artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

津田直 写真集『SMOKE LINE』刊行トークショー

会期:2009/02/01

青山ブックセンター本店[東京都]

トークの出演を依頼されたので、喜んで出かけてきた。津田直とは初めて話すのだが、ほぼ予想通りというか、言葉を的確に選んで話す能力がとても高い。小学校4年から、「学校に行ってもしょうがない」と自分で決めて、不登校になってしまった。17歳まで危ない仲間たちと付き合ったり、音楽の道に進もうとしたり、かなりの回り道の末に写真に辿り着いた。その過程で、人間を含めた森羅万象に対するコミュニケーション能力に磨きをかけたということだろう。32歳という年齢の割には密度の濃い人生を歩んできた、その蓄積がいまの仕事に結びついていることがよくわかった。
もう一つ、これも予想通りといえば予想通りなのだが、津田の母親はシャーマン的な資質の持ち主で、彼自身にもその血が色濃く流れているようだ。トークの後半で、これまでずっと私淑していた導師が亡くなった日にモンゴルに旅立つことになっており、飛行機が遅れたため葬儀の間日本に留まったあとでモンゴルに向かうと、そこで出会ったOdjiiというシャーマンに「お前を待っていた」といわれたという話をしてくれた。このOdjiiは津田が帰国した直後にこの世を去った(「煙になった」)のだという。こういうオカルト的な話は、彼の周りでは頻繁に起こっているようだ。先に津田の写真について、「21世紀のシャーマニズム」という言葉を使ったのだが、その直観は正しかったということだろう。
こういう人はシャーマン=アーティストとしての道をまっとうするしかないと思う。自然と人間の社会の接点に立ち、その両者を「くっつける」役割を果たすということだ。そのぎりぎりの営みを見守っていきたい。

2009/02/01(日)(飯沢耕太郎)

『Techniques et Architecture』N.467 Paris métropole 1

発行所:Jean-Michel Place
発行日:2003年8月

2009年1月の本というわけではないが、ジャン=ミッシェル・プラス社(Jean-Michel Place)から出ていた、『ラルシテクチュール・ドージュルドゥイ(L'architecture d'aujourd'hui)』誌と『テクニック・エ・アルシテクチュール(Techniques et architecture)』誌が終刊を迎えていたことを1月に知って驚いたため、挙げておきたい。前者は2007年12月号が、後者は2007年11月号が最終号だった。特に、『ラルシテクチュール・ドージュルドゥイ』誌はアンドレ・ブロックによって1930年に創刊され、近代建築の発展を牽引してきた雑誌のはず。いま、終わってしまうことは、何か象徴的な意味を持つかもしれない。表記の本は、パリの特集号でお気に入りのひとつ。

2009/01/31(土)(松田達)

『建築ノート』No.6

発行所:誠文堂新光社
発行日:2009年1月

建築をつくる「プロセス」を追うことをコンセプトとした雑誌。かゆいところに手が届くような徹底取材と情報量の新しさ、カラーページの多さが、これまでの建築専門誌と同じようで違う。No.6では「建築の学び方」を特集。注目の研究室が多く紹介されている。個人的には、スイスの建築教育に関する記事が、面白かった。ETH(ドイツ語圏)とアカデミア(イタリア語圏)の関係図などは、ありそうでなかったもの。研究室を選ぼうとする学生にも重宝されそう。監修は、東北芸術工科大学の槻橋修。毎回、既存の情報への勝負の姿勢を貫いている。

2009/01/31(土)(松田達)

長野重一『遠い視線 玄冬』

発行所:蒼穹舎

発行日:2008年12月24日

長野重一は1925年生まれの写真家。1950年代からフォト・ジャーナリズムの最前線で活躍し、羽仁進監督の『彼女と彼』(1963)、『アンデスの花嫁』(1966公開)や市川崑監督の『東京オリンピック』(1965公開)などの映画では撮影を担当した。一時写真の現場からは離れていたが、1989年に写真集『遠い視線』(アイピーシー)を刊行。以後もコンスタントに写真集、写真展などの活動を展開している。80歳を超え、さすがに体調はあまりよくないようだが、そのスナップショットの切れ味に弛みがないことは、新刊の『遠い視線 玄冬』でも確かめることができた。
タイトルが示すように、この写真集は基本的に前作『遠い視線』の延長上にある。作品のキャプションに付された日付で見ると、1996年から2008年に撮影された街のスナップショット、151点で構成されている。長野のスナップから感じとれるのは、「知性」としかいいようのない平静沈着な視線のあり方だろう。ことさらに感情移入することなく、中心となる被写体からやや距離を置いて、周囲を取り込むように撮影していく。そこに巧まずして、時代の空気感や手触りが浮かび上がってくる。
だが写真集全体から感じとれるのは、何ともいいようのない「寂しさ」である。とりたててネガティブな場面が多いわけではなく、街を行き交い、佇む人たちの、ほっとするような場面が写り込んでいる写真も多い。にもかかわらず、孤独や寂しさがひたひたと押し寄せてくるような気配を感じてしまう。最後の2枚は品川区上大崎の自宅の窓から撮影されたもの。雷鳴が走り、ブルドーザーがクレーンで吊り下げられる──何かが壊れていく。後戻りはきかない。そんな日々の移り行きを、写真家はこれから先も静かに「遠い視線」で見つめ続けていくのだろう。
なお写真集の刊行にあわせるように写真展「人、ひとびと」(ギャラリー蒼穹舎、2009年1月8日~25日)、「色・いろいろ」(アイデムフォトギャラリー「シリウス」、2009年1月5日~21日)も開催された。前者は1960年代のポートレートを中心に、後者は長野には珍しいカラー作品を集めた展示である。どちらも彼の作品世界の意外な幅の広さと、的確でしかも遊び心があるカメラワークを楽しむことができた。

2009/01/10(土)(飯沢耕太郎)

ERIC『中国好運 GOODLUCK CHINA』

発行所:赤々舎

発行日:2008年11月22日

エリックこと鐘偉榮は1976年に香港で生まれ、日本に来て東京ヴィジュアルアーツで写真を学び、2001年頃から作品を発表するようになった。これまでは日本や世界各地のスポットを訪れる観光客を、やや皮肉な視線で見つめ、定着する、切れ味のいいスナップショットを撮影・発表してきたが、2005年頃から中国の人々にカメラを向けるようになった。そのことで彼自身の認識が大きく転換したということを、写真集のあとがきにあたる文章で彼はこんなふうに書いている。
「そして私は、自分が香港以外で初めて感情移入のできる被写体に出会えたことに気付いた。[中略]日本で日本人を写すとき(また、諸外国で彼地の人々を写すとき)、私は、その被写体に何の感情移入もせず、その意味では外側から捉えて、ただ『おもしろさ』を基準にシャッターを切ってきていた」。
この感情移入というのは、どうやらポジティブな共感や好意だけではないようだ。「強く反発することも決して少なくないし辟易することさえもある」という。だが、どちらかといえば距離を置いた、批評的な視点から撮影されていた彼のスナップショットが、少しずつ変化しつつあることは確かだと思う。少なくとも、このような愛憎相半ばした生々しい中国人のポートレートは、エリックのような複数の国に所属している写真家でないと、なかなか撮れないだろう。こうなると、彼のホームタウンである香港の写真も見てみたい。それにはもしかすると、これまでのような出合い頭のスナップショットではない方法論が必要になるかもしれない。

2009/01/10(土)(飯沢耕太郎)