日本写真」を特徴づけていく重要なファクターになっていきそうだ。

2011/12/14(水)(飯沢耕太郎)

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ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち

会期:2011/12/10~2012/01/29

東京都写真美術館 3階展示室[東京都]

東京都写真美術館のコレクション展というと、総花的な印象を与えるものが多くなる。ひとつのテーマに沿った作品を万遍なく集めることを目指すと、各写真家の仕事から1点か2点ということになるので、焦点がはっきりしない展示になりがちなのだ。その点においては、今回の「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」はうまくいっていたと思う。ジョン・トムソン(英)、トーマス・アナン(英)、ビル・ブラント(英)、ウジェーヌ・アジェ(仏)、ブラッサイ(ハンガリー→仏)、ハインリッヒ・ツィレ(独)、アウグスト・ザンダー(独)の7人の写真家に絞り込み、その代表作をじっくりと見せることで、まとまりのある展覧会になっていたからだ。やや地味なトムソン、アナン、ツィレなどの作品は、こういう機会でないとなかなか展示できないのではないだろうか。さらにトムソンの『ロンドンの街頭生活』(1877)のウッドベリー・タイプ、アナンの『グラスゴーの古い小路と街路』(1900)のフォト・グラビア印刷、アジェのプリントの鶏卵紙など、19世紀から20世紀初頭にかけての印刷技法や印画紙の作例を実際に見ることができたのもとてもよかったと思う。これら、現在は使われていない古技法の、独特の質感を確認することができる機会はなかなかないからだ。ただいつも感じることだが、このような啓蒙的な展覧会では、もう少し写真のキャプションや解説の文章に気配りしてほしいと思う。観客にわかりやすく、丁寧に伝えようという意欲があまり感じられないのが残念だ。

2011/12/14(水)(飯沢耕太郎)

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Chim↑Pom展 LEVEL7 feat. 広島!!!!

会期:2011/12/10~2011/12/18

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

丸木美術館で催されたChim↑Pomの展覧会。広島の原爆や福島の原発について彼らが表現してきた一連の作品が、丸木夫妻による《原爆の図》と同じ美術館で展示されたことの意義はとてつもなく大きい。《原爆の図》の圧倒的な重さと対比されることで、いままで以上にChim↑Pomの軽さの意味が際立って見えたからだ。これまでChim↑Pomの作品は不当にも軽佻浮薄な印象で判断されることが多かったが、それは必ずしも現在の若者文化を体現した彼らの佇まいに由来しているだけではない。原爆と同じ原子力エネルギーを「平和利用」することで繁栄してきた戦後社会が、そのような相対的な軽さを要請したのだ。その恩恵のもとで生まれ育ったChim↑Pomにとって、原子力は原爆という絶対的な暴力を告発するほど外部にあるものではなく、むしろ自分たちの内側に内蔵されているものだった。肉眼で見ることができない以上、重さを実感することができないといってもいい。だからこそ、それは絵画の対象になりうる重さを持ちえず、飛行機雲というたちまち雲散霧消してしまう軽薄なメディウムを選び取ったのではなかったか。もちろん原爆の被爆地へ赴いた丸木夫妻と同じように、Chim↑Pomも原発事故の現場に足を運んでいる。けれども、そこには建物の破壊こそあれ、大量死のような地獄絵図があるわけではなく、肝心の炉心さえ、いまだに誰も見ることができない。つまり放射能の被害は、いまのところ想像するしかない以上、想像力を使って思い描く空想の世界ではおのずと軽くならざるをえないのだ。広島と長崎に落とされた原爆が私たちの戦後史の出発点であり、なおかつ原爆美術の原点だったとすれば、Chim↑Pomが刻印したのはその「現在地」にほかならない。本展において、その両極が同時に示されたことによって、重い原爆美術から軽いそれへと変遷した過程を想像することができた。そのあいだを数々の視覚芸術によって架橋するのが、おそらく目黒区美術館が準備していた「原爆を視る」展なのだろう。このほど正式に中止が決定されたようだが、時期と場所を改めて開催することが大いに待望される。

2011/12/14(水)(福住廉)

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藤田匠平 展

会期:2011/12/02~2011/12/17

六々堂[京都府]

藤田は京都在住の陶芸家だが、全国各地から引き合いが多く、意外と地元での個展は少ない。貴重な機会となった本展では、約60点と彼にしては大量の作品を出品した。器としての実用性を保ちつつ、抽象的なオブジェ性も併せ持つのが彼の特徴だが、本展では鯉の置物や半分に切断されたゴマサバなど、これまでとは異なる作風も。それらに共通するのは驚くほど細かい絵付けがなされていることだ。なるほど、いまの彼はこんな作風だったのか。普段行き慣れない画廊での個展だったが、出かけておいてよかった。

2011/12/14(水)(小吹隆文)