artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

Chim↑Pom 10周年記念・緊急企画展「耐え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ」

会期:2015/08/07~2015/08/15

Garter[東京都]

Chim↑Pomが結成10周年を迎え、急遽開催した個展。ところが、その内容は「記念」という言葉から連想される祝祭的なものではまったくなく、むしろいつにもましてリアルタイムな問題を来場者に投げかけるものだった。
展示されたのは、彼らがこれまで発表してきた作品の数々。多少のマイナーチェンジが施されてはいるが、基本的には過去作である。だが、あわせて掲示されたテキストを読むと、それらが美術館や主催者からの「作品改変要請」という文脈に位置づけられていることがわかる。この背景には当然、東京都現代美術館で開催されている「ここはだれの場所?」展における会田誠の檄文をめぐる作品撤去要請の騒動があることは言うまでもない。
例えばChim↑Pomの代表的な作品のひとつである《BLACK OF DEATH》。これは録音したカラスの鳴き声を拡声器で拡散しながら各地でカラスの大群を呼び寄せる映像パフォーマンスだが、そのロケーションのなかに読売新聞の会長である渡邉恒雄の自宅マンション前が含まれており、この作品が東京都現代美術館に収蔵される際、美術館から該当部分の削除を要請されたという。美術館はいったいどんな事情があって作品の改変を強いたのか、その理由は知るよしもないが、Chim↑Pomはその要請を条件付きで受け入れたという経緯は明記されていた。
アーティストが表現した作品の内容に踏み込み、その改変を強いることは、要請というかたちをとっているにせよ、実質的には自主規制であり、明らかな検閲である。その経緯と過程は、通常は当事者しか知りえない「裏事情」とされるが、今回Chim↑Pomはそれを白日のもとに晒した。言ってみれば「暴露型の展覧会」である。
その暴露は、しかし、美術館や政府をただたんに糾弾するものではない。Chim↑Pomが、これまでの作品においてつねにそうしてきたように、彼らの批判的な問題提起にはつねに自分たちの身体が賭けられていた。批判の刃をおのれの胸に突き刺し、背中に抜けたその刃先を相手の急所に深く埋めるようなやり方だと言ってもいい。いくつかの不条理な「要請」を受け入れたことを、自ら「黒歴史」として公表していることは、そのもっとも典型的な現われである。
むろん、明示的であれ暗示的であれ、あらゆる検閲は明らかに憲法違反なのだから、徹底して退けなければならない。だが、本展でChim↑Pomが示唆していたように、とりわけ安倍政権下において表現規制の権力が強化されつつある事実を鑑みれば、検閲に対する抗議や反対運動は必要ではあるが、それだけでは不十分であると言わざるをえない。なぜなら自民党の改憲案では、検閲を禁じた日本国憲法第21条は「公益及び公の秩序を害する目的」と判断された表現活動には表現の自由を認めないという項目が追加されているからだ。つまり当人にその意図がなくとも、そのようにお上に判断されれば、たちまち検閲の対象となり迫害されかねないというわけだ。街中にカラスを集結させる作品が公益や公の秩序を害するとみなされる恐れは、非常に高い。
もし、そのような状況に悪化したとき、アーティストはどのように振る舞うのだろうか。江戸時代の浮世絵師たちのように、幕府に対する辛辣な批評性を、一見するだけではわかりにくいような暗示的な方法で作品の奥底に埋め込むのだろうか。それはひとつの態度や方法としてありうるだろうが、より根本的には、美術館や文化行政が牛耳る「現代美術」の世界を見限る身ぶりを整えておくことが必要だと思われる。検閲にさらされようが補助金を打ち切られようが、美術の本質はアーティストが表現した作品を、鑑賞者が見るという、極めて単純明快な原則にしかないからだ。この原則が不本意にも蔑ろにされるのであれば、現代美術のもろもろの制度は遠慮なく廃棄され、私たちはすすんで荒野に立ち返るだろう。Chim↑Pomという同時代を走るアーティスト集団は、そもそもそのような原野から生まれたのだ。

2015/08/12(水)(福住廉)

天寿園

[新潟県]

新潟市内に戻り、天寿園へ。芸術祭の関係では、宮内由梨の《ろくろ首》と、岸本真之の大量に皿や湯のみをつなぐ、《つぎつぎきんつぎ》を見る。村野藤吾の《瞑想館》は、圧倒的にユニークな表現主義的な外観だが、内部空間はひどい。ただし、村野死後の建設である。学部2年の課題でこういう平面が出たらダメ出しだろう。

上=天寿園《瞑想館》、中=宮内由梨《ろくろ首》、岸本真之《つぎつぎきんつぎ》

2015/08/11(火)(五十嵐太郎)

水と土の芸術祭2015

会期:2015/07/18~2015/10/12

4つの潟及び市内全域[新潟県]

水と土の芸術祭、ドットアーキテクツの《潟の浮橋》へ。ゆらゆら体感する強烈な体験だった。SHELTER Project GOZU-NSの《TINY HOUSE》は、資源活用による、ジブリに出てくるような童話的な家である。
水と土の芸術祭は、まさに潟をめぐる旅だった。坂道はないが、駐車場から結構歩く。やはり、建築ディレクターとして曽我部昌史が入っているので、彼の人脈に連なる建築系の参加者が多い。各地の作品、サイトスペシフィックなテーマによく応え、周囲の建築見学もついでにできるのが魅了だ。

上=ドットアーキテクツ《潟の浮橋》、下=PROJECT GOZU-NS《TINY HOUSE》

2015/08/11(火)(五十嵐太郎)

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水と土の芸術祭のベースキャンプ(旧二葉中学校)

[新潟県]

各教室で潟をテーマにした作品を設置する。建築系では、歴史家の倉方俊輔による仏壇リサーチと、アトリエ・ワンのドローイングなど。アートはイ・スギョンの陶片再構成の作品、そして特に新潟と東京の関係を考える吉原悠博の《培養都市》の映像が素晴らしい。
そして学校を出て、潟めぐりに繰り出す。上堰潟エリアでは、上に乗るとゆらゆら揺れる藤野高志のアーチと、水辺に入る体験が新鮮な驚きをもたらす、土屋公雄APTの《海抜ゼロ》。佐潟エリアでは、搭状の構築物になったアトリエ・ワンの観測舎。いずれも自然がつくり出した潟というランドスケープが圧倒的な存在感だ。鳥屋野潟エリアへ。金野千恵の《山から海へ旅するカフェ》は、師匠のホワイト・リムジン・屋台に比べると、プリミティブ・ハットに近い大胆で荒々しい構造物である。大矢りかの《田舟で漕ぎ出す。》は、ひとりで制作し、内側に小さな田を抱えた舟が潟を向く。

左上から倉方俊輔の展示、アトリエ・ワンのドローイング、藤野高志の作品、金野千恵の作品。右上から吉原悠博《栽培都市》、土屋公雄APT《海抜ゼロ》、アトリエ・ワンの観測舎、大矢りか《田舟で漕ぎ出す》

2015/08/10(月)(五十嵐太郎)

リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展

会期:2015/07/19~2015/09/23

新潟市美術館[新潟県]

学部のとき、高階秀爾の美術史の講義で詳しく学んだことを思い出す。精緻な描写と非現実的な世界観を特徴とするが、19世紀中頃に始まり、印象派、キュビスムに向かうフランスの動向とは別に、21世紀初頭にもこの傾向を続けていた。
新潟市美術館が30周年ということで、常設展示では設計した前川國男と、グラフィックデザインでアイデンティティを与えている服部一成を紹介する。道路向かいの西大畑公園も前川によるもの。建築家への敬意を感じる冊子もあって喜ばしい。ただし、後期の前川作品として、ベストの建築とは言えないと思った。

上=新潟市美術館、下=西大畑公園

2015/08/10(月)(五十嵐太郎)

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