artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
東京インディペンデント2019
会期:2019/04/18~2019/05/05
東京藝術大学大学美術館陳列館[東京都]
戦後日本の現代美術を牽引した「読売アンデパンダン」の再来を目指した? とおぼしき無審査自由出品制のインディペンデント展。それをなぜいまやるのか唐突な気もするが、最後の読売アンパンが開かれたのが東京オリンピックの前年の1963年で、今年は2回目の東京オリンピックが開かれる前年だから、というのが理由らしい。理由にもならないと思うかもしれないが,オリンピックみたいな国家事業は戦争と似たようなもので、「国民一丸」となって戦おうみたいな空気が醸成される一方、なにかと規制が多くなり、枠からはみ出そうとする個の表現などあっという間に消し飛ばされてしまうのだよ。
まあそこまで考えなくても、バブル以降(それは平成の30年間でもある)に現代美術のコンペがたくさん増えたとはいえ,平面に限る40歳以上はダメ5メートル以内に収めろ性表現はご法度だけど審査員はどこも同じ顔ぶれみたいな、小うるさい条件にうんざりしている表現者(の卵)も少なくないはず。そんなはみ出し者の受け皿を目指した展覧会といえるだろう。
出品者は予想をはるかに上回る630人を超え、作品は千点以上も集まった。おかげで事務局が混乱したのか、当初より5日遅れでスタートした。絵画、立体、インスタレーション、パフォーマンスなどが2フロアの壁や床にぎっしり飾られ、窓や柱にも展示されて、作品密度だけは今年度ナンバー1だろう。会田誠、千住博、名和晃平、湯山玲子、小沢剛ら聞いたことある名前もちらほら。時期が時期だけに天皇ネタや令和ネタもあるが、しっかり規制してないので安心した。なかには迷惑も考えずに巨大作品を出したり、数十点の連作を展示したりする輩もいるが、おおむね小品を1点だけ提出するつつましい表現者が大半を占めたのは,喜ぶべきか憂うべきか。まあ初めてだしね。願わくば最初で最後にならないように。
公式サイト:https://www.tokyoindependent.info/
2019/05/04(土)(村田真)
浜昇『斯ク、昭和ハ去レリ』
発行所:ソリレス書店
発行日:2019/04/29
荒木経惟は、1989年1月8日に、滞在先の山口から東京に戻って昭和天皇の崩御の翌日に皇居前広場に集まった群集を撮影している。同年2月24日の大喪の礼のときも、車列を見送る人々にカメラを向けた。これらの写真は、その年に日付入りコンパクトカメラで撮影した写真群を集成した写真集『平成元年』(アイピーシー、1990)におさめられている。
浜昇もまた、1989年2月24日の大喪の礼の日を中心に、その前後の日々を撮影していた。葬列を見るために集ってきた人々の傘、傘、傘の群れ、閉じられたシャッター、紙や布で目張りをされたショーウィンドー、日の丸の旗などが、「その人」の不在を生々しく浮かび上がらせる。やや黒めのプリントのトーンの選択が実に的確だ。ただ、浜は荒木と違って、これらの写真をすぐには発表しなかった。30年の時を経て、彼がいま写真集をまとめた意図は明らかだろう。平成から令和へと年号が変わろうとするこの時期に、あえてその前の昭和を振り返り、あわせて「天皇」という存在を問い直したかったからだ。
日本人の天皇制に対する思考停止の状態は、1989年の時点と比較してより強まっているように感じる。浜の写真群は、30年前の記憶の再検証を通じて、あらためてそのことに意識を向けさせるように編集されている。30年前の「記録」が、強いメッセージを含む「表現」に転化するまでにはそれだけの時間が必要だったということだろう。なお、浜昇は1975年にワークショップ写真学校の東松照明教室で学んだことから、写真家としての経歴をスタートさせた。もし東松が生きていたら、この作品をどのように評価しただろうか。戦後の写真史に新たな一石を投じる写真集といえるだろう。
2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)
青木陽「should, it suits, pleasant」
会期:2019/04/18~2019/04/30
Alt_ Medium[東京都]
青木陽は今回の個展「should, it suits, pleasant」に寄せたテキストに以下のように記している。
「世界は私たちの接する物事はほぼ全てが人為的なものです。それらの含む人の作為から逃れることはできない。そしてそれゆえ同じ用途に供するものであってもある部分に関して何故A’ではなくAなのかという事柄は無数に存在する。何かとても形容しがたいものを感じる。」
このような、「何かとても形容しがたい」という感慨を抱くことは、僕にもよくある。現実世界に目をやると、そこに溢れかえっている「人為的」な事物の連なりが、「何故A’ではなくAなのか」ということがわからなくなってしまうのだ。青木が写真撮影を通じて探り当てようとしているのは、日々の出来事のなかから不意に浮上してくるそのような些細な違和感、見慣れたものが見慣れないものに変容してしまう瞬間に形を与えようとすることだ。一見地味で、とりとめなくさえ見える彼の写真に目を凝らすと、青木がそのような場面に向けてシャッターを切っているときの歓びと手応えを、共有できそうに思えてくる。
彼が2013年に東川町国際写真フェスティバルの赤レンガ公開ポートフォリオオーディションでグランプリを受賞したときの作品は、モノクロームでプリントされていた。その後、引越しなどで暗室を維持するのがむずかしくなり、今回の作品はデジタルカメラで撮影してレーザープリンタで出力している。だが、そのややチープな、ノイズが入ったような色づかいのプリントの感触は、逆にいまの現実の有り様をそのまま正確に写し取っているように見える。そこには「世界がこんなふうに見えてきた」という切実なリアリティがある。2015年に第12回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞するなど、青木の評価は一部では高まっているが、一般的な知名度はまだ低い。力のある作家なので、そろそろ写真集をまとめてほしいものだ。
2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)
The 10th Gelatin Silver Session──100年後に残したい写真
会期:2019/04/26~2019/05/06
アクシスギャラリー[東京都]
ゼラチンシルバーセッション(GSS)の企画は、2006年に藤井保、広川泰士、平間至、瀧本幹也の4人が、互いのネガを交換してそれぞれの解釈でプリントした作品を展示することからスタートした。それから13年、今回の10回目の展示で、その活動は一応の区切りを迎えることになった。
今回参加した写真家は50名で、それぞれ銀塩プリントによる未発表作品を出品し、「100年後に残したい写真」というテーマに沿ったコメントを寄せている。顔ぶれを見ると、前記の4人に加えて三好耕三、百々俊二、ハービー・山口、操上和美、水越武、今道子、若木信吾、中藤毅彦といったベテラン、中堅作家、さらには草野庸子、小林真梨子といった1990年代生まれの若手写真家も含まれており、バランスがとれたラインナップになっていた。展示作品を収録した小冊子所収のテキスト(執筆者不明)には「アナログがおもしろいと感じるデジタルネイティヴの若い世代が増えてきている」こと、そして「そんな彼らに思いを託して私たちのバトンを渡します」と記されているが、主催者側の「思い」は充分に伝わってきた。
ただ、この企画がスタートした2006年の頃と比較して、銀塩写真をめぐる環境は相当に厳しくなってきている。フィルムや印画紙の生産・供給が先細りになっていることに加えて、デジタル化の技術的な進化で、銀塩写真に特有のものとされてきた画像のクオリティの優越性が、絶対的なものではなくなりつつあるからだ。本展に出品した写真家たちのほとんどが、写真の仕事においてはデジタルカメラやプリンタを使っているはずで、「なぜ、銀塩写真なのか?」という問いかけに答えるのはさらにむずかしくなっているのではないだろうか。ゼラチンシルバーセッションの活動が今後どのように続いていくかは未知数だが、これまでとは違う段階に入ることは確かだろう。
なお、同時期にフジフイルム スクエアでも別ヴァージョンでの「ゼラチンシルバーセッション」展が開催された。(4月26日〜5月9日)創設メンバーの4人による第1回展を再構成した「藤井 保 広川泰士 平間 至 瀧本幹也」──すべてはここからはじまった──展と、モノクロームのネオパン100 ACROSフィルムを使って39人の写真家が撮り下ろした作品を展示する「FUJIFILM ACROSS × 39 Photographers」展のカップリング企画である。こちらもかなり見応えのある好企画だった。
2019/04/29(月)(飯沢耕太郎)
BONE MUSIC展
会期:2019/04/27~2019/05/12
BA-TSU ART GALLERY[東京都]
「BONE MUSIC展」。訳すと、骨音楽? 骨を打楽器や管楽器のように使うのだろうか? チラシには手のひらのレントゲン写真が使われているが、よく見ると輪郭が円形で真ん中に黒い穴があり、レコードのようだ。つまり廃棄されたレントゲン写真をレコード盤にリサイクルしたものを展示しているのだ。
これは1940-60年代に旧ソ連で実際につくられ、使われていた非合法のレコード。冷戦時代のソ連では音楽をはじめ美術や文学など表現の自由が規制され、西欧文化が検閲されていた。それでもジャズやビートルズなど好きな音楽を聴きたい音楽ファンが、病院で不要になったレントゲン写真に目をつけ、自作のカッティングマシンでその表面に溝を彫って録音し、仲間内で売買していたのだという。78回転で片面だけ、録音は3分程度、蓄音機で10回も聴けばすり減ってしまったそうだ。ソノシートをさらにペラペラにしたような感じか。それでも需要が多く、地下で1枚「ウオッカ4分の1瓶」くらいの値段で売っていたらしい。どういう価値基準だ!?
同展のキュレーターは、作曲家で音楽プロデューサーのスティーヴン・コーツと、カメラマンのポール・ハートフィールドの両氏。コーツ氏がロシアへの旅行中に蚤の市でレントゲン写真のレコードを「発見」、レコードを買い集めると同時にその歴史背景も研究し、各地で展覧会を開いてきた。表面に頭蓋骨や肋骨の写ったレコードはなかなかオシャレだが、それよりなにより、表現を弾圧する国家がいまでもあること(他人事ではない)と、弾圧されれば知恵を絞って対抗手段を考えなければならないことを、「BONE MUSIC」は教えてくれる。ロシア人もなかなか「骨」があるな。
公式サイト:http://www.bonemusic.jp/
2019/04/26(金)(村田真)