artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
向後兼一「世界と向き合うために」

会期:2010/10/30~2010/11/20
art & river bank[東京都]
小橋ユカと対照的なスタイルながら、やはり同じように転機を迎えているように思えるのが向後兼一。2000年代初頭にデビューした彼は、デジタル画像を加工して作品を制作し始めた第一世代にあたる。フォトショップのような簡易なソフトを使って、風景の意味をずらしたり再構築したりする彼の作品は、2006年に東京国立近代美術館で開催された「写真の現在3:臨界をめぐる6つの試論」に選出されるなど、一定の評価を受けてきた。今回のart & river bankでの個展「世界と向き合うために」の出品作も、基本的にはその延長上にある。工事現場や飛行場の風景の画像に細いスリットを入れ、もうひとつの画像ではそのスリットに全画面を圧縮しておさめるという手法で制作されたシリーズなど、その画像処理のセンスのよさは際立っている。
だが、2000年代初頭には新鮮なショックで受け入れられたデジタル加工のアイディアが、いまやかなり見慣れたものになってしまっていることも否定できない。今回の展示に、まったく加工を施していない青空と雲のシリーズや、飛行場のようにあらかじめ特定の意味づけが為されている場所のイメージが増えてきているのは、彼自身もそのことを意識し始めているからだろう。この“過渡期”をポジティブに乗り切ることで、もうひとつ突き抜けた表現に到達してほしいものだ。
2010/11/18(木)(飯沢耕太郎)
黙示録──デューラー/ルドン

会期:2010/10/23~2010/12/05
東京藝術大学大学美術館[東京都]
ヨハネがキリストから啓示されたという新約聖書の最後を飾る預言書、「黙示録」。本展は、アルブレヒト・デューラーによる木版画集《黙示録》を中心に、デューラー以前に木版挿絵として描かれた黙示録や、デューラーの影響を大きく受けたというルドンによる《ヨハネ黙示録》など、100点あまりを一挙に公開するもの。展示の構成を、デューラー以前とデューラー以後を明確に区切っているため、デューラーの《黙示録》の迫力がよりいっそう際立っている。他と比べて圧倒的に大きな版型、緻密でありながら力強い描線、そして躍動感と物語性の高い人物描写。デューラーの前後が丸ペンで描いた少年マンガだとすれば、デューラーの黙示録は劇画調の青年マンガであるといってもいい。なかでもとりわけ突出しているのが、人物の顔を一人ひとりじつに豊かに描き分けている点だ。奇怪な造作はまるで曽我蕭白によるそれのようでもあり、時代こそ異なるにせよ、両者の奇特な視線はどこかで通底しているような気がしてならない。
2010/11/18(木)(福住廉)
三瀬夏之介 個展 だから僕はこの一瞬を永遠のものにしてみせる

会期:2010/11/01~2010/11/30
第一生命ギャラリー[東京都]
アーティストにとっての成功とはなにか。勢いのあるコマーシャル・ギャラリーに所属することなのか、信用できるコレクターに作品が買われることなのか。もちろん、アーティストにとってそれらが重要な目標であることにちがいはない。けれども、それらの前提条件として展覧会で作品を発表することが不可欠である以上、個々の会場にふさわしい作品をたえず制作していくことができるかどうかに、成功の条件はかかっている。より具体的に言い換えれば、画廊より大きな美術館で発表する必要に迫られたとき、その空間に適した作品を用意できるのかが問われるわけだ。この壁にぶち当たり、それまでの勢いを失墜させてしまう新進気鋭のアーティストは、思いのほか多い。けれども、この壁をひらりと乗り越えてみせるのが、三瀬夏之介だ。本展で発表された屏風絵の大作は、この会場の広大な壁面に負けないほどのスケールを誇り、しかも床から離して展示しているため、まるで鑑賞者に覆いかぶさるほどの迫力を生み出している。絵の形式だけではない。その内容も、これまで三瀬がたびたび描き出してきた大魔神や、飛行機、UFOといったモチーフが総動員されたもので、画面の随所で生じている同時多発的な爆発によって、それらのモチーフはおろか、みずからの絵や鑑賞者もろとも、すべてを吹き飛ばすかのような外向性がみなぎっている。それは、ほぼ同時期に開催されたイムラアートギャラリー東京での個展「ぼくの神さま」で発表された作品が、絵という形式のなかで完結しており、いってみれば起承転結が明快な文章のような絵だったのとはじつに対照的だ。本展の屏風絵は、むしろ絵という形式にすら定着できない衝動の現われであり、自分でも容易には把握しがたい不安と苛立ちと祈りをすべて丸ごとぶちまけることができたところに、三瀬夏之介にとっての大きな達成がある。それは、たしかに私たちにも届いている。
2010/11/17(水)(福住廉)
髙瀬省三・石橋聖肖展

会期:2010/11/09~2010/12/23
平塚市美術館[神奈川県]
湘南ゆかりの作家を取り上げた二人展。流木から人体や顔など空想的な造形を彫り出す髙瀬と、彫金によって幻想的なオブジェを作る石橋の作品がそれぞれ展示された。両者による作品は、技法は異なるものの、静謐な空気感を醸し出す点では共通しており、それらが会場全体を静かに包み込んでいた。自然の造形を生かしたまま人為的な造形を目指す髙瀬の作品は、いずれも彫刻家にありがちな自然をねじ伏せるという男性的な構えではなく、むしろ自然に寄り添うようなたおやかな姿勢が一貫しており、その無理のない自然な態度が今日的な感性と共鳴しているような気がした。ただし、一部の作品をガラスケースに入れて展示していたのは、作品保護の観点からなのだろうが、不自然極まりなく、作品の主旨を活かしきれていなかったように思う。細やかな彫金によって極小の世界を創り出す石橋の作品も、キリコのような幻想性を強く感じさせながら、作品を天上から吊るす展示方法のおかげなのか、同時に重力から解き放たれたような浮遊感も感じさせていた。二人展としてはかなり成功している稀有な展覧会である。
2010/11/16(火)(福住廉)
新incubation2「Stelarc×contact Gonzo─BODY OVERDRIVE」展

会期:2010/10/30~2010/11/28
京都芸術センター[京都府]
身体にフックをつけて吊り下げられるパフォーマンスで知られ、近年は医学やロボット工学を取り込んだ作品を制作しているステラークと、ストリートファイトから導き出される過激なパフォーマンスで知られるcontact Gonzo。ベクトルは違えど、“肉体”という共通のキーワードを持ち、見る者に本能的な衝撃を与える両者を共演させるとは、何とも大胆な試みだ。しかし、彼らの真骨頂を体感できるのは、やはりライブ・パフォーマンスしかない。contact Gonzoは会期中に二度、ステラークはロンドンからのWEB中継を一度行なったとはいえ、ほとんどの期間は資料展的な見せ方にならざるをえないのが本展の限界だ。美術展の枠内でパフォーマンスを扱うことの難しさを、改めて実感した。ただし、北ギャラリーでcontact Gonzoが行なったサウンド・インスタレーションは別物。ライブの素材から新たな価値をつくり出すことに、見事に成功していた。
2010/11/16(火)(小吹隆文)


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