artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
男女群島・女島篇
会期:2016/01/23~2016/02/13
+Y GALLERY[大阪府]
「男女群島・女島篇」という謎めいたタイトル。ギャラリーの壁には、一見同じに見える6枚の地図が展示されている。近づいて目を凝らすと、1枚目は印刷された既成の地図図版だが、2枚目以降はトレーシングペーパーに鉛筆で転写されたものだとわかり、枚数を追うごとに、次第に線や文字の輪郭が曖昧にぼやけ、微細に震える線の運動の中に溶け合って融解していく。
これは、北辻良央が1971年に制作した、男女群島北部地図を鉛筆でトレーシングペーパーに転写する行為を繰り返した作品を、同じ手法を用いて、南部の「女島」の地図を使って制作した新作である。男女群島は、長崎県の五島列島の南西に位置し、東シナ海に浮かぶ実在の群島である。その地図を転写した1枚目のトレーシングペーパーの上に2枚目を重ねて転写し、その2枚目の転写の上にさらに3枚目のトレーシングペーパーを重ねてなぞっていく、というように、ひとつ前の転写像をトレースするというルールの反復によって、計5枚の「手製の複製地図」がつくられている。転写の転写の転写、複製行為の連鎖を重ねていくこと。それを手作業で行なうことで、複製される度に情報は劣化してズレを増幅させていき、最後の5枚目の転写では線も文字もグニャグニャした短い線の連なりと化し、「島」の実在性が不確かなものになっていく。
ここには、二つのレベルにおける「トレース」が認められる。転写した像の再転写、そして70年代初頭のコンセプチュアルな試みを、45年後に再び自身でトレースする、という「行為」自体の反復性である。それは、同時代的な潮流の中で行なわれたコンセプチュアルな方法論の有効性を測ろうとする試みであるとともに、それを「現在時」の軸の下で見つめ直してみたとき、モチーフが「島」、とりわけ東シナ海に浮かぶ島であることに留意すべきだろう。地図のトレース、つまり領域確定行為の執拗な反復によって、逆説的に、固有の輪郭と名前を持った「領土」が曖昧に溶解しながら海中に溶けていくという事態は、(作家の意図はさておき)東アジアにおける領有権問題へのシニカルな批評的応答としても解釈できる。
さらに、「過去の自らの行為の再演」であることは、必然的に記憶の問題へとつながっていく。70年代初頭に撮られたモノクロ写真の上に、2016年の現在時のテクストを重ね書きした一連の作品群は、まさにこの「記憶」の問題に対応していた。展示会場で自作を前に話す自身のスナップ写真の上に、「誰に何を話しているのか今だに想い出せないでいる」もどかしさが綴られた作品。記憶の手引きとなるはずの「写真」が、むしろ忘却の証となる逆説性がここに露呈している。また、モノクロの風景写真の上に、散文詩のようなテクストが綴られた作品群では、暗めのプリントの写真内に保存された、忘れ去られたようなイメージの断片がトリガーとなって(この場合は、河川敷や水たまりなど「水辺の光景」)、記憶の中の別の光景への追想を引き寄せていく。写された過去の光景と現在からの追想が、共鳴しながら完全には重ならない、不可解な断層を差し出していた。
2016/01/30(土)(高嶋慈)
大久保如彌──THIS IS NOT MY LIFE
会期:2016/01/16~2016/02/13
ギャラリーMoMo両国[東京都]
ギャラリーは手前と奥のふたつの空間に分かれていて、手前には大きめの室内風景画が3点ほど展示されている。さらりとしたタッチのいまどきの絵だ。奥の空間には壁に小さめの自作の絵が20点ほど掛けられてるほか、床には絨毯が敷かれ、テーブルや椅子、鏡、観葉植物などが配置され、リビングルームのように仕立てられている。そこに掛けられた絵も色彩感覚がよく、ファッショナブルだ。さてもういちど手前に戻ると、3点の室内風景画が奥の部屋を三つの角度から描いたものであることに気づく。これはよくできている。おそらく数カ月前にいちど奥の部屋をしつらえてスケッチするか写真に撮り、手前の3点の絵に仕上げたのだろう。しかもよく見ると、1点は鏡に映したように左右逆転している。また奥の部屋には絵が飾られているため、手前の室内画には画中画が描かれることになるが、その画中画の額縁の影が薄紫色に塗られているだけでなく、その絵の実際の影の部分にも薄紫色のスプレーが壁に直接吹きつけられていたりする。虚像と実像が入り交じった魅力的な絵画インスタレーション。今年見た展覧会のなかでベスト1だ。まだ1カ月もたってないけど。
2016/01/29(金)(村田真)
レオナルド・ダ・ヴィンチ──天才の挑戦
会期:2016/01/16~2016/04/10
江戸東京博物館[東京都]
タブローが1点でもあればその人の名を冠した展覧会が成立するのは、フェルメールとレオナルド・ダ・ヴィンチくらい。それだけ寡作で貴重で、しかも人気が高いということだ。いま六本木で開かれてる「フェルメールとレンブラント」展でもフェルメールは1点のみ。レオナルドの展覧会でも、2007年には《受胎告知》、2012年には《ほつれ髪の女》、2015年には《アンギアーリの戦い》といったように、それぞれ1点ずつで成り立ってきた。で、今回は《糸巻きの聖母》。レオナルドのなかでもマイナーな、真筆にしてもかなり加筆修正が加えられているとしか思えない作品だ。空気感としては《聖アンナと聖母子》に近いが、前景の聖母子と背景の描写が合っておらず、まるで切り貼りしたような印象を与える。この《糸巻きの聖母》も含めて、同展にはレオナルドの《岩窟の聖母》や《洗礼者聖ヨハネ》などのコピーも多数出ているので、ちょっとした「偽レオナルド展」としても楽しめる。これだけコピーをつくられた画家も少ないのではないか。偉大な芸術家の証だろう。ちなみにレオナルドの手稿もいくつか出ているが、一部はファクシミリ版(コピー)なのに気づかない人が多い。
2016/01/29(金)(村田真)
FREE SOUND 解き放たれるオト展
会期:2016/01/28~2016/04/10
グランフロント大阪北館 ナレッジキャピタル The Lab. みんなで世界一研究所2F[大阪府]
大阪のナレッジキャピタルとオーストリア・リンツのメディア・アート機関アルスエレクトロニカのコラボ企画第5弾。ベルリンを拠点に活動するサウンド・アートのパイオニア、クリスティーナ・キュビッシュの《Cloud》と、日本の若手、和田永の《時折織成──落下する記録──》の2作品を紹介している。キュビッシュの作品は約800メートルのケーブルを雲状に絡めた外見をしており、複数の場所で記録した電磁場の音を、特殊なヘッドフォンを装着して聞くことができる。和田の作品はオープンリールのテープデッキからゆっくりと落下するテープが重低音と共に美しい模様を描き、一定時間ごとにテープが逆回転を始めて音楽を奏でるというものだ。わずか2作品の展示だが、関西ではメディア・アートと接する機会が少ないこともあり、とても刺激的だった。ナレッジキャピタルでは科学と芸術をまたぐ企画を積極的に行なっており、その効果は近い将来にじわじわと現れるだろう。
2016/01/28(木)(小吹隆文)
FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝え考える 福島の今、これからの未来
会期:2016/01/22~2016/01/31
京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ[京都府]
東日本大震災と福島第一原発事故の後、文化芸術の力による福島の復興を目指し福島県で始められた「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」。本展は、その活動から生まれた美術作品を紹介し、復興に向かう現地の姿を伝えると同時に、問題意識の共有を図ろうとするものだ。出展作家は、美術家の岡部昌生と安田佐智種、華道家の片桐功敦、写真家の赤坂友昭と本郷毅史の5名。彼らがそれぞれの視点と手法で捉えた福島は、圧倒的なスケール、真摯な眼差し、鎮魂の情をもってこちらに迫ってきた。出展作家や福島県の美術館・博物館学芸員が参加したトークイベントも多数開催され、主催者の意図はひとまず達成されたと思う。1995年の阪神・淡路大震災の折、関西在住の筆者は東京発の報道に隔靴掻痒の感を幾度も覚えた。そして今、自分は逆の立場にいる。当時の記憶と現在の被災地への思いを風化させないために、このような機会を設けてくれた主催者に感謝したい。
2016/01/26(火)(小吹隆文)