artscapeレビュー

松本欣二「媽媽(まま)」

2019年04月15日号

会期:2019/03/28~2019/04/10

大阪ニコンサロン[大阪府]

昨年、KUNST ARZTで開催されたグループ展「家族と写真」で見て注目していた写真家、松本欣二の初個展。「媽媽(まま)」は、10歳の時に何者かに殺害された台湾人の母親との関係を、虚実を曖昧にする写真の力によって再構築する試みである。同展での展示をベースに構成を練り上げ、プリントも大きくなり、見応えが増した。とりわけ、展示を左周りに一巡すると、導入部がラストとループするように重なり合いつつも、新たな意味の再獲得をもって体験される展示構成が秀逸だ。

偶然にも、隣接するニコン運営のスペース、THE GALLERY大阪で同時期開催の「平間至写真館大博覧会」も「家族」をテーマにしていたが、松本の作品との対照性が際立っていた。平野が営む写真館で撮影されたポートレートの多くは「家族写真」だが、「記念写真」の形式性や真面目さといった常識を覆すポップな軽快さに満ちており、寝そべる、ハグし合う、変顔でおどける彼らは、明るく幸福感に溢れた「幸せな家族」の広告の公募モデルを嬉々として務めてみせる。それは、広告写真の演出としても、「家族=幸福」という図式の分かりやすさにおいても、より多くの「いいね」をもらえる写真である。


会場風景

一方、松本の写真の出発点には、「欠落」と「疎外」が根差している。作品は、1)自身の幼少期のスナップや新聞記事といったドキュメント、2)母親の足跡や記憶の「再現」、3)台湾への墓参り、4)現在の自身の家族のスナップから構成される。1)では、幼少期に撮られた3点の写真、母親と一緒に作りに行ったというパスポート、殺害事件を報じる新聞記事といった過去の出来事の証左が複写される。幼少期の写真は「花火」「樹をバックに」「卒園式」という家族スナップの定番で、幼少期の松本が一人だけで写っていることから、撮影者は母親かと推測される。だが、幼い顔には笑顔はない。短い解説文によると、松本は「日本生まれだが、父親は知らず、母親はほとんど家にいず、台湾人ということもあってあまり会話もなく、思い出も少ない」と言う。2)では、そのわずかな記憶を辿り直すように、「母がよく行っていたホテルや喫茶店」「よく頼んだホットミルク」「母が作ってくれた料理で好きだったもの」「住んでいたアパートの扉」「最後に吸ったタバコ」といった断片が「再演」され、証拠写真のように差し出される。現場検証、記憶の再現と反復。だが、いくら辿り直してもそれらは「断片」「欠片」にすぎず、記憶の全体像が回復されることはない。


会場風景

そして、3)台湾への墓参り、骨壺やお供えの花のショットを挟んで、4)現在の自身の家族のスナップが展開されていく。死と不在から(再)生へ向かう展開だが、その眼差しは疎外感や距離感を含み、手の届かなさ、掴めなさをむしろ強調する。カメラに向かって笑顔で歩み寄るのではなく、画面奥の親戚の方へハイハイする、表情の見えない息子。母(妻)と息子のスキンシップは、手前の物越しに捉えられ、母子の幸福な触れあいは、確かにそこに存在するものとして写されつつも、自らはその領域に立ち入ることが拒まれている。あるいは、母(妻)と手をつないだ息子は、電車のドアという遮蔽物を挟んで撮影され、息子の顔はステッカーに隠されて見えない。そして、このまま走り去って視界から消えそうな、遠く小さな息子の後ろ姿。


会場風景

そして最後に、「入園式」「花(樹)をバックに」「花火」という、自身の幼少期の写真と似たシチュエーションの息子のスナップが、時間を巻き戻すように、あるいは記憶のフラッシュバックのように繰り返される。自分の幼少期と同様、子どもの成長を記録する「定番の撮影ポイント」を反復し、成長していく息子。写真という装置によって、自身の幼年期と息子への眼差しが重ね合わせられていく。その時、残された写真は、「’91」という過去の具体的な年月を烙印のように刻印されつつ、不可解な遺物(自身が写されながらも容易に接近しえない異物としての過去)であることをやめ、「自分もまたこのように愛情を受けて育ったのだ」という肯定感へと歩み出す。二つの写真群は、写されたシチュエーションにおいて重なり合いつつ、円環が閉じるのではなく、新たな意味の獲得の下に眼差され、変容し、異なる軌道を進み始める。息子の写真もまた、松本自身の自己投影という呪縛から逸れて、自身の生の刻印としての第一歩を歩み始めるだろう。ひとつの映画を見終えたような感覚を与える「媽媽(まま)」は、そこへ至るまでの長い道程の記録である。同時にそれはまた、「被写体である自身に他者性を見出し、あるいは写された他者に自己投影する」という、自他の境界や時制を飛び越えて憑依的に融解させる、写真自体の狂気にそっと触れている。


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