artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

絵画思考──油画現職教員展

会期:2010/10/20~2010/10/31

藝大アートプラザ[東京都]

佐藤一郎、保科豊巳、O JUNら藝大のセンセーが小品を展示即売している。上限10万円程度と安めだが、国立大学の教官が構内で自分の作品を売っていいのか? あ、法人化されたから自分で稼がないといけないのか。でも奈良や村上がセンセーになったら小品でも100万円するぞ。まあそんな人気作家は藝大には行かないから心配無用だが。

2010/10/29(金)(村田真)

空と宇宙展 飛べ!100年の夢

会期:2010/10/26~2011/02/06

国立科学博物館[東京都]

ぼくはてっきりレオナルド・ダ・ヴィンチあたりから始まって、ライト兄弟を経てスペースシャトルにいたるまで世界の航空宇宙史が見られると思って出かけたのだが、なんだ「日本の航空宇宙100年記念」じゃないか。小惑星探査機はやぶさも無事帰還したことだし、ついでに出しちゃえっていうか、むしろはやぶさの帰還に便乗して日本の航空宇宙史100年を振り返ってみましたってほうが正解みたいな。そのはやぶさのカプセル関係は別室でものものしく陳列され、そこだけ撮影禁止。もし撮影したらデータを消去させていただきます的な脅し文句が。そんなにタイソーなもんか?

2010/10/29(金)(村田真)

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オランダのアート&デザイン新言語

会期:2010/10/29~2011/01/30

東京都現代美術館[東京都]

「トランスフォーメーション」展の続きで、アトリウムのイ・ブルやバールティ・ケールらの彫刻を見て次の部屋に入ると、なんか変。そのまま進んでいくうちに、ようやく別の展覧会に突入していることがわかった。ちゃんと終わりと始まりの区切りをつけといてくれなくちゃ。てか、私の注意不足ですが。でもすぐに気づかなかったのは、オランダのアート&デザインにも「トランスフォーメーション」の要素が入っているからだし、逆になんか変だと感じたのは、展覧会としての緊張感が異なっていたからだ。オランダ展のまったりした素朴な展示に比べ、「トランスフォーメーション」がいかに空気がピンと張りつめていたか、会場を出て初めて気づいたのだった。

2010/10/28(木)(村田真)

トランスフォーメーション

会期:2010/10/29~2011/01/30

東京都現代美術館[東京都]

「変身-変容」をテーマに、人間とそうでないものとの境界を探る展覧会だそうだ。出品作家はマシュー・バーニー、フランチェスコ・クレメンテ、ヤン・ファーブル、イ・ブル、パトリシア・ピッチニーニ、アピチャッポン・ウィーラセタクン……と国際展並の顔ぶれ。出品作品も国際展並に映像が多いので、国際展並にのぞき見程度にトバシた。自身をモデルにした頭部にシカの角やウサギの耳をつけたヤン・ファーブルの彫刻群は圧巻。その手前の回廊に、ペットボトルや洗濯バサミなどの日用品を組み合わせてインスタレーションしたサラ・ジーの作品もぼくは好きなのだが、どこが「トランスフォーメーション」だって気がしないでもない。(つづく)

2010/10/28(木)(村田真)

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天狗推参!

会期:2010/09/25~2010/10/31

神奈川県立歴史博物館[神奈川県]

「天狗」のイメージを歴史的に振り返る企画展。国宝や重要文化財を含む約200点の文化財を5つの章に分けて展示した。絵巻や舞楽面、浮世絵、絵馬、活字本などに表わされた天狗のイメージの変遷を時系列に沿って見ていくと、半人半鳥の烏天狗から赤ら顔の鼻高天狗へという形象上の変化はもちろん、天狗の意味するものが推移していく様子もわかって、じつにおもしろい。それは、修行を邪魔する仏敵として現われ、魔界転生をはたして現世利益をもたらす信仰の対象となり、その後神事や芸能の現場に登場し、さらには崇高でありながら滑稽でもあるという二重性を帯びながら民衆に愛されるキャラクターとなった。居酒屋チェーン店の宣伝として活用されているように、かつて森の大空を闊歩していた天狗は、いまや完全に地上に引きずり降ろされてしまったわけだ。ただ、天狗だけでなく、河童や鬼など他の想像上の異人たちも同じような路を歩んでいることを思えば、本展が暗示していたのは、輸入した外来文化を内側で熟成させながら神々しい記号を民衆の底辺へと徐々に降ろしてゆく、日本文化の構造的な働きだといえる。いま美しく崇高であっても、いずれ世俗化され、笑いの対象とならざるをえない。豊かな想像力によって空想の世界を創り出す現代アートにしても、その構造からやすやすと抜け出すことはできないだろう。ただ、逆に民衆に愛されてやまない滑稽なアートが、やがて崇高な美しさに高まってゆくことがないともかぎらない。そこに、アートの例外的な価値がひそんでいるのかもしれない。

2010/10/26(火)(福住廉)

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