artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
SENSE OF MOTION あたらしい動きの展覧会
会期:2016/11/09~2016/11/20
スパイラルガーデン[東京都]
ベアリングを製造する日本精工株式会社の創立100周年を記念し、円形の吹抜けを見事に活用したエマニュエル・ムホーのインスタレーションのほか、ライゾマ、ナデガタ、石黒猛らが出品している。カタイ会社だが、その製品のイメージをうまくアートとデザインで表現した企画。なお、築30年越えのスパイラルも建築として改めて隅々まで見学すると、ほかの槇文彦による建築と同様、いまだよい状態である。
写真:左=上から、ナデガタ、エマニュエル・ムホー 右=エマニュエル・ムホー
2016/11/11(金)(五十嵐太郎)
つくることは生きること 震災 《明日の神話》
会期:2016/10/22~2017/01/09
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
大災害に襲われたとき、アーティストになにができるのか。そのことが最初に問われたのは阪神淡路大震災のあとだった。その5年後の2000年、前年に開館したばかりの岡本太郎美術館は「その日に─5年後、77年後 震災・記憶・芸術」展を開いた(「77年後」とは関東大震災からの年月)。あれから16年、よりによって太郎生誕100年の年に起こった東日本大震災の5年後、同様の企画展を開くことになった。今度は想定外の原発事故が起こったため、核エネルギーのすさまじさを表現した太郎の巨大壁画《明日の神話》(下図)を中心にして。ここで「おや?」と思ったのは、朝日新聞にも書いたことだが(11/22夕刊)、原発事故に《明日の神話》とくれば、だれもが巨大壁画に原発事故の絵を付け加えたChim↑Pomを思い起こすはずなのに、出品作家にその名が見られないこと。ではだれが出品しているかというと、震災前から東北芸工大の教師と学生を中心に東北固有の絵画を追求している「東北画は可能か?」、津波でアトリエを流され、原発事故で家を追われた木彫家の安藤榮作、地元の被災地を淡々と撮り続ける写真家の平間至と映像作家の大久保愉伊、被災地に駆けつけアートで支援活動を行なう団体アーツフォーホープといった人たちだ。彼らの多くは東北出身か在住だが、震災に対しても原発事故に対しても声高に叫んだり批判したりすることなく、被災者に寄り添い、不気味といっていいほど静かにつくり続けている点で共通している。まさにタイトルのとおり「つくることは生きること」を実践しているのだ。
2016/11/10(木)(村田真)
石川竜一「okinawan portraits 2012-2016」
会期:2016/10/18~2016/11/12
入れ墨、ヤンキーやゴスロリ、異性装者。あるいは都市に生息し、化粧や服装がどこか周囲から浮いて奇異に感じられる人。そうした雑踏の中で特異な存在感を放つ被写体に正面から向き合って撮った、力強いポートレイトで注目される写真家・石川竜一の個展。同名タイトルの写真集が赤々舎から刊行されている。
本展では、これまで発表してきたポートレイト群からの過渡的な移行が4点にわたって見られた。1点目は、画面のフォーマットが正方形から長方形へ変化したこと。それに伴い、2点目として、空間的奥行きへの意識が生まれたこと。以前は、被写体の個性を前面に押し出したポートレイト主体の写真だったが、人物の背後の空間を意識したレイヤー構造が生まれている。例えば、画面手前でストロボの光を浴びて笑う、ロリータファッションの若い女性と、背後の暗闇に沈むホームレスとの対比。女物のキャミソールを身につけ、こちらへ射抜くような眼差しを向ける中年男性の背後では、マリリン・モンローの巨大な看板が微笑んでいる。あるいは、2人組の女子高生の横には、地面に激突したような格好で無残に倒れた陸橋と「歩行者注意」の文字が赤く光る看板が並び、日常風景に異様な裂け目を見せている。このように、人物だけでなく、風景が抱える奇妙さや歪み、綻びのようなものも石川の眼差しの射程に入ってきており、3点目として風景のみの写真の出現とも結びつく。それらはとりたててショッキングな風景ではないが、例えば、明るい陽射しを浴びて広い芝生に建つモダンな平屋建ての建物は、よく見ると扉や窓が破れて室内も荒れている。立地や建築の特徴から米軍関係のものと思われるが、どこか不穏さをかきたてる光景だ。そして4点目として、単体のポートレイトの中に「2人組」が出現し、人物を「あるグループの類型」として捉える視線が生まれている。ごく普通の女子高生や中年男性もいれば、夜の街で客引きする女性たち、化粧が白浮きした顔にギョッとさせられる中年女性たちもいる。路上から捉えた「沖縄の今」の並列的なカタログ化が試みられていると言えるだろう。
こうした変化はさらに今後、「沖縄写真」の新たな面を切り開くシリーズとして結実していくのではないだろうか。それは、日本の地方都市に漂う、平凡さとダサさをどうしようもなく抱え込んだバナキュラーな性質に対して、沖縄という場所が持つ共通性と特異性をあぶり出していく作業でもある。またそれは、「琉球文化の古層が残る島」といった超歴史的・神話的な時間へのノスタルジー/基地闘争という政治的主題、といったイメージの二極から離れた「沖縄写真」の成立へと向けられている。
2016/11/10(木)(高嶋慈)
田中長徳「PRAHA Chotoku 1985・2016」
会期:2016/10/20~2016/11/26
gallery bauhaus[東京都]
田中長徳にとってプラハは特別な意味を持つ街だ。1989年から2014年にかけては6区にアトリエを構えて、たびたび行き来していた。プラハの屋根裏部屋に暮らしていたのは、アトリエができる数年前からで、今回のgallery bauhausの個展では、1985年に撮影した27点と、2016年1月に改めてプラハを訪ねて撮影した34点、計61点のプリントが展示されていた。
その2つのシリーズの肌合いの違いが興味深い。6×9判のプラウベルマキナで撮影された1985年の写真は、日本の風土とは異質の石造りの街並みに即して、きっちりとした画面構成を試みている。ちょうどその頃のプラハは、「未曾有の市内大改築」の最中で、あちこちで敷石が掘り返され、建物が壊されて「まるで内戦のような」光景だったという。数年後の社会主義政権の崩壊を予感させるそんな眺めを、田中はあくまでも冷静な距離をとって撮影していた。
ところが、ライカ、コンタックス、キエフの35ミリカメラを併用して撮影したという2016年のプラハの写真の画面には、ブレや揺らぎが目立つ。ガラスの映り込みがカオスのような眺めを生み出し、真っ黒いシルエットとなった道行く人たちは、まるで亡霊のように彷徨っている。プラハに向き合うときの何かが、彼のなかで大きく変わったのではないだろうか。 DMに寄せた文章には「今回の写真展はあたしの『プラハ三十年』の終了宣言でもある」と書いている。その理由は明確に述べられていないのだが、写真からは確かに断念の怒りと哀しみが伝わってくるように感じる。その激しさに、いささかたじろいでしまった。
2016/11/09(飯沢耕太郎)
臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 禅─心をかたちに─
会期:2016/10/18~2016/11/27
東京国立博物館[東京都]
坊主と武将の絵と、禅僧の彫刻と書。見るからに辛気くさいものばかりだが、おっと目が止まったのが《南浦紹明像》という禅僧を描いた絵。顔料がはがれて下の絵が表われたんだろうが、目が4つ、口が2つのダブルイメージになっている! しかも顔以外はすぐ後に展示されてる《虚堂智愚像》とそっくり。着せ替え人形みたいに禅僧のフォーマットがあって、顔をすげ替えるだけで一丁上がりみたいな。日本の古美術にはこういうモダンアートにはないエグさがある。
2016/11/08(火)(村田真)