artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

第12回 shiseido art egg 冨安由真展

会期:2018/06/08~2018/07/01

資生堂ギャラリー[東京都]

これは大規模なインスタレーション。地下へ階段を下りて受付を過ぎると、目の前にドアが。なかに入ると薄暗い部屋になっていて、別のドアを開けるとまた部屋になっていて……ギャラリー内にいくつもの部屋と廊下をつくり込んでいるのだ。しかも部屋に掛かっている絵がガタガタ揺れたり、テレビが急についたり、照明が点滅したり、子供のころ怖がった現象が次々に起こる仕掛け。いわゆる悪夢というか、お化け屋敷というか。

でも残念ながら、2つの似たような先行例があるのでインパクトは弱い。ひとつは、同じ資生堂ギャラリーで4年前に開かれた「目」の個展「たよりない現実、この世の在りか」。同じようにギャラリー内にホテルの客室と廊下をしつらえて、迷宮のような仕掛けを施していた。その記憶が強烈なだけに、二番煎じに見えてしまうのはやむをえない。もうひとつは、今年の「岡本太郎現代芸術賞展」で見たやはりお化け屋敷みたいな作品。これも暗い部屋をつくって家具や照明に細工を施したもので、作者はだれだっけと調べてみたら、なんと冨安由真さんご本人でした。なるほど「岡本太郎現代芸術賞展」ではサイズに制約があったから、今回はそれをギャラリーいっぱいに拡大して、「くりかえしみるゆめ」の世界を再現してみせたのかもしれない。

2018/06/08(村田真)

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MOTOKO「田園ドリーム」

会期:2018/06/01~2018/06/06

オリンパスギャラリー東京[東京都]

MOTOKOは2006年に写真の仕事で滋賀県高島市針江地区を訪れ、農業に関わる環境の「目には見えない多様な世界」に強い興味を覚えるようになる。2008年からは、滋賀県長浜市と高島市で、都会からUターンして米農家を継いだ若者たちを撮影し始めた。こうして「田園ドリーム」と名づけた写真シリーズが形を取っていった。

さらに東日本大震災以降、「田園ドリーム」の撮影・発表が呼び水となって、「カメラを使って地域の人が地域の魅力を発信する」という「ローカルフォト」の運動が、香川県小豆島、滋賀県長浜市、長崎県東彼杵町、静岡県下田町、山形県山形市などで相次いで生まれてくる。東京写真月間のテーマ展示「農業文化を支える人々──土と共に」の一環として開催された本展では、MOTOKOの「田園ドリーム」の作品とともに「小豆島カメラ」、「長浜ローカルフォトカメラ」のメンバーたちが撮影した写真、「真鶴半島イトナミ美術館」の活動を紹介する映像などが展示されていた。

展示を見て強く感じたのは、デジタルカメラとSNSの進化によって、写真を撮影・発表するシステムが大きく変わってきたということだ。MOTOKOがあえて「集合写真を撮る」ことにこだわり続け、カメラと正対するストレートな撮り方を基本としていることもあるが、プロとアマチュアの写真の質的な差異はほとんど解消されている。「誰でも簡単に質の高いデザインや写真が発信できる」いま、むしろ「ローカルフォト」の参加者の自発的なエネルギーを引き出しつつ、どのようにアウトプットの場を育てていくのかが重要になる。その意味では、彼らの活動自体が、カメラメーカーの運営するギャラリーの空間にはおさまりきれなくなってきそうだ。それぞれの「写真チーム」が、自分たちのやり方で発表の媒体をつくり上げるとともに、各プロジェクトの横のつながりも必要になってくるのではないだろうか。

2018/06/06(水)(飯沢耕太郎)

ミラクル エッシャー展 奇想版画家の謎を解く8つの鍵

会期:2018/06/06~2018/07/29

上野の森美術館[東京都]

エッシャー生誕120年記念展。出品作品はすべてイスラエル博物館の所蔵品という。それは今回の出品作品がエッシャーのコレクターであるチャールズ・クレイマーが同館に寄贈したものだからで、おそらく彼はユダヤ人だろう。ではエッシャーは? 彼の恩師のド・メスキータはナチスによってアウシュヴィッツに連行され処刑されたが、そのときエッシャーは恩師の自宅に散乱した作品を集めて美術館に預けたとか、戦後エッシャーはアムステルダム国立美術館で開かれた「ナチスに協力しなかった作家の展覧会」に出品したとか、反ナチズムの姿勢はうかがえるが、ユダヤ系かどうかは書かれていない。まあ人種に関することなので詮索するつもりはないけれど、その辺の関係が少し気になった。

出品作品は、初期の聖書主題や広告の仕事を除けば知られているものが多く、いまさらつべこべいうこともないので、ひとつだけ展示に関して疑問を。それは、作品の展示位置が高めなこと。身長165センチのぼくの目線では作品の中心線がちょうど真正面に来るので、高さはだいたい160センチくらい。これは成人男性の平均である身長170センチか、それ以上を想定した高さではないか。3、4メートルもあるような大作ならば見上げる位置に展示してもいいが、比較的小さな画面では高すぎで、これじゃあ女性や子供は見にくいだろう。背の低い息子が見たがっていたので残念だ。

2018/06/05(村田真)

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齋木克裕「Non-Architectural Photographs」

会期:2018/05/23~2018/06/17

銀座レトロギャラリーMUSEE[東京都]

齋木克裕は1969年、東京生まれ。2004年に文化庁の新進芸術家海外研修制度の助成を受け、その後ずっとニューヨークに滞在して作家活動を続けてきた。今回は、昨年の帰国後初の個展として、「Split」「Arrangements」「Reflection」などの代表的なシリーズを展示した。いわば、日本で写真家としてのスタートラインを引き直す作業の一環といえるだろう。

齋木の作品は主に建築物を題材として撮影された写真を「切り取り、入れ替え、繋ぎ合わせ、作品自体の物の構造に従って組み替え」ることによって成立する。多重露光を試みたり、複数の写真を組み合わせたり、立体化したりすることによって、「写真と抽象美術」というまったく正反対に思える表現のジャンルの、意外な親和性や共通性が浮かび上がることになる。その制作の手つきは高度に洗練されていて、とてもチャーミングな視覚的オブジェとなっている。今回の出品作品も、昭和通り沿いの銀座一丁目に1932年に竣工したという旧宮脇ビルを改装した「レトロ」なギャラリーの空間に、ぴったりとマッチしていた。

ただ、これから日本で活動するにあたっては、「写真と抽象美術」との関係をセンスよく展開するだけではやや物足りない。なぜ、この建築物なのかという動機づけの部分が、どんなふうに説得力を持って作品に取り込まれていくのかが重要になってくる。とはいえ、齋木のような緻密な思考力と構想力を備えた写真家が、日本ではそれほど多くないのも確かだ。ニューヨークでの経験の厚みを活かした、次の展開を期待したい。

2018/06/03(日)(飯沢耕太郎)

田原桂一「Sens de Lumière」

会期:2018/06/01~2018/06/10

ポーラ ミュージアム アネックス[東京都]

2017年6月に65歳で亡くなった田原桂一の1980~90年代の作品を展示した回顧展である。71年に渡仏した田原は、2006年に帰国するまで、パリを拠点に多彩な領域にわたる写真作品を制作・発表した。今回はそのなかから、布や石灰岩に彫像をテーマに撮影した写真を焼き付けた「Torso」シリーズを中心に展示している。
この時期の田原は、大理石の彫像を照らし出し包み込む光の美しさに魅せられ、その視覚的な体験をいかに写真作品として定着するのかを模索していた。結果として、スライスした石灰岩に感光乳剤を塗布し、画面の一部に金箔を貼り付けてプリントするという、装飾的な手法にこだわることになる。いま見直すと、京都出身の田原にとって、それは一見かけ離れた日本の伝統工芸と西欧の彫塑の美意識とを結びつけ、折り合いをつけようとする試みであったように思える。マニエリスティックな「Torso」の佇まいは、その苦闘のあらわれだが、必ずしもうまくいったとはいえないのではないだろうか。パリ時代の初期に発表された「窓」や「エクラ」などのシリーズと比較しても、ややひ弱な印象を受けてしまうのだ。
2010年代以降、田原は舞踊家の田中泯をモデルとして1978~80年に撮影された「Photosynthesis」シリーズの再構築や、最晩年の意欲的な新作「奥の細道」など、「写真回帰」の傾向を強めつつあった。「Torso」のような回り道も含め、彼の生涯をたどり直す本格的な回顧展をぜひ見てみたい。

2018/06/03(日)(飯沢耕太郎)

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