artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

鼻崎裕介「City Light」

会期:2018/07/10~2018/07/21

ふげん社[東京都]

ふげん社から鼻崎裕介の新しい写真集『City Light』が刊行されたのに合わせて、ギャラリースペースで写真展が開催された。写真集の内容を的確に紹介するとともに、壁面に校正刷りを貼り付ける工夫もあって、すっきりと、よくまとまった展示を実現していた。

鼻崎は1982年、和歌山県出身で、2007年に東京ビジュアルアーツ卒業後、東京・四谷のギャラリーニエプスに参加して活動を続けている。作風はまさにオーソドックスなストリート・スナップというべきだろう。一番近いのは、日本のカラー写真のスナップの先駆である牛腸茂雄の『見慣れた街の中で』(1981)である。被写体を路上で捕捉する距離感の設定の仕方、色(特に赤と黄色)に対する素早い反応、光よりは「翳り」に引き寄せられていくようなカメラワークなど、牛腸と共通する要素が多い。表紙に双子の写真が使われていることも、牛腸のもう一つの代表作『SELF AND OTHERS』(1977)を連想させる。ただこのままだと、牛腸を含む「コンポラ写真」の焼き直しに終わってしまいそうだ。日本の写真家たちが築きあげてきた、ストリート・スナップのオーソドキシーを踏まえつつ、そこからどう出ていくかが今後の課題になるのではないだろうか。

鼻崎は和歌山県田辺市の出身だと聞いた。東京や大阪のような都会の路上ではなく、田辺のような独特の風土性を持つ場所にこだわってみるのもいいかもしれない。「路上の経験」をもっと多様な方向に開いていくべきだろう。

2018/07/19(木)(飯沢耕太郎)

平林達也「白い花(Desire is cause of all thing)」

会期:2018/07/18~2018/07/24

銀座ニコンサロン[東京都]

1961年、東京生まれの平林達也の新作「白い花」も、「ピクトリアリズム」の美意識を取り込んだ作品である。こちらは、大正から昭和初期にかけて、日本の「芸術写真」の主流となった「ベス単派」の再現というべき写真が並ぶ。大正初年から日本に輸入された単玉レンズ付きのヴェスト・ポケット・コダック・カメラは、比較的値段が安かったのと、絞りを開放にするとソフトフォーカスの画面になることで、当時のアマチュア写真家たちが「芸術写真」を制作するのに好んで使用した。高山正隆、山本牧彦、渡辺淳、塩谷定好らの作品は、彼らの理論的な指導者であった中島謙吉が「情緒、気分、想念、さうした抽象的の感覚」と称した高度な作画意識を繊細なテクニックで実現しており、近年、国内外で再評価の機運が高まっている。

平林は、その「ベス単派」へのオマージュをこめて、キヨハラ製のソフトフォーカスレンズを使った作品を構想した。花、森、女性、水などの被写体もほぼ共通しているのだが、単なる懐古趣味や絵空事に終わらないリアリティを感じる。それは、もともと平林の関心が、「あらゆる生命の根本的な命題」である「欲望と環境」に向けられているからだろう。つまり「ベス単派」の作品よりも、より生々しい、切実さを感じさせる写真が並んでいるのだ。平林は東海大学卒業後の1984年にドイに入社し、2003年には銀塩写真のプリントに定評があるフォトグラファーズ・ラボラトリーを設立した。銀塩写真の暗室作業は、その意味で、彼にとってほかに代えがたい作品制作のプロセスといえる。特に今回の展示作品には、黒の締まりと光の滲みとを両立させるために、高度なプリントのテクニックが活用されていた。

なお、展覧会にあわせてUI出版から同名の写真集(装丁・長尾敦子)が刊行された。本展は8月23日~8月29日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/07/18(水)(飯沢耕太郎)

織作峰子「恒久と遷移の美を求めて」

会期:2018/07/13~2018/07/22

和光ホール[東京都]

デジタル化の進行とともに、新たな「ピクトリアリズム」が可能になってきている。「ピクトリアリズム」というのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて写真家たちを魅了した絵画的な写真表現のスタイルだが、デジタルプリントの合成や加工が簡単にできるようになったことで、画面を自らの美意識にあわせてほぼ完璧に整えていくことが可能になった。だが、その手の画像変換は、ともすれば安手で陳腐なものになりがちだ。織作峰子の今回の個展では、技術的にも内容的にも、デジタル時代の「ピクトリアリズム」の方向性を指し示す高度な表現として成立していた。

技術的には、金、銀、プラチナなどの箔の上に、レーザープリンタを使用して直接画像を載せていく手際が見事である。インクを箔と馴染ませるため、まず画像と同じ大きさの白地を引いて、その上にプリントするという手法を使っているという。内容的にいえば、日本画を思わせる花、樹木、花火などの主題が、無理なく画面に溶け込んでいる。4曲の屏風仕立ての「落合の醍醐桜」では、ブレを活かした画像をシンメトリカルに展開することで、写真特有の偶然性を取り込んでいくという工夫も見られた。花火を撮影した画像を、アクリル板にずらしながら重ね合わせて、「写真彫刻」として見せるやり方も面白い。小さくまとまりがちな「ピクトリアリズム」を、現代の映像表現としてよりダイナミックに開いていくことで、「恒久と遷移の美」をさらに先まで追い求めていってほしい。被写体の幅をもう少し広げることも(例えば人体など)考えていいのではないだろうか。

2018/07/17(火)(飯沢耕太郎)

三田村陽「hiroshima elements」

会期:2018/07/14~2018/08/11

The Third Gallery Aya[大阪府]

可視的な「ヒロシマ」の表象に安易に依拠するのではなく、「広島」という都市の現在を捉えることを通して、写真を撮る/見る営みについて考え続けること。この姿勢が、三田村陽の写真を一貫して支え続けている。約10年間、広島に通いながら撮影した写真をまとめた『hiroshima element』(2015)の刊行後、新たに撮影された写真群が「hiroshima elements」とタイトルを複数形に改めて発表された。

平和記念公園周辺や市街地、行き交う住民や観光客を、節度ある距離感を保ち、カラーのスナップとして撮影する姿勢は変わらない。ただ、本展を通覧して気づくのは、これまでよりも、「ヒロシマ」性を意識させる事物が画面に占める割合の増加である。例えば、「原水爆禁止広島集会」「原爆資料展」を告知する看板やポスター、古びた木造家屋の壁に貼られた「8月6日の祝日化」を訴える貼り紙、繁華街や駅前など公共空間に設置された被爆直後の市街地の写真パネル、被爆建築物、そしてメモリアルの施設。いずれも街中に断片的に散らばる文字情報や視覚情報、物理的痕跡だが、それらに目を向ける人はなく、あるいは無人の光景であり、「眼差しの対象ではない」ことが示される。皮肉にも、「ヒロシマ」を主張するメッセージや装置それ自体が「忘却や無関心」を鏡のように反映してしまっているのだ。

「眼差し」もまた、キーワードのひとつである。修学旅行と思しき学生の集団は、みな一様に何かに眼差しを向けているが、視線の先はフレームアウトして断ち切られ、彼らが「何を見ているのか」は分からない。あるいは、白杖を持った盲学校の生徒たちは、「見ることそのものの困難」を仮託した存在として写される。既発表作においても、写メする人々のスナップは散在していたが、ガラケーからスマホの自撮りへの移行は時代の変化を感じさせるとともに、広島での撮影行為が「観光客の消費する視線」でしかないことを露呈させる。「自分がこの地にいること」の証明と承認が、観光客としての模範的振る舞いなのであり、それは広島の地においても変わりはない。

三田村が観察するように、平和記念公園や周囲の川沿いは、観光客だけの占有物ではなく、広島市民にとって水遊びやお花見など日常的なイベントの場所でもある。季節は移ろい、昭和の風情を湛えた街並みは再開発によって姿を消していく。しかし、駅の伝言板に残された手書きのメッセージを写したショットが、「被爆直後に人々が家族や知人の安否を書き込んだ黒板」を想起させる時、時制が混濁した感覚に陥る。都市の表層は整備されて上書きされ、忘却されたようで、記憶のトリガーはあらゆる細部に潜んでいる。

遠景の原爆ドームを、「ビルのガラス壁面に映った左右対称の鏡像」と対で捉えたショットは、極めて象徴的な一枚だ。物理的存在としてのモノと、実体のない虚像のはざまに身を置きながら、二重写しになった、あるいは分裂を抱えた広島を眼差さざるをえないという矛盾や葛藤、もどかしさ。三田村の写真は、記憶と忘却、保存と痕跡の抹消、公的行事と日常生活空間、物理的実体と映像的体験、といったさまざまな矛盾や断層を引き受けながら、何が可視的で何が「見えていない」のかという問いそのものを都市的なスケールで見つめ続ける営みである。メモリアル施設のリニューアルや被爆した石橋の背後にそびえ立つ高層ビル群が示すように、「広島」は「ヒロシマ」として静止した時間だけではなく、刻々と新陳代謝を繰り返し、流れる複数の時間が日々積層されていく。安全に隔離・管理された資料館内部やアイコン=点としての原爆ドームだけを見る、すなわち「ヒロシマ」を確認する眼差しを批評的に検証しつつ、「過去に起きた大きな災厄」がどのように記憶され、歴史的出来事として登録されているのか(何を「記憶」すべきかがどう選別されているのか)を都市的なスケールで観察し、記録すること。断片的な個々の要素を積み上げ、その多面的な集合体を通して本質へ近づこうとする「hiroshima elements」の粘り強い結実がここにある。



三田村陽《hiroshima elements》 2018

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三田村陽「hiroshima element」|高嶋慈:artscapeレビュー
とどまりある 写真の痕跡性をめぐる対話|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/07/17(火)(高嶋慈)

石原友明「三十四光年」

会期:2018/07/14~2018/08/12

MEM[東京都]

石原友明は京都市立芸術大学卒業後の1980年代に、裸体のセルフポートレート写真を、紡錘形のキャンバスに感光乳剤で焼き付け、ペインティングを加えた立体作品を発表し始める。今回のMEMの展示では、そのなかの一作である「約束Ⅴ」(1985)、が背景のブルーの布も含めて再現された。ほかに、それらのセルフポートレート作品の元になったネガからあらためてプリントした印画、60点も展示していた。

石原のセルフポートレートは、「ものを身体化すること、身体をイメージ化すること、イメージをもの化すること、を繰り返すひとつのプロセス」として制作されている。初期の細身の体にカメラを向けた作品は、ナルシスティックにも見えなくはない。だが、そこに自己探求を突き詰めていく、クリティカルな眼差しが貫かれていることを見落としてはならないだろう。1980年代のネガを34年後に再プリントするという今回の試みは、老年にさしかかりつつある現在の彼の身体のありようと、かつてのそれとを対比しようという意図も含んでいるのではないかと思う。

もうひとつ、石原が今回「長年放置していた古いネガの整理」に取り組み始めたのは、「日に日に白黒写真の材料が手に入りにくくなって」いることに気づいたためだという。確かに石原に限らず、白黒の銀塩写真を使って仕事をしてきた写真家たちにとって、写真機材の枯渇は大きな問題になりつつある。デジタル化でカバーできない領域が出てくるのは当然のことだが、手をこまねいているわけにもいかない。なんとか安定供給のルートを確保することはできないのだろうか。

2018/07/15(日)(飯沢耕太郎)