artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

《原爆─ひろしまの図》公開修復

会期:2015/07/18~2015/09/27

広島市現代美術館[広島県]

戦後70年ということで、広島現美のミュージアムスタジオでは、《原爆─ひろしまの図》公開修復を行ない、床置きされた大きな絵を台の上から眺める仕かけもあった。丸木位里・俊夫妻が描いたシリーズであり、剥落などの傷みが進んだことから、普段は可視化されない美術館の保存事業を見せる企画だった。

2015/07/26(日)(五十嵐太郎)

[被爆70周年:ヒロシマを見つめる三部作 第1部]ライフ=ワーク

会期:2015/07/18~2015/09/27

広島市現代美術館[広島県]

ヒロシマ賞の審査で、広島市現代美術館へ。終了後、三部作となる展覧会の第一部「ライフ=ワーク」を見る。被爆者たちが74年頃から描き始めた当時の記憶の絵から始まり(これらは平和記念資料館の所蔵で、ある意味アーティストの作品よりも強烈で生々しい)、作家たちのシベリア抑留や原爆をテーマにした重い作品群が続く。

2015/07/26(日)(五十嵐太郎)

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20世紀日本美術再発見 1940年代

会期:2015/07/11~2015/09/27

三重県立美術館[三重県]

名古屋から近鉄急行で津まで行き、三重県美へ。こちらは「戦争」ではなく「1940年代」に焦点を当てた企画で、名古屋市美の「画家たちと戦争」と補完し合う展示になっている。三重ではこれまで20世紀美術を10年単位で検証してきており、40年代展もその続編に位置づけられるのだが、しかし1910年代展が95年、20年代展が96年、30年代展が99年に開かれたきり、40年代展は開かれてこなかった。それはたぶん1945年の敗戦を境に戦前・戦後で区切られる時代を、40年代でひとくくりに捉えるのが難しかったからではないかと思うのだが、だとすれば今回40年代展が実現できたのは、戦前(戦中)と戦後を断絶したものとしてではなく、そこに連続性を認めるような視点が定着してきたからだろう。もちろん連続性といっても、敗戦を境に勇ましい戦争画はばったり描かれなくなり、多くの画家は戦前に途絶えてしまった自由な制作を再開しようとしたが、いきなり描きたいものを描いてもいいといわれたって描けるはずもなく、直近の悲惨な戦争体験や目の前に広がる廃墟から始めるしかなかったのではないか。それが同展の第2章「占領下の美術」によく表われている。鶴岡政男《重い手》、阿部展也《飢え》、井上長三郎《東京裁判》、北脇昇《放物線》、香月泰男《埋葬》、松本竣介《焼跡風景》などだ。これらを仮に「敗戦画」と呼ぶなら、「勇ましい戦争画」と「痛ましい敗戦画」は45年を軸に反転しつつつながっており、その意味では敗戦画も戦争画に含めていいように思う。そう考えると40年代の美術は意外にもひとまとめにくくれそうで、戦後の新たな出発は50年代になるまで待たなければならないようだ。名古屋市美とダブる画家も多く、たとえば藤田嗣治が西洋絵画恋しさからか、戦時中にレンブラントかミレー風に描いた《嵐》や、戦前から抽象を試みた吉原治良が銃後の生活をリアルに描いた《防空演習》など、意外な作品も出ていて、両展併せて見に行かれることをおすすめする。

2015/07/26(日)(村田真)

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画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか

会期:2015/07/18~2015/09/23

名古屋市美術館[愛知県]

今日は「戦争画」仲間と中京方面に遠征。まずは名古屋市美で藤田嗣治研究でも知られるHさんたちと落ち合い、「画家たちと戦争」を見る。これは戦前から戦後まで活動した代表的な画家14人を選び、それぞれ戦前(-1937)、戦中(37-45)、戦後(45-)の作品を3点ずつ並べ、画家たちがいかに戦争の時代を生き抜いたかを検証するもの。いちばん振幅が激しいのが藤田嗣治で、戦前は乳白色の裸婦や自堕落な自画像を描いていたのに、戦中は凄まじい作戦記録画に手を染め、戦後は再び乳白色の少女像を描いたりしている。いったいどういう精神構造をしてるんだろ。圧巻は東京近美から借りた幅3メートルの《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》で、Hさんはじめみんな(7人)で大作に寄ってたかってあーだこーだ議論してたら、監視員に注意された。一方、横山大観は戦前・戦中・戦後すべて富士山一色。富士山の受け止められ方は戦前・戦後で違っただろうけど、描くほうの心情はたぶん変わんなかったと思う。大観は藤田と違って表向き戦争画は描かなかったが、神国日本の象徴である霊峰を描くことでずっと戦争画を描き続けていたといえるかもしれない。藤田に次ぐ戦争画のスターだった宮本三郎も、戦争で中断されなければ戦前と戦後の制作はつながっていただろう。でも藤田と違って宮本は戦争画に手を染めた懺悔として「ピエタ」に基づく《死の家族》を描き、自分のなかで決着をつけた気がする。戦前メキシコで壁画を学んだ北川民次は、戦中に《鉛の兵隊[銃後の少女]》《赤津陶工の家[生活三題・勤労]》など銃後の生活を描いたが、これらは戦前の仕事からも戦後の仕事からも浮くことなく、連続性が保たれていて揺らぎがない。岡鹿之助は戦前も戦後も叙情的な風景を得意としたが、戦中は単に洋風の城館が描けなかったからなのか、あるいは少しでも戦意高揚に役立とうとしたのか、日本のお城や農家を描いていて強烈な違和感がある。松本竣介は新人画会に属していたうえ戦後まもなく36歳の若さで亡くなったので、戦争による変化はつかみにくいが、「抵抗の画家」の印象を決定づけた自画像《立てる像》は、滅私奉公を是とした戦時下としてはやはり異彩を放つ。展示やカタログに凝ることなく、オーソドックスに作品を見せようとする姿勢が気持ちいい。

2015/07/26(日)(村田真)

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月が水面にゆれるとき

会期:2015/06/27~2015/08/02

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

木藤純子、曽谷朝絵、中村牧子、和田真由子の若手女性作家4名を紹介するグループ展。会場を実見しながら、「非実体性」というキーワードが立ち上がってくるのを感じた。
和田真由子は、木枠から垂れ下がったビニールシートやベニヤ板を組み合わせ、その上に鉛筆やアクリルで薄い描画を加えた作品を制作している。透明で薄いビニールシートは、描画が施される「支持体」でありつつも、木枠から垂れ下がったり重ね合わせられることで彫刻的・空間的なボリュームを獲得し、ヨットの帆や鳥の翼の形となる。支持体そのものが透明化し、物質性が希薄化する一方で、それを支えていた木枠やベニヤ板の存在が露わになり、モチーフの形象の一部のように成形され、彫刻へと近づく。このように和田の作品は、「描画されたイメージ/を支える物質的基盤としての支持体/を支える木枠(より基底部の枠組み)」の関係を分解し、露呈させ、空間的に再配置することで、「絵画」でも「彫刻」でもなく両方の要素が混在したハイブリッドな構築物を立ち上げる。そこでは、非実体的なイメージが物質性との往還の中で揺らぎや多層性を伴って立ち現われるのだ。和田の選ぶモチーフが、「ヨット」「鳥」「馬」といった運動性をもつものであることも、意図的な選択だろう。
曽谷朝絵は、バスタブや丸いたらいに満たされた水を、光を分解したプリズムを思わせる淡い虹色のグラデーションで描き出す。水面に生じたいくつもの波紋は、丸みを帯びたバスタブやたらいの形態と響き合い、揺らめくような光で充満した美しい画面を生み出す。曽谷のペインティングでは、光という実体のないものを描くために、プリズムを通して得られる可視的な光線という操作と、波紋や水面の反射といった現象的なモチーフがともに要請されている。
また、合わせて発表された映像インスタレーションでは、色とりどりの植物が絡み合いながら伸びていくアニメーションが、曲面鏡や半透明の布を用いて投影される。映像は鏡の反映によって床や天井にも映り込み、半透明の布を介して幾重にも重なり合うことで、旺盛な生命たちが繁茂する深い森や海底のサンゴ礁の中に分け入るような、幻想的な空間を作り上げていた。
中村牧子の陶磁器作品では、工芸における「装飾」の付随性それ自体が主題化される。用途や実用性が求められる工芸において、「装飾」は表面に付随する非本質的な要素と見なされがちである。しかし中村は、額縁や皿、ティーカップの表面に施された草花や蝶の装飾を過剰に増殖させ、表面に属しつつも半ば自律した存在として立体化させる。草花や蝶の装飾が三次元化されて空間へと飛び出していくのに対し、額縁や器はズレたり溶解したりと変形を被ることで、「本体・実体」と「付随的な装飾」の関係は転倒させられていく。
木藤純子はこれまでも、具体的な場に介入して、鑑賞者の知覚や認識を変容させるようなインスタレーションを発表してきた。出品作《ひるとよる》では、展示室の壁に、一見何も描かれていないように見える真っ白なキャンバスが等間隔で掛けられている。数分間の暗闇が訪れると、蓄光塗料で描かれていた波の光景が浮かび上がり、立ち並ぶ回廊の柱の黒い影の向こうに海を眺めているような感覚で満たされる。通常の明るい光の中では不可視であった潜在的なイメージが顕在化する劇的な瞬間と、空間の静謐さが同時に感じられ、忘れがたい体験となった。

2015/07/26(日)(高嶋慈)