artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
杉浦邦恵「Little Families; 自然への凝視 1992-2001年」
会期:2016/01/30~2016/02/27
タカ・イシイギャラリー東京[東京都]
杉浦邦恵はシカゴ美術館付属美術大学でケネス・ジョセフソンに師事し、1967年に同大学を卒業後、ニューヨークに移って、当地で作品制作を続けているアーティスト/写真家である。近年は主にフォトグラム作品を制作しているが、今回のタカ・イシイギャラリー東京での個展では、そのなかから生きものをテーマにした作品を展示した。
フォトグラムはいうまでもなく、印画紙上にモノを配置し、光を当ててその輪郭を定着する技法だが、そのモチーフとして生きものが使われることはほとんどない。だが、杉浦は主にコントロール不可能な動物や人間を被写体にしていて、そのことが彼女のフォトグラム作品に、偶発的に生み出された陰翳や形がもたらす、軽やかな律動感を与えている。例えば、今回展示された「The Kitten Papers(子猫の書類)」(タイトルが素晴らしい)では、「暗室の感光紙の上に一晩中ほっておかれた」二匹の子猫の動きの軌跡を、繊細なモノトーンの画面に定着した。ほかに、蝸牛をモチーフにした「Snails」、蛙をジャンプさせた「Hoppings(飛び跳ねる)」など、身近な、小さな「自然」のありようを見つめることで、そこから驚きや感動をともなうイメージをつかみ取ろうとする姿勢は、どこか俳句のようでもある。19世紀以来の伝統的手法であるフォトグラムは、まださまざまな方向に伸び広がって行く可能性を秘めているのではないだろうか。
2016/02/26(金)(飯沢耕太郎)
第39回東京五美術大学連合卒業・修了制作展
会期:2016/02/18~2016/02/28
国立新美術館[東京都]
見た順に書くと、まず東京造形大学。なぜかここはいつも迷路のような会場構成になってるうえ、絵画、彫刻という形式から外れる作品も多いので一見にぎやかだが、男女がチューする4点セットの巨大絵画を出した谷崎桃子以外は大したことない。日本大学芸術学部は例年どおり見るべき作品はなく、もっとも人数の多い多摩美術大学もいつになく佳作が少ない。そんななかでも、迷路とスプレーペインティングによるこれも大作4点セットの安部悠介が際立っていた。個人的にはアラビア半島の地図とアラブ人、戦車、戦闘機を看板絵のように描いたジャマル・イビティハルが場違いで好感を持ったが。女子美術大学は凡作の山だが、身近な人たちのスナップ写真を12点の油彩にした大武唯は、並べ方に難があるにしても発想は評価したい。武蔵野美術大学はカスも多いが、秀作も多い。プリント柄や刺繍の布を貼り合わせて表装に仕立てた池上怜子は、日本絵画のパレルゴンを抽象画として見せているし、井上真友子の《歩道橋》は「FACE2016」の《嵐の前》ほどではないけど勢いを感じさせる。彫刻では小さなトルソを14点ほど並べた堀田光彦に注目したい。
2016/02/25(木)(村田真)
グイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ個展 killing time|無為の境地
会期:2016/02/20~2016/03/21
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]
オランダ出身で、現在はハッシ(フィンランド)、ベルリン、アムステルダムを拠点に活動するグイド・ヴァン・デル・ウェルヴェ。彼の作品の特徴は、自らが行なったパフォーマンスの記録を元に映像作品を制作することだ。また、作品に自作の楽曲を用いることもある。例えば《第14番「郷愁」》では、音楽家のショパンを題材に、ワルシャワの聖十字架教会からパリのペール・ラシューズ墓地までトライアスロンで走破した。ほかにも、凍った海の上で砕氷船の直前を歩く《第8番「心配しなくても大丈夫」》や、北極点に立ち24時間かけて地球の自転と逆に回転する《第9番「世界と一緒に回らなかった日」》といった作品がある。本展では、過去10年間の作品から7点を選んで展示した。なかには日本人には理解し難いユーモア感覚の作品もあり、とまどったが、それも含めて貴重な機会だった。美術大学が運営し、アートセンター的な活動も行なう京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAならではの企画と言えるだろう。
2016/02/23(火)(小吹隆文)
金川晋吾『father』
発行所:青幻舎
発行日:2016年2月18日
何とも形容に困る、絶句してしまうような写真集だ。金川晋吾は、サラ金で借金を作っては「蒸発」を繰り返す父とその周辺の状況を、2008~09年にかけて撮影した。それらの写真群が写真集の前半部におさめられ、同時期に金川が執筆した「日記」をあいだにはさんで、後半部には「毎日自分の顔を一枚と、写す対象は何でもいいので何か一枚」撮るようにと父に指示して撮影してもらった「自撮り写真」1000枚以上が収録されている。
金川が、なぜ父の写真を撮り始め(撮ってもらい)、このような写真集にまとめたのか、その動機の明確な説明はない。だが、写真撮影を通じて、人間存在の不可解なありようを解きほぐし、見つめ直そうという強い意志を感じとることができる。否応なしに始まった写真撮影の行為が、次第に確信的になっていくプロセスが、ありありと浮かび上がってくるのだ。特に、父が撮影した「自撮り写真」を見ていると、それらが何とも言いようのない力を発していて、じわじわと見えない糸に絡めとられていくような気がしてくる。ほとんど無表情で、カメラを見つめる中年男の顔、顔、顔の羅列は、写真を撮るという行為にまつわりつく「怖さ」(同時に奇妙な快感)を、そのまま体現しているように思える。気になるのは現在の父との関係だが、そのあたりをフォローした新作の発表も期待したい。
なお、作者の金川晋吾は1981年京都生まれ。神戸大学発達科学部卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科(先端芸術表現専攻)で学んだ。本作が最初の本格的な写真集になる。
2016/02/23(水)(飯沢耕太郎)
三軒茶屋 三角地帯 考現学
会期:2016/01/30~2016/02/28
世田谷文化生活情報センター 生活工房[東京都]
世田谷通りと国道246号線に挟まれた三軒茶屋のデルタ地帯、通称・三角地帯。極小の飲食店やアーケード商店街、銭湯などがひしめき、それらのあいだを細かい路地が縫うように走っている。再開発が進められている周囲の街並みとは対照的に、この一帯だけ昭和で時間が止まったかのようだ。
本展は、この「三角地帯」をフィールドにした考現学的調査の結果を報告したもの。考現学とは、今和次郎らによって実践された都市風俗の観察と記録の活動で、それらの結果を手書きのイラストレーションや図表、テキストによってレポートした。本展もまた、そのようなメディアを用いている点では考現学と変わらない。けれども考現学と大きく異なっているのは、その調査のテーマ。通行人の歩行経路をはじめ、呑み屋で提供されるビールの銘柄やお通しの種別、スナックで歌われるカラオケの曲目など、それらの大半は知られざる呑み屋街の生態を解き明かすものだ。その点では、入りにくい居酒屋の内側にテレビカメラを向ける「街レポ」に近い。あるいは、それらの調査が調査主体の経験に裏づけられている点で言えば、「考現学」というより、むしろ「体験記」というほうが適切かもしれない。三角地帯の中だけでタオルや下着などを調達して千代の湯に入る、しまおまほによるテキストも、まぎれもなく「体験記」である。
だが、今和次郎らによる考現学は明らかに「体験記」ではなかったし、「街レポ」でもなかった。それは、こう言ってよければ、きわめて変態的な調査だった。丸の内のOLが昼休みにどのように行動するのか、彼女たちを尾行して経路を記録したり、井の頭公園での自殺者の分布図を整理したり、考現学の特徴は観察と記録よりもむしろ調査の主題の独自性にあった。平たく言えば、誰も見向きもしないような主題を馬鹿正直に追究することによって都市風俗の生々しい一面を浮き彫りにするところに考現学の真髄があったのだ。
「考現学」を冠した本展は、そのような意味での変態性に乏しく、きわめて常識的であり、それゆえ考現学が持ちえていた芸術性を見出すことはできなかった。おそらくテレビや雑誌などのマスメディアで消費されるコンテンツとしては十分なのだろうが、それは芸術的な価値とは本来的に関係がない。
2016/02/22(月)(福住廉)