artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

プレビュー:児玉幸子展覧会「眩惑について─Éblouissant」

会期:2017/10/06~2017/11/26

清課堂[京都府]

「磁性流体」と呼ばれる液体金属を用いて、まるで生き物のように変形する彫刻作品を制作する児玉幸子。彼女が用いる素材は、酸化鉄のナノ粒子が溶け込んだコロイド溶液。磁性流体は磁力をかけるとトゲのように変形する性質があり、児玉は電磁石の磁力をコンピューターで制御することにより、独自の「磁性流体彫刻」をつくり出すことに成功した。本展では、素材と動きと光による「眩惑」をテーマに、《モルフォタワー》(画像)をはじめとする10作品を展示。未発表作品も含まれるので、既知の人にとっても出かけがいのある個展となるだろう。なお、本展会場の清課堂は老舗の錫屋で、店舗に陳列されている商品や伝統的な京町や建築も見応えがある。また、本展の初日には京都市内の多くの画廊やアートスポットで「ニュイ・ブランシュ京都2017」というイベントが行なわれ、本展もこの日だけは午後10時まで開廊している。夜の京都観光も兼ねて出かけるのもいいだろう。

2017/09/20(水)(小吹隆文)

生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ

会期:2017/09/16~2017/11/12

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]

東郷青児(1897-1978)の生誕120周年を記念する特別回顧展。回顧展ではあるが、デビューから晩年までを追うのではなく、おおむね1950年代末まで。なかでも1930年代の仕事に焦点が当てられている。1950年代末は評論家の植村鷹千代が東郷の没後1周年の回顧展で用いた通称「東郷様式」が確立する時期に当たる。植村は東郷作品の特徴を「(1)誰にでも判る大衆性(2)モダーンでロマンチックで優美、華麗な感覚と詩情(3)油絵の表現技術にみられる職人的な完璧さと装飾性」とまとめている。他方で1930年代半ばは、東郷が前衛画家からモダン美人の画家に変貌する時期。すなわちこの展覧会の主旨は東郷様式の形成過程を読み直すということなのであろう。
展示は4章で構成されている。第1章は「未来派風」の前衛画家としてのデビュー(1915)から滞欧期(1921-1928)まで。第2章は東郷の帰国(1928)から1930年代前半で、書籍の装幀や室内装飾、舞台装置などのデザインも紹介されている。第3章は1930年代後半からの戦前期(1944)。泰西名画調のモチーフをレパートリーに加え、近代的な女性美を生み出した時期であり、ここでは藤田嗣治と競作した京都の丸物百貨店の壁画作品が紹介されている。第4章は戦後二科展の再開(1946)を経て1950年代末、「東郷様式」の確立までを辿る。
植村鷹千代は「東郷様式」の特徴の最初に「誰にでも判る大衆性」を挙げているが、東郷がフランスから帰国する前後から1930年代にかけての日本はまさに「美術の大衆化」の時代。そしてその時期に東郷作品の様式が変化していった。実際、本展でも多くが紹介されている東郷の商業美術の仕事を見ると、彼が美術の大衆化の時代の人であったという印象を強くする。とくに興味深く見たのは東京火災(のち安田火災海上、現 損保ジャパン日本興亜株式会社)の広報物の仕事だ。同社は1934年(昭和9年)から東郷にデザインを依頼し、各種パンフレットやカレンダーにその作品を用いてきた。東京火災保険の社長であった南莞爾(1881-1940)に東郷を紹介したのは同社の印刷物一式を手がけていた一色印刷所の吉田眞一郎。吉田の回顧(「南さんと印刷」『南莞爾 追悼録』、1968、254-260頁)や社史(『安田火災百年史』、1990)によれば、南莞爾は東京火災のオフィスの建築や宣伝活動に力を入れており、東郷青児に仕事を依頼する以前には和田三造らを起用。大正末から昭和初期にかけて、同社がすでにCI(コーポレート・アイデンティティ)ともいえるようなデザイン戦略を採っていた様子がうかがわれる。さらに南は東郷の二科展出品作品を購入し、それをカレンダーに仕立てて配布する。東京火災の顧客は主に重化学工業系の新興財閥で、東郷の作品は印刷物として大量に複製され、国内のみならず朝鮮半島、満州にも広がっていった。印刷物を見ればわかるが、東郷が描く女性像のシンプルな輪郭と滑らかなグラデーションは、とても印刷映えがする。損害保険の広告物に叙情性ゆたかな女性像を採用した南莞爾の慧眼に感心する。東京火災/安田海上火災の仕事以外にも、各種書籍の装幀、壁画、雑誌表紙絵、包装紙などを通じて東郷青児のイメージが大衆、すなわち美術愛好家以外の人々の間にも広まっていっただろうことは想像に難くない。他方で、今回東郷青児の作品をまとまって見て、彼の作品には「様式」はあるが「思想」がない、装飾画のように感じた。このことは「大衆性」と表裏一体でもあろう。それではこうした「大衆性」を特徴とする東郷作品の原点はどこにあるのだろうか。田中穣氏が『心寂しき巨人 東郷青児』(新潮社、1983)で示唆しているように、竹久夢二か、あるいは岸たまきなのだろうか。[新川徳彦]
公式サイト:http://togoseiji120th.jp/

2017/09/19(火)(SYNK)

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奥能登国際芸術祭2017 その2

会期:2017/09/03~2017/10/22

珠洲市全域[石川県]

そうしたなか、この芸術祭でひときわ異彩を放っていたのは、鴻池朋子である。鴻池が注目したのは、海と陸の境界線である海岸線。山の幸と海の幸、あるいは近海で入り乱れる寒流と暖流など、境界線ないしは境界領域は、今回の芸術祭のキーワードである。その海岸線に沿って走る山道を汗をかきながら十数分歩くと、切り立った断崖絶壁と荒波が打ち寄せる岩礁にそれぞれ立体造形作品が現れる。それらは、人間と動植物が融合したような異形の造形物。全体が白く着色されているせいか、大自然のなかで見ると、さほど大きな違和感があるわけではないが、よくよく見ると人間の脚がはっきりと確認できるので、少し焦る。たとえ車で移動したとしても、身体性を強く意識させられる作品である。
鴻池の作品が優れているのは、それが自然の風景を美しく見せるための装置ではないからだ。美しい自然をより美しく見せるためのフレームに徹したような作品は、この芸術祭に限らず、近年非常に数多い。だが、鑑賞者に険しい登山道を登り下りさせるという過酷な条件を突きつけているように、鴻池は自然を美しく見せることにおそらく関心を寄せていないのだろうし、そもそも自然を美と直結させる見方を拒否しているのではないか。自然のただなかで暮らした経験のある者であれば誰もが知るように、人間にとって自然は美しいこともあるが、同時に厳しくもあり、場合によっては醜悪ですらある。海と陸の境界線上で、人間と動植物が溶け合ったようなオブジェが体現していたのは、そのような二面性ないしは両義性ではなかったか。
自然に恵まれた環境で催される芸術祭は、自然の美しさや地元住民のやさしさを喧伝する場合が多い。それらが限られた文化的資源のなかで対外的なイメージ戦略を打ち立てるうえで、非常に有効な言説であることは事実だとしても、同時に、それらが「つくられたイメージ」であることもまた否定できない。鴻池の作品は芸術祭の内部で芸術祭を批判する、きわめてクリティカルな意味があり、それを内側に含み込めたこの芸術祭はそれだけの深さと奥行きを持ちえているという点で高く評価したい。

2017/09/19(火)(福住廉)

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奥能登国際芸術祭2017 その1

会期:2017/09/03~2017/10/22

珠洲市全域[石川県]

石川県能登半島の先端に位置する珠洲市を舞台に催された初めての芸術祭。国内外のアーティスト40組が、市内の随所に作品を展示した。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2000~)をはじめ、「瀬戸内国際芸術祭」(2010~)、そして「北アルプス国際芸術祭」(2017~)に続く、北川フラムによる芸術祭のひとつだが、開催規模も土地の風土もそれぞれ異なるとはいえ、これらのなかでもひときわ鮮烈に輝く芸術祭だと思う。
何よりも決定的な魅力が、清涼感あふれる土地である。山は、越後妻有と違って、なだらかな稜線を描き、海は、瀬戸内とは対照的に、荒々しくも力強い波が打ち寄せる。ちょうど台風18号が通過した直後だったせいかもしれないが、大気が恐ろしいほど澄んでいるのもこの上なく心地がよい。東京から飛行機を使えば1時間だが、北陸新幹線経由では4時間あまり。文字どおり「最果て」というフレーズが似つかわしい土地だが、そこまで足を伸ばす価値は十分にある。
美術作品は、そのような土地の風景と有機的に関係するかたちで展示されている。美しい風景をフレーミングしたり、その土地の記憶を掘り起こしたり、越後妻有や瀬戸内で繰り返されてきた作品の様態とさほど変わらない点は否めない。けれども本展の作品は、その土地の特性を十分に活かすかたちで関係づけられていた。
塩田千春は空間を赤い糸で編み込んだインスタレーションを発表したが、その基底には砂を積んだ砂取舟を設置した。海岸線にはいまも塩田が続いており、砂取舟はそのために実際に使われていたものだという。自らの作風を維持しながら、土地の特性を巧みに取り入れたのである。またトビアス・レーベルガーは廃線の線路上にカラフルでミニマルなインスタレーションをつくった。設えられた双眼鏡を覗くと、はるか先の旧蛸島駅のそばに組み立てられたネオンサインが望めるという仕掛けである。造形として見ればミニマリズム以外の何物でもないが、その土地と有機的に関係するという点では、サイトスペシフィック・アート以外の何物でもない。ミニマリズムの可能性をいま一歩押し広げた傑作である。
ほかにも、サザエの貝殻で外壁を埋めるとともに、内装をサザエのように湾曲させた村岡かずこや、漂着物で再構成した鳥居を海岸に立ち上げることで、ほとんど無意味だった空間にいかがわしい神聖性を付与した深澤孝史など、土地との有機的な関係性を切り結んだ優れた作品は多い。あるいは、地元住民を巻き込みながら巨大UFOを召喚しようとする映像作品を制作したオンゴーイング・コレクティブの小鷹拓郎も見逃せない。越後妻有や瀬戸内、北アルプスなどの先行する芸術祭と比べると、廃線の線路や駅舎、海岸、銭湯、バス停など、作品を制作ないしは設置するうえで、きわめて恵まれた条件がそろっていることは事実である。だが、そのようなアドバンテージを差し引いたとしても、今回の芸術祭はこの土地で作品を見る経験に大きな意味があることを実感できる、非常に優れた芸術祭である。

2017/09/18(月)(福住廉)

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パオラ・ピヴィ「THEY ALL LOOK THE SAME」

会期:2017/08/26~2017/11/11

ペロタン東京[東京都]

パオラ・ピヴィって最近聞いたことあるなあと思ったら、ヨコトリにカラフルなクマちゃんのぬいぐるみを出してたアーティストね。カワイイ羽毛に覆われた凶暴なホッキョクグマ。ここでも白と青の2頭のクマちゃんが宙づりになっているが、今回のメインは壁にかけられた9個の回転する車輪のほうだ。車輪はひとつずつ色もサイズもデザインも異なり、回転する向きも早さもそれぞれ違っている。さらに奇妙なのは各車輪にダチョウやキジ、キンケイなどさまざまな鳥の羽根を放射状につけてくるくる回っていること。金属製のカッチリした車輪に、フワフワ軽快な羽根。

2017/09/16(土)(村田真)