artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
大石芳野「戦禍の記憶」
会期:2019/03/23~2019/05/12
東京都写真美術館[東京都]
戦争をテーマとするドキュメンタリー写真家たちは、まさにその渦中にある人々や、彼らを取り巻く社会状況を撮影し続けてきた。だが、大石芳野のアプローチはそれとは違っている。彼女は「事後」に戦場となった場所を訪れ、その記憶を心と体に刻みつけた人々をカメラにおさめていく。ゆえに、彼女の写真には派手な戦闘場面もスクープもない。モノクロームの静謐な画面に写り込んでいるのは、沈黙の風景とこちらを静かに見つめる人々の姿だけだ。
今回、東京都写真美術館で開催された「戦禍の記憶」展には、1980年代以降にそうやって撮影され続けてきた写真約160点が、「メコンの嘆き」、「民族・宗派・宗教の対立」、「アジア・太平洋戦争の残像」の3部構成で展示されていた。例えば、南ベトナムで使用された枯葉剤の影響によって二重体児で生まれてきたベトとドクを、1982年から2009年まで何度も撮影した息の長いシリーズのように、大石の撮影のスタイルは、シャッターを押す前後の時間を写真に組み込んでいるところに特徴がある。写真だけでなく、その一枚一枚に付されたキャプションもじっくりと丁寧に練り上げて書かれており、地道な作業の積み重ねによって、「声なき人びとの、終わりなき戦争」の実態がしっかりと伝わってきた。ベトナムやカンボジアなどメコン川流域の住人たち、コソボやスーダンの難民キャンプに収容されていた人たち、ユダヤ人強制収容所からの生還者、旧日本軍「731部隊」の関係者、韓国人慰安婦、広島と長崎の原爆被災者、沖縄戦を生き延びた人々などの顔と証言は、そのまま20世紀の深い闇につながっているように感じる。
2019/04/03(水)(飯沢耕太郎)
石田榮「はたらくことは生きること──昭和30年前後の高知」
会期:2019/04/02~2019/05/06
JCII PHOTO SALON[東京都]
石田榮は1926(大正15)年に香川県に生まれ、機械見習工を経て海軍に召集され、海軍特別攻撃隊菊水隊白菊隊の整備兵として終戦を迎えた。復員後、高知県で農業機械の会社に勤めるようになり、その傍ら、譲り受けたドイツ製の「セミイコンタ」カメラで、働く人々の姿を撮影しはじめる。「家から近いこと、危険が少ないこと、そして日曜日でも仕事をしているところをテーマにしたい」と考えたのだという。昭和30年代に高知市、南国市、大豊町一帯で撮影した写真は、その後長く「セロファン製のアルバム」に入れたまま眠り続けていた。だが、2012年に大阪ニコンサロンで開催した個展「明日への希望を求めて──半世紀前の証」が注目され、2016年に写真集『はたらくことは生きること』(羽鳥書店)が刊行される。今回JCII PHOTO SALONで開催されたのは、そのアンコール展示というべき写真展である。
「浜」「港」「石灰」「農」「里」「商」の6部構成で展示された、70点余りの作品は、表現的な意図よりも記録に徹するという姿勢で撮影されたものだ。どの写真も、画面の隅々までピントが合っており、視覚的な情報量が豊かである。だからこそ、60年以上の時を隔てていても、その時代の空気感がまざまざと甦るようなリアリティがある。何よりも貴重なのは、それらの写真に、いまではほとんど失われてしまった、体を使って「はたらくこと」のありようが細やかに写り込んでいることだろう。身体性が剥ぎ取られ、抽象化してしまった現在の労働よりも、豊かで充実した生の営みが、ごくあたり前におこなわれていたことに胸を突かれる。石田が戦時中に出撃する特攻隊の兵士を見送る立場にいたことが、これらの写真を撮影し続けた動機のひとつになっていることは間違いない。まさに「はたらくことは生きること」であることを、カメラを通して日々確認することの喜びが伝わってきた。
2019/04/02(火)(飯沢耕太郎)
宮本隆司「首くくり栲象」出版記念展覧会
会期:2019/03/18~2019/03/31
BankART SILK[神奈川県]
吊り下げられたヒモの輪を前に、思い詰めた表情でたたずむ老人。ヒモに近づき、輪に首を通して、身体をゆだねる……。首くくり栲象(たくぞう)が20年ものあいだ日課にしていた首吊りパフォーマンスを捉えた写真だ。もちろん実際に首を吊るわけではなく、ヒモを顎に引っかけて身体を宙に浮かすのだが、ヘタすれば本当に首を吊ってしまいかねない(でも、昔「ぶら下がり健康法」なんてあったから意外と健康にいいかも、って真似すんなよ)。栲象は20年ほど前から、国立にある自宅の「庭劇場」で首吊りパフォーマンスを公開していたが、1年前に肺ガンで他界。同展は、近所に住む宮本隆司が撮りためた写真を展示するもので、栲象の1周忌と写真集の発売記念を兼ねた展覧会。建築や廃墟を撮り続けてきた宮本にとっては初の人物写真集となる。なんというか、おもしろい写真ではあるけれど、あまり欲しいとは思わないなあ。
2019/03/30(土)(村田真)
《国立現代美術館ソウル館》《ソウル市立美術館》《アモーレパシフィック美術館》
国立現代美術館ソウル館、ソウル市立美術館、アモーレパシフィック美術館[韓国・ソウル]
ソウルの展覧会をいくつかまわった。国立現代美術館ソウル館は、現代的な情報環境がもたらす社会状況をテーマにすえた企画展「Vertiginous Data」が興味深い内容だった。監視カメラなどで顔認証されることに抗議する仮面の作品ほか、フォレンジック・アーキテクチャーも参加している。これまで彼らは遠隔地から調査することが多かったように思うが、テロリストと間違えられ、殺害された民間人の理不尽な事件を扱う作品では、現地で検証する作品が紹介されていた。同館では、フィラデルフィア美術館のコレクションを用い、上野の東京国立博物館で開催した「マルセル・デュシャンと日本美術(The Essential Duchamp)」展が巡回しており、やはり蛇足となった最後の部屋(日本美術の紹介)はなく、逆に違う作品も入っていた。ただし、《大ガラス》は映像のみの紹介である。また足を運ぶ時間はなかったが、東京国立近代美術館の「アジアにめざめたら」展も、国立現代美術館別館に巡回している。
ソウル市立美術館の「デイヴィッド・ホックニー」展は、多くの若い来場者で賑わっていたことが印象的だった。初期の謎めいたポエティックな作品、ロンドンとはまったく異なる環境に刺激されたロサンゼルスでの展開、群像をいかに描くかという試行錯誤、ピカソが亡くなったことを受けて、ギターの絵をモチーフとしたオマージュの連作、ホテルの中庭を独特の手法で描くなど、透視図法の解体、写真やデジタル技術への関心、近年の複数キャンバスによる巨大絵画など、彼のさまざまな実験の軌跡をたどる充実の内容だった。また、最近オープンした化粧品メーカーの《アモーレ・パシフィック新社屋》は、建築もなかなか優れたデザインだったが(設計はデイヴィッド・チッパーフィールド)、地下の美術館も気合が入っている。ビル・ヴィオラ、ジョセフ・コスース、ロバート・インディアナ、韓国のアーティストのナム・ジュン・パイクやイ・ブルなど、コレクション展では、力のある現代美術の作品を紹介していた。
2019/03/30(土)(五十嵐太郎)
絵画展...なのか?
会期:2019/03/21~2019/05/12
川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]
絵画とは、なんらかのかたちを平面に描いたもの。なんらかのかたちは具象でも抽象でもかまわないし、「かたち」と認識できなくてもいい。重要なのは「平面」に「描く」ことだが、「平面」は平らな面でなくても凹凸があってもいいし、「描く」のは手でなくて足でも口でもいいし、吹きつけても滴らしてもかまわない。絵画とはずいぶん自由度が高い表現なのだ。同展の出品者は、「画家ではない」といいながら水面を撮った写真に彩色したり、石をつなげて面にしている山本修司、どう見ても彫刻だが、その表面に色彩を施す原田要、キャンバスに絵具を流すだけでなく、ギャラリー内外の壁や椅子にも彩色する中島麦の3人。確かにこれを「絵画展」というのかどうかためらうところだが、別に絵画であろうがなかろうが楽しめる展覧会だから許そう。
2019/03/29(金)(村田真)