artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
飯嶋桃代展「鏡とボタン─ふたつの世界を繋ぐもの」
会期:2018/06/11~2018/06/30
ギャルリー東京ユマニテ[東京都]
画廊の正面の壁をミラーシートで覆い、その鏡面に5つの異なる色のボタンをつけ、手前に吊るされた白い服にはそれらのボタンに対応する色の穴(ボタンホール)を空けている。まあこれだけでもなんとなく意味ありげで、見ごたえのあるインスタレーションではあるが、これはジャン・コクトー監督の映画「オルフェ」に刺激されたものだという。もともとオルフェウス(オルフェ)は竪琴の名手で、死んだ妻エウリュディケーを取り戻すため冥界に下りて妻を連れ戻すが、最後に約束を破って後ろを振り返ったため妻は再び冥界へ戻され、オルフェウスも悲しんで身を投げるという神話。映画で印象的なのは冥界=鏡のなかに入っていくシーン(そこしか覚えてない)だが、その現実と冥界を分ける境界がこの鏡面だ。そして鏡面上のボタンの位置は、主を失った竪琴が星座になったという琴座のかたちを表わしているそうだ。また、ボタンとホールは男女の比喩かもしれない。考えているうちに鏡の向こう側にずぶずぶと引き込まれてしまいそうな作品。
2018/06/30(村田真)
都美セレクション グループ展 2018 複数形の世界のはじまりに
会期:2018/06/09~2018/07/01
東京都美術館[東京都]
「都美セレクション グループ展2018」を見る。世界5都市から集まったアーティストたちによる「蝶の羽ばたき」も、社会的役割としての性別とはなにかを考える「インビジブルな存在と私たち」も、グループとしては大きな意義があるが、作品としてピンと来るものがない。だが、最後に見た「複数形の世界のはじまりに」はピンと来た。グループとしての活動はよくわからないけど、そんなことはどうでもよくて、とにかく作品がおもしろい。
たとえば舟木美佳の《一千一秒物語》は、稲垣足穂の同題の文庫本を、間違って洗濯機にでも入れたかのように紙粘土状にしたもの。文字の読めない本の固まり。小野環の《再編/整頓/混沌》は、画集を切り刻んで小さな本や本棚をつくった「箱庭」。《粘土還り》も同じく画集を素材に、改修前の都美術館のまさにここギャラリーB周辺を再構築したもので、入れ子状になっているのだ。井上明彦の《ときの河原》も「この場所」を問題にした作品で、美術館の改修以前の床のタイルの目地に青いテープを貼り、拡張工事の記憶を甦らせている。これらの作品が、ギャラリー中央にしつらえたテラスの周辺にあたかも粘菌のようにはびこっている。このグループの名称は展覧会名と同じ「複数形の世界のはじまりに」というもの。つまりこの展覧会のために集まったグループであり、「ここで行う展覧会」そのものを主題にしているのだ。そこがおもしろいのだ。
2018/06/30(村田真)
七菜乃「My Aesthetic Feeling 2018」
会期:2018/06/29~2018/07/15
神保町画廊[東京都]
モデルの七菜乃は、2015年頃から自作の写真を撮影・発表するようになった。最初は「自撮り」が中心だったのだが、2016年頃からはSNSでモデルを募集して「集団ヌード」の撮影を試みるようになる。東京・神田の神保町画廊での個展は、今回で4回目なのだが、前回の「My Aesthetic Feeling」(2017)あたりから、その「集団ヌード」の面白さが際立ってきた。
今年4月に都内のスタジオで行なわれた撮影では、これまでで最多の24人のモデルたちが集まったという。募集の条件は「20歳以上の女体をお持ちの方」ということで、最年長は41歳だった。女性たちは明るい日差しが差し込む空間で、リラックスした雰囲気でポーズを取っている。それぞれの個性的な「からだ」の表情が、これだけの多人数になるとむしろひとつに溶け合って、精妙なハーモニーを奏でるようになる。どちらかといえば全体的に控えめな、穏やかな雰囲気を醸し出しているのは、モデルが日本人だからかもしれない。自己主張の強い西洋人の「からだ」だと、こうはいかないのではないだろうか。レンズに布を被せて画面をソフトフォーカスにしたり、手袋、林檎などの小道具使ったりする演出もうまく効いていた。
この「集団ヌード」は、もっとさまざまなシチュエーションでの撮影が考えられそうだ。また「20歳以上の女体をお持ちの方」という条件の設定も、より幅を持たせてもいいかもしれない。むろん作者の「Aesthetic Feeling」を尊重しなければならないが、特に「20歳以上の女体」に限定する必要もないのではないだろうか。異質な要素を取り込めば、さらなる可能性が開けてきそうな気もする。
2018/06/28(木)(飯沢耕太郎)
柿崎真子「アオノニマス 廻」
会期:2018/06/20~2018/07/29
POETIC SCAPE[東京都]
柿崎真子は1977年、青森市生まれ。秋田大学教育学部卒業後、東京綜合写真専門学校で学び、2010年代から「アオノニマス」シリーズを中心に発表するようになった。「アオノニマス」とは「アオモリ+アノニマス」を意味する柿崎の造語で、確かにそこに写っているのは、地域的な特性がほとんど見えないアノニマス=匿名な風景が大部分である。柿崎はこれまで『アノニマス 雪』(2012)、『アノニマス 肺』(2013)と、2冊の私家版写真集を刊行してきた。それらに掲載された写真群と比較しても、地表、岩場、水などを中心とした本作のほうが、より匿名性が強まっているように感じる。
地域性や風土性に寄りかかった「風景写真」ではなく、あたかも医者が人体を診るように「景観」の細部をきちんと検証していこうとする柿崎の意図はよく伝わってくる。だが、今回展示された14点のように、あまりにもノイズを削ぎ落としすぎると、もともと彼女の写真に備わっていた揺らぎや膨らみも失われてしまう。そのあたりのバランスをとりつつ、『アオノニマス 雪』から立ち上がってくる人の気配や、『アオノニマス 肺』の森の植物をクローズアップで撮影していくようなアプローチも、うまく取り込んでいくべきではないだろうか。また、地理学と民俗学の融合というのも、興味深い方向性だと思う。
なお、展覧会に合わせて蒼穹舎から堅牢な造本の写真集『アオノニマス 廻』が刊行された。写真集を見ても、同シリーズはまだ制作途上のように思える。より大胆な展開を期待したい。
2018/06/27(水)(飯沢耕太郎)
露口啓二『地名』
発行所:赤々舎
発行日:2018/02/01
露口啓二は、昨年(2017)、福島県の原子力発電所事故にともなう「帰還困難区域」と「居住制限区域」を含む風景写真集『自然史』(赤々舎)を上梓し、高い評価を受けた。その彼の次の写真集は、1999年に開始され、中断を経て2014年に再開された「地名」シリーズだった。北海道各地で撮影された写真には、それぞれ「大誉地/Oyochi/o-i-ochi(川尻〈そこ〉に・それが・多くいる・ところ=river mouth.it.a lot of.place)」という具合に、和名の地名とその読み、その元になったアイヌ語の地名とその意味が付されている。いうまでもなく、露口がもくろんでいるのは、アイヌたちが暮らしていた土地を収奪して上書きした北海道の地名が孕む重層的な構造を、写真と「地名」を通じて暴き出すことである。併記された和名とアイヌ語を眺めているだけで、さまざまな感慨が湧き上がってくるのを抑えることができない。
さらに興味深いのは、「成人した人々の標準的と思われる視線の高さ」で撮影された場所を、少し時間を置いて「再度訪れ、同じ場所から前回の写真の右あるいは左を撮影」していることだ。写真集には、そうやって撮影された2枚の写真が並んでいるのだが、この操作も二つの地名と同様に、その「間」へと思いを導くために設定されているのではないだろうか。周到に準備され、細やかに達成された作業の集積によって、日本の風景を、写真を通じて読み解いていく新たな回路が生み出されつつある。『自然史』と『地名』を二つの柱とする露口の写真家としての営みが、今後、どのように大きく開花していくのかが楽しみだ。
2018/06/25(月)(飯沢耕太郎)