artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
津田直「Grassland Tears」
会期:2016/02/20~2016/03/26
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
津田直が東日本大震災前から東北地方を中心に撮り続けている「縄文文化」の写真群には、以前から注目している。僕のキュレーションで2012年から海外を巡回している「東北─風土・人・くらし」展(国際交流基金主催)にも、出品作家の一人として加わってもらった。今回の「Grassland Tears」(草むらの涙)は、その中間報告といった趣の展示で、風景作品4点、縄文時代の出土品を撮影した写真10点が並んでいた。
「Isedotai Site」(2012)、「Kitatogane#1」(2016)、「Ayoro#1」(同)といった風景作品を見ると、歩き回りながら「ここしかない」という場所を嗅ぎ当て、風景のなかに埋め込まれた縄文時代の痕跡を定着していく津田のアンテナの精度の高さにあらためて驚かされる。出土品の写真をあえてネガプリントで出力し、「反転した世界」を出現させることで、「形ある霊魂」に迫ろうとする試みも興味深い。ただ、このシリーズの全貌を見せるためには、さらに大がかりなインスタレーションの展示が必要なはずで、その機会ができるだけ早く来ることを願いたいものだ。
やや気になるのは、このところの津田の展示が、どこか集中力を欠いて、エネルギーを小出しにしている印象を受けることだ。ライトジェット・プリントの画質も、やや弱々しく感じてしまう。近作の写真集にしても、かつての『SMOKE LINE』(赤々舎、2008)のような圧倒的な強度が失われている。もう一度、写真家としての飛躍を期す時期が来ているのではないだろうか。
2016/03/03(木)(飯沢耕太郎)
森山大道「裏町人生~寺山修司」
会期:2016/02/05~2016/03/27
ポスターハリスギャラリー[東京都]
森山大道と寺山修司の関係は、1960年代後半にさかのぼる。森山の畏友の中平卓馬が編集を担当していた『現代の眼』で初の長編小説「あゝ、荒野」を連載していた寺山は、1966年に同書を単行本化するにあたって、表紙の撮影を森山に依頼する。寺山、中平とともに新宿界隈の一癖も二癖もある住人たちをモデルに撮影された集合写真だ。これをきっかけとして、二人の関係はさらに深まり、森山のデビュー写真集『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968)には寺山が書き下ろしの戯文調の散文詩「芝居小屋の外で観た地獄の四幕」と「新宿お七 浪花節」を寄せることになる。この時期の森山にとって、兄貴分の寺山の影響力は絶大なものがあり、その引力に引きつけられるように、写真表現の深みに降りていこうとしていたといえるだろう。
今回、ポスターハリスギャラリーの笹目浩之と、デザイナーの町口寛の企画で開催された「裏町人生~寺山修司」展は、絶版になっていた寺山のエッセイ集『スポーツ版 裏町人生』(新評社、1972)をもとに森山自身がプリントした写真群から組み上げられたものだ。同時に、町口の装本・デザインで写真集『Daido Moriyama: Terayama』(MATCH and Company)が刊行された。こちらは森山の写真に「拳闘」、「競輪」、「相撲」、「競馬」、「闘犬」をテーマにした寺山の文章の断片を、コラージュ的に組み合わせている。『にっぽん劇場写真帖』、「何かへの旅」などの初期シリーズを中心とする森山の写真と、寺山の湿り気を帯びつつ疾走するテキストとの相性は抜群で、展示も本も見応えのある出来映えに仕上がっていた。町口のデザインワークも、いつもながら、60年代末の気分を見事にすくいとっている。森山と寺山のコラボレーションは、これから先もまだいろいろな可能性を孕んで展開していそうだ。
2016/03/02(水)(飯沢耕太郎)
サイモン・フジワラ「ホワイトデー」
会期:2016/01/16~2016/03/27
東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]
受付で解説を渡される。読まなきゃ理解できない展覧会なのかな。最初は解説を見ずに回ってみる。まず導入部に、紙袋に入った毛皮、その奥には木の枝が床に置かれ、その下に賽銭のようにコインがまかれている。なんだろう? コインに導かれてメインギャラリーに入ると、古い紙幣でつくった扇子、スターリンらしき人のマスク、割れた陶器、鷲の石像、須田国太郎の掛軸、グラスに入った牛乳の絵、皮革を張ったキャンバス、毛皮の毛を皮からはがす人、マーク・ロスコを縦に延ばしたような絵、大きく引き延ばした名刺、白人女性の型取り彫刻などが並び、隣のギャラリーにも女性の型取り彫刻が兵馬俑よろしく整列し、奥には映像が投影されている。ホワイトキューブの会場、「ホワイトデー」のタイトルも含めてなんとなく「寒い」イメージばかり。解説によれば、バレンタインデーのお返しをするホワイトデーは「個人の感情と消費を結んだ見事なシステム」だとして、「私たちが日ごろ無意識に受け止めている『システム』に光を当て、その背後にさまざまな理由、経緯、ときには思惑が存在することを明らかに」するものだという。具体的にいうと、女性の彫刻はロンドンの暴動に参加したことで液晶モニター工場に送られた少女で、牛乳の絵は、牛乳というものを見たことも飲んだこともない国の絵画工房に依頼して描いてもらったものらしいが、ときにフィクションも挿入されるそうだ。いずれにせよ最初からひとつのインスタレーションを目指したものではなく、個々に組み立てられた物語を寄せ集めてひとつのインスタレーションとして見せたってわけ。これを楽しむにはかなり高感度なセンサーと忍耐力が必要だ。
2016/03/02(水)(村田真)
TWS-NEXT @tobikan “クレアボヤンス”
会期:2016/02/19~2016/03/06
東京都美術館[東京都]
クレアボヤンスとは透視とか千里眼、優れた洞察力といった能力を指す。出品は鎌田友介、three、平川ヒロ、増本泰斗、三原聡一郎。それぞれ東日本大震災やエネルギー問題などの社会的テーマに独自の視座でアプローチしているが、残念ながらぼくにはこれらの作品のすばらしさを見抜けるほどのクレアボヤンスはないようだ。こうしたリサーチ系の作品にありがちなことだが、透視以前に見ていてつまらない。
2016/03/01(火)(村田真)
美術は語られる─評論家・中原佑介の眼─
会期:2016/02/11~2016/04/10
DIC川村記念美術館[千葉県]
美術評論家の眼から60~70年代の戦後美術を振り返った展覧会。美術評論家の中原佑介(1931-2011)が雑誌や書籍、展覧会の図録、リーフレットなどに書いた美術批評と、中原が私蔵していた作品に同館のコレクションをあわせた約40点とが、併せて展示された。比較的小規模な展示とはいえ、良質の企画展である。
展示されたのは、中原が評価していた池田龍雄、オノサト・トシノブ、河原温、高松次郎、山口勝弘、李禹煥らによる作品。クレス・オルデンバーグやピエロ・マンゾーニ、クリストら欧米諸国のアーティストによる作品もないわけではないが、大半は国内の美術家であるため、おのずと日本の戦後美術史を部分的になぞるような経験を得ることができる。美術批評が作品と同伴していた時代のリアリティばかりか、双方が協働することで歴史が構築されてきた過程を目の当たりにするのだ。
しかし本展の最大の見どころは、そのような歴史的な珠玉の名品ではない。それはコンスタンティン・ブランクーシの全作品を形態的かつ系統的に分類して図表化した《ブランクーシ研究メモ》(1977頃)である。なぜなら、それは本展のなかでもっとも明瞭かつ濃厚に中原佑介の「眼」を体現していたように思われるからだ。
縦軸で時系列、横軸で作品の種別を表わしており、双方が交錯する升目に作品のイメージがすべて手書きで描きこまれている。例えば《接吻》や《空間の鳥》、《無限柱》といったブランクーシの代表的なシリーズが、いつ、どのような流れで制作されたのか、一目で理解できるようになっている。よく見ると、随所に原稿用紙の升目が透けて見えるから、原稿の裏紙を再利用したのかもしれない。
通常、このようなメモは参考資料として二次的に取り扱われることが多い。美術批評にとってのエルゴンがテキストであるとすれば、それらを作成するために用いられたメモ類はパレルゴンである。事実、この《ブランクーシ研究メモ》は雑誌に部分的に使用されたものの、その後刊行された単行本『ブランクーシ』(美術出版社、1986)には掲載されなかった。絵画にとっての額縁がそうであるように、美術批評にとってのメモは副次的な表象にすぎないというわけだ。
だが中原によって丁寧に描かれた図表には、エルゴンとパレルゴンの関係性を相対化するほどの大きな魅力が備わっているように思えてならない。緻密な筆致からブランクーシへ注がれた深い敬愛の情を読み取れないわけではないが、それ以上に伝わってくるのは、一枚の紙片に凝縮した中原の批評的な関心そのものである。言い換えれば、中原佑介の批評的なまなざしが、書物に連ねられた文字の羅列とは別のかたちで、紙という物質に定着しているように見えるのだ。それはメモであることに変わりはないが、もはやテキストに奉仕する義務から解放されているようだ。ちょうど今和次郎による考現学的なイラストレーションが、テキストのための図表というより、それ自体に自立した価値を含んでいることに近いのかもしれない。
《ブランクーシ研究メモ》は、私たちが思っている以上に、美術の語られ方が自由であり、豊かであることを示唆している。美術は批評家によって語られるだけではないし、誰によって語られるにせよ、その語り口は多様であり、しかもそのメディアも言語に限られているわけでもない。すなわち、美術はいかようにも語られうる。中原佑介は、意識的にか無意識的にかはともかく、「美術」という言葉の先に、そのような豊穣な地平をまなざしていたのではないだろうか。
2016/03/01(火)(福住廉)