artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

有元伸也「TIBET」

会期:2019/04/05~2019/04/27

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

有元伸也のデビュー作は、1998年に第35回太陽賞を受賞し、翌年に写真集として刊行された『西蔵より肖像』(ビジュアルアーツ)である。今回のZEN FOTO GALLERYでの個展は、長く絶版となっていた写真集『西蔵より肖像』が、新装版の『TIBET』(ZEN FOTO GALLERY)として刊行されたのを受けたもので、同シリーズから19点が展示されていた。

会場でまず目につくのは、105×105センチという巨大なサイズに引き伸ばされた大判プリント3点である。手間がかかる銀塩プリントは、有元が講師を務めている東京ビジュアルアーツの暗室で制作されたという。ややアナクロ的な作業に見えなくもないが、その視覚効果は絶大で、大判プリントならではの、写真に写っている時空に体ごと連れ去られてしまうような感覚を味わうことができた。会場に並ぶプリントのなかには、あらためてネガを見直して選んだ未発表作が3点ほど含まれている。写真集『TIBET』に収録された作品数も、『西蔵より肖像』から20点ほど増えている。有元にとっては、まさに自分の写真家としての原点を確認する出版と展示だったはずだが、新たな要素を付け加えているところに強い意欲を感じた。

有元の話を聞くと、かつては対立的あるいは従属的な側面が強かった中国とチベットとの関係も、最近は少しずつ変わり始めているようだ。東京ビジュアルアーツには中国からの留学生も多く、彼らにとって、宗教や文化の伝統の厚みを持つチベットは、むしろ憧れの対象になっているのだという。だが、有元が1990年代に外国人の立ち入りがほとんどできなかった地域で撮影した写真群は、もはや再撮影は不可能な貴重な記録となっている。今回の展示は、そのことをあらためて確認するよい機会にもなった。

2019/04/10(水)(飯沢耕太郎)

魚返一真「檸檬のしずく」

会期:2019/04/05~2019/04/14

神保町画廊[東京都]

魚返(おがえり)一真は、1955年大分県生まれのベテラン写真家だが、一貫して「一般女性をモデルにして独自の妄想写真」を撮影・発表し続けてきた。「妄想写真」というのは魚返の造語で、エロチックな夢想を具現化した写真というような意味だ。モデルたちは、彼のカメラの前で着衣、あるいはヌードできわどいポーズをとる。むろん、そのような男性の性的な欲望に写真撮影を通じて応えようとする行為は、これまでずっとおこなわれてきたし、いまでも多くの写真家たちによって続けられている。だが、写真集に合わせて私家版で刊行された小ぶりな写真集『檸檬のしずく』に寄せたコメントで、詩人の阿部嘉昭が「魚返一真の写真を『チラリズム』を利用した好色写真とするだけでは足りないと、だれもがかんじているはずだ」書いているのは、その通りだと思う。魚返の作品には、たしかに「好色写真」の形式と作法に寄りかかりながらも、そこから逸脱していくような奇妙な魅力がある。

その理由のひとつは、魚返とモデルたちとの関係のつくり方にありそうだ。彼のモデルは「街でスカウトした女性やネットを通じて応募してくれた女性」だそうだが、魚返は自分の「妄想」を一方的に押し付けるのではなく、むしろ彼女たちのなかに潜んでいた「自分をこのように見せたい、見て欲しい」という密かな欲望を引き出してくる。撮影の仕方は懇切丁寧で、ある状況、ポーズに彼女たちを導いていくプロセスに一切の手抜きはない。「妄想」を追い求めていくのは、傍目で見るよりも根気が必要な作業のはずだが、その無償の情熱を長年にわたって保ち続けているのはそれだけでも凄いことだ。結果的に、彼の写真は生真面目さと品のよさを感じさせるものになった。このような「好色写真」は、ありそうであまりなかったものかもしれない。

2019/04/10(水)(飯沢耕太郎)

京都市京セラ美術館リニューアル・オープン記者発表会

国際文化会館[東京都]

公立美術館としては東京都美術館に次いで2番目に古い京都市美術館が、来年3月のリニューアル・オープンに向けて現在改修工事中だが、なぜかこの時期に東京で記者発表するという。同館がネーミングライツで「京都市京セラ美術館」に改称することになったのは2年前の話だし、以前ナディッフにいた元スタッフたちが新たに加わったらしいが、そのためにわざわざ記者発表するだろうか。ひょっとしてなにかあるのかもしれないとわずかな期待を抱きつつ行ってみたら、なるほどそういうことだったのか。

最初は建築家の青木淳および青木事務所出身の西澤徹夫が手がけたリニューアルの概要を説明。大がかりな増改築としては、まずエントランス前の広場を掘り下げ、スロープを下って入館する構造にしたこと、もうひとつは本館の裏に、先端的な表現に対応できる約1,000平方メートルの展示スペースを増築したことだ。ほかにも、二つある中庭のひとつにガラスの大屋根をかけて室内空間にしたり、新進アーティストの発表の場として「ザ・トライアングル」を新設したり、コレクションの常設展示室を設けたり、おもに現代美術に対応できる体制にシフトしているのが特徴だ。

そして新館長の発表が行なわれたのだが、新しく館長に就任したのは、なんと青木淳その人。あれれ? 一瞬、頭が一回転してしまった。リニューアルの受注者が発注者になるの? だいたい美術館と建築家は、それぞれ理想とする美術館のイメージが異なるため仲が悪いってよく聞くけど、大丈夫なの? 青木さんは館長になってからもほかの美術館を設計することはあるの? 次々と疑問が湧いてくるが、でも青木さんなら市の役人なんかよりはるかに美術館のハードにもソフトにも詳しいだろうし、コレクターでもあるから美術に対する理解も深いはず。考えてみればこんなに館長にふさわしい人はいないとも思う。灯台下暗しってやつですね。ようやく東京で記者発表する理由がわかった。

2019/04/09(火)(村田真)

松本欣二「媽媽(まま)」

会期:2019/03/28~2019/04/10

大阪ニコンサロン[大阪府]

昨年、KUNST ARZTで開催されたグループ展「家族と写真」で見て注目していた写真家、松本欣二の初個展。「媽媽(まま)」は、10歳の時に何者かに殺害された台湾人の母親との関係を、虚実を曖昧にする写真の力によって再構築する試みである。同展での展示をベースに構成を練り上げ、プリントも大きくなり、見応えが増した。とりわけ、展示を左周りに一巡すると、導入部がラストとループするように重なり合いつつも、新たな意味の再獲得をもって体験される展示構成が秀逸だ。

偶然にも、隣接するニコン運営のスペース、THE GALLERY大阪で同時期開催の「平間至写真館大博覧会」も「家族」をテーマにしていたが、松本の作品との対照性が際立っていた。平野が営む写真館で撮影されたポートレートの多くは「家族写真」だが、「記念写真」の形式性や真面目さといった常識を覆すポップな軽快さに満ちており、寝そべる、ハグし合う、変顔でおどける彼らは、明るく幸福感に溢れた「幸せな家族」の広告の公募モデルを嬉々として務めてみせる。それは、広告写真の演出としても、「家族=幸福」という図式の分かりやすさにおいても、より多くの「いいね」をもらえる写真である。


会場風景

一方、松本の写真の出発点には、「欠落」と「疎外」が根差している。作品は、1)自身の幼少期のスナップや新聞記事といったドキュメント、2)母親の足跡や記憶の「再現」、3)台湾への墓参り、4)現在の自身の家族のスナップから構成される。1)では、幼少期に撮られた3点の写真、母親と一緒に作りに行ったというパスポート、殺害事件を報じる新聞記事といった過去の出来事の証左が複写される。幼少期の写真は「花火」「樹をバックに」「卒園式」という家族スナップの定番で、幼少期の松本が一人だけで写っていることから、撮影者は母親かと推測される。だが、幼い顔には笑顔はない。短い解説文によると、松本は「日本生まれだが、父親は知らず、母親はほとんど家にいず、台湾人ということもあってあまり会話もなく、思い出も少ない」と言う。2)では、そのわずかな記憶を辿り直すように、「母がよく行っていたホテルや喫茶店」「よく頼んだホットミルク」「母が作ってくれた料理で好きだったもの」「住んでいたアパートの扉」「最後に吸ったタバコ」といった断片が「再演」され、証拠写真のように差し出される。現場検証、記憶の再現と反復。だが、いくら辿り直してもそれらは「断片」「欠片」にすぎず、記憶の全体像が回復されることはない。


会場風景

そして、3)台湾への墓参り、骨壺やお供えの花のショットを挟んで、4)現在の自身の家族のスナップが展開されていく。死と不在から(再)生へ向かう展開だが、その眼差しは疎外感や距離感を含み、手の届かなさ、掴めなさをむしろ強調する。カメラに向かって笑顔で歩み寄るのではなく、画面奥の親戚の方へハイハイする、表情の見えない息子。母(妻)と息子のスキンシップは、手前の物越しに捉えられ、母子の幸福な触れあいは、確かにそこに存在するものとして写されつつも、自らはその領域に立ち入ることが拒まれている。あるいは、母(妻)と手をつないだ息子は、電車のドアという遮蔽物を挟んで撮影され、息子の顔はステッカーに隠されて見えない。そして、このまま走り去って視界から消えそうな、遠く小さな息子の後ろ姿。


会場風景

そして最後に、「入園式」「花(樹)をバックに」「花火」という、自身の幼少期の写真と似たシチュエーションの息子のスナップが、時間を巻き戻すように、あるいは記憶のフラッシュバックのように繰り返される。自分の幼少期と同様、子どもの成長を記録する「定番の撮影ポイント」を反復し、成長していく息子。写真という装置によって、自身の幼年期と息子への眼差しが重ね合わせられていく。その時、残された写真は、「’91」という過去の具体的な年月を烙印のように刻印されつつ、不可解な遺物(自身が写されながらも容易に接近しえない異物としての過去)であることをやめ、「自分もまたこのように愛情を受けて育ったのだ」という肯定感へと歩み出す。二つの写真群は、写されたシチュエーションにおいて重なり合いつつ、円環が閉じるのではなく、新たな意味の獲得の下に眼差され、変容し、異なる軌道を進み始める。息子の写真もまた、松本自身の自己投影という呪縛から逸れて、自身の生の刻印としての第一歩を歩み始めるだろう。ひとつの映画を見終えたような感覚を与える「媽媽(まま)」は、そこへ至るまでの長い道程の記録である。同時にそれはまた、「被写体である自身に他者性を見出し、あるいは写された他者に自己投影する」という、自他の境界や時制を飛び越えて憑依的に融解させる、写真自体の狂気にそっと触れている。


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大西みつぐ「まちのひかり」

会期:2019/03/26~2019/04/15

ニコンプラザ新宿 THE GALLERY[東京都]

平成の終わりということで、その前の時代、昭和が話題になることも何かと多くなった。ただ、どちらかといえばその風潮は、古き良き時代を懐かしむ「ノスタルジー」の方向に傾きがちだ。大西みつぐの個展「まちのひかり」にも、そんなふうに受け取られても仕方のない要素がたっぷり詰まっている。大西は、これまでメイン・グラウンドとしてきた東京の下町だけでなく、沖縄から青森までいろいろな街を巡り歩き、昭和の匂いのする風物を採集してきた。壁には写真とともに、温度計、ブロマイド写真、雑誌記事などが展示され、棚の上に置かれた古いラジオからは昔懐かしい番組が聞こえてくる。

だが、写真を見ているうちに、そんないかにもノスタルジックなつくりは、確信犯的に仕組まれたものであることが見えてくる。大西は写真展に寄せた文章で、「ノスタルジー」は「決して後ろ向きの情感ではない」という映画評論家の川本三郎の言葉を引き、「近過去はいとも簡単に忘却の彼方に押し込められてよいというものではないはずだ。むしろ『今』を様々な角度から照らす材料にあふれている」と述べる。たしかに、ここに集められた「まちのひかり」の眺めには、彼自身の、むしろこのような光景こそ正しく、あるべき姿をしているという確信が、しっかりと刻みつけられているのではないだろうか。

出品作品のなかに一枚だけ、1994年に東京・人形町で撮影されたポジ・プリントが展示してあった。今回の写真展の「原点」であるという、いかにも職人らしいたたずまいの老人と、その作業場の眺めには、「日々の小さなドラマの集積」が宿っていると、彼はキャプションに記している。それはむろんこの写真だけでなく、今回展示されたすべての作品に通じることで、膨大な視覚、あるいは触覚的な情報を含む事物のディテールを目で追う愉しみを、心ゆくまで味わい尽くすことができた。

2019/04/08(月)(飯沢耕太郎)