artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
FACE 2016 損保ジャパン日本興亜美術賞展
会期:2016/02/20~2016/03/27
損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]
公募コンクールの4回目。近年VOCAとかシェルとか企業主催の絵画コンクールが乱立してるけど、いずれもかつてのような日本画・洋画・版画とか具象・抽象といったジャンル分けをせず、絵画表現ならなんでもあり、ときに写真やCGもOKで、しかも審査員がダブることもあるため(本江邦夫氏なんかすべてに絡んでいる)、結果的にどこも同じ作家、似たような傾向の作品が入選・受賞し、どの展覧会もドングリの背比べになってしまう。これではいくらコンクールが増えても、いや増えれば増えるほど同調圧力が働いて表現の多様性が失われてしまいかねない。恐ろしいことだ。といっておこう。さて、審査員や損保ジャパンの学芸課長によれば今年はレベルが低かったようだが、去年初めて見たぼくには今年の入選作のほうが粒よりだった気がする。まず、受賞作品が並ぶ最初の部屋。グランプリは遠藤美香で、モノクロームの木版画が受賞するのは珍しい。画面を草花(水仙)で埋め尽くし、中央やや上にお尻を押さえた後ろ姿の女性を配した図柄。野グソかと思ったが、まさかね。驚くのは画面全体を覆う水仙の葉や花を1枚1枚ていねいに描き尽くしていること。さっきも書いたけど、こういうのを見るとうれしくなる。よくぞグランプリに選んだものだ。受賞者ではあと、小さな円を鎖のように縦につないでレース編みのように描いた松田麗香にも注目したい。画材が日本画のせいかやや工芸的で脆弱な印象はあるけれど、なにか次元の異なる絵画に発展する可能性もあるような気がする。入選者では、抽象化した植物パターンで画面を埋めた浜口麻里奈、横たえた画集を真上から描いた大河原基ら、気になる作家が何人かいたけれど、ひとりだけ挙げるなら、1本の電信柱を濁った色彩と大胆な筆触で描いた井上真友子だ。一見ありがちな絵画だが、この不穏な空気はだれにも真似できないし、だれも真似しようとは思わないだろう。今月ふたりめの村田真賞だ。
2016/02/19(金)(村田真)
遠藤美香 展
会期:2016/02/15~2016/02/20
ギャラリーなつか[東京都]
このあと見に行く「FACE 2016」展でグランプリを獲った遠藤美香の個展。最初に彼女の作品を見たのはいつ、どこでだったか忘れたけれど、たしか室内風景を描いた版画で、畳の目の一つひとつまで彫り込んでるのを見てうれしくなったものだ。いるんだよ森を描くのに木の葉の1枚1枚まで描こうとしたり、群衆を描くのに一人ひとりの髪の毛の1本1本まで描き倒そうとする人。越後妻有の廃屋の全面に彫刻刀を入れた《脱皮する家》も同じビョーキかもしれない。今回の展示では、寝そべって新聞を読んでる人を描いた絵の新聞紙の文字の処理の仕方に感心した。さすがに何万字もの文字を一つひとつ再現しないし、かといってただ線で表わすような横着もしない。なんとなく文字のように見えるけど文字じゃないという、そのギリギリの選択がアッパレ。
2016/02/19(金)(村田真)
鎌谷鉄太郎「ヒューマンパラダイス ポートレイト」
会期:2016/02/12~2016/03/02
ギャラリーセラー[東京都]
目、鼻、口、乳房など人体の画像の一部を切り貼りしたコラージュ。もあるが、コラージュの上から描いたり、コラージュのように描いたりした作品もある。タイトルの「ヒューマンパラダイス ポートレート」とは、ネット空間と現実空間の交錯したヴァーチャルな世界に生きる未来の人間の肖像画。というとわかったような、わかんないような。でもわかったのは、いうほどヴァーチャルではなくアナログだということ。
2016/02/19(金)(村田真)
ジョルジョ・モランディ展──終わりなき変奏
会期:2016/02/20~2016/04/10
東京ステーションギャラリー[東京都]
モランディって地味な静物画ばっかり描くちょっと変わった画家くらいにしか認識してなかったので、同じような静物画が並ぶであろう回顧展にはあまり行く気もしなかったが、逆に似たような作品ばっかり並ぶ回顧展というのもおもしろいんじゃないかみたいな好奇心も湧いてきて、行ってみることにした。モランディは前回のドクメンタでも取り上げられていたし、岡田温司も書いてるし。で、見てみたら、静物画だけでなく風景画も描いてたが、それがまるで静物画みたいな風景画で、しかも静物画自体も予想以上にヴァリエーションに乏しく、それを第1次大戦が終わるころから1964年に世を去るまで半世紀にわたり、生まれ故郷のボローニャに腰を据えて延々と描き続けたのだから、もうそれだけで脱帽だ。たしかに個々の作品を見ると、色彩と形態や地と図の関係をあれこれ試しているのがわかって見飽きることがないが、でもだからといって壷の位置をちょっと変えたり、器の数をひとつ増やしたり減らしたりするだけで、50年もの年月を費やすことに耐えられるだろうか。しかしその一方で、逆にモランディの態度こそ画家として至極真っ当ではないかとも思えてくる。画家が一生のあいだにできることなんて限られたものでしかないのだから。そんな余計なことまで考えちまう展覧会でした。
2016/02/19(金)(村田真)
石川竜一「考えたときには、もう目の前にはない」
会期:2016/01/30~2016/02/21
横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1[神奈川県]
1984年、沖縄出身の石川竜一は、いま最も期待が大きい若手写真家の一人といえるだろう。2015年に『絶景のポリフォニー』(赤々舎、2014)、『okinawan portraits 2010-2012』(同)で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞し、抜群の身体能力を活かしたスナップ、ポートレートで新風を吹き込んだ。今回の横浜市民ギャラリーあざみ野での個展では、二つのシリーズだけでなく、その前後の作品も合わせて展示してあり、彼の作品世界の広がりと伸びしろの大きさを確認することができた。
最初のパートに展示されていた「脳みそポートレイト」(2006~08)と「ryu-graph」(2008~09)が相当に面白い。スナップやポートレートを撮影しはじめる前に制作された実験作で、「脳みそポートレイト」では、クローズアップされた身体の一部の画像をコラージュして、ぬめぬめとした奇妙な生きものの姿を造り上げている。「ryu-graph」は「印画紙上に直接溶剤を使用しながら形態をイメージ化した」抽象作品である。彼の中にうごめいていたコントロールできない衝動を、そのまま形にしていったとおぼしき写真群で、それが『絶景のポリフォニー』や『okinawan portraits 2010-2012』で解放され、「写真」として秩序づけられていったプロセスがよく見えてきた。近作の「CAMP」(2015)にも瞠目させられた(SLANTから写真集としても刊行)。最小の装備で山の中に入り、現地で食物を確保していくサバイバル登山家とともにキャンプしながら、石川県、秋田県の山中で撮影されたシリーズで、壮絶な美しさを発する自然環境の細部が、震えつつ立ち上がってくる。都市を舞台に撮影を続けてきた石川の新境地というべき作品群で、今後の展開が大いに期待できそうだ。
なお、本展は「あざみ野フォト・アニュアル」の一環として開催されたもので、展示室2では「『自然の鉛筆』を読む」展が開催されていた。「世界最初の写真集」であるイギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットの『自然の鉛筆』(The Pencil of Nature,1844-46)の収録作品に、横浜市所蔵の写真・カメラコレクション(「ネイラー・コレクション」)からの約100点を加えて、19世紀以後の写真表現を辿り直そうとしている。ちょうど『自然の鉛筆』の日本語版(赤々舎)が刊行されたばかりというタイミングでもあり、時宜を得た好企画といえるだろう。
2016/02/19(金)(飯沢耕太郎)