artscapeレビュー

高田冬彦「STORYTELLING」

2016年05月15日号

会期:2016/04/16~2016/05/21

児玉画廊[東京都]

東京都現代美術館の「キセイノセイキ」展では過去作(「Many Classic Moments」「JAPAN ERECTION」)が展示されている高田冬彦。この展覧会の問題意識には賛同したいものの、高田の創作の原動力は「キセイ」への反省や反発ではないから、あの起用はどうしても高田の過小評価に映ってしまう。言い換えれば「キセイ」への問いかけという「正しい」振る舞いによってでは、高田作品が写し取ってくる人間の「おかしな」状況を保持するのは難しい、ということだろう。「おかしな」と形容してみたが、他の作家にはあまりない高田作品の特徴に、普通の人間の心情を描くというところがある。人間には誰だって自分を「見せたい」、他人から「見られたい」という欲望がある。自分を誇示し、他者から評価をえるために、美しく、かっこよくなりたい。普通の人間はだからゲスい。ゲスさを隠してかっこよく美しいものやコンセプトを掲げるのもこれまた(他者を意識した)十分にゲスい振る舞いだが、世の中に流布している「美術」とは大抵そういうものだろう。高田はもう一度それをひっくり返す。そこで重要なのは、公の眼差しを回避できる自宅アパートを撮影スタジオにしていることだ。Youtuberと同じく、高田は自宅で私秘的な行為をカメラ前で繰り返す。Youtuberと違うのは、高田の欲望はクリック回数を増やすところにではなく、公の視線を意識するとひとは隠してしまいがちな、「見られたい」「見せたい」欲望とそのファンタジーを躊躇なく開示してしまうところにある。本展の表題作「STORYTELLING」(2014)では肛門のまわりに付けたインクがロールシャッハ・テストの如き形をとり、その形を高田が解釈し、物語る。「Cambrian Explosion」(2016)では立って歩きたい人魚に扮した高田が自らの尾びれを刃物で真っ二つにする。「Ghost Painting」(2015)の高田は、白い布をかぶった幽霊が赤く血濡れた頭(高田の頭)をカメラ前の透明な壁(キャンバス)に押し付け、赤色の絵画を描く。「Afternoon of a Faun」(2016)では高田演じる牧神男が性的夢想の中で、妖精たちに翻弄されながらセルフィーに耽る。どれもカメラを前にした興奮が肉体的衝動を実行に移させている。普通のことだ。「おかしな」普通が露出している。これは、いわば生々しいポップ・アート(大衆を描くアート)なのである。
図版:高田冬彦「Afternoon of a Faun」2015年 (映像からのキャプチャー)
写真提供:児玉画廊 / courtesy of Kodama Gallery

2016/04/20(水)(木村覚)

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