artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

本橋成一『バオバブの記憶』

発行所:平凡社

発行日:2009年3月10日

バオバブという樹にはとても思い入れがある。ご他聞に漏れず、僕もこの樹の存在を初めて知ったのは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』だった。そこでは、惑星を破壊してしまう怖い樹として描かれているが、実際によく東アフリカに行くようになってバオバブを見ると、ずんぐりとした姿がどことなくユーモラスで愛嬌があって、すっかり好きになってしまった。雨季の終わり頃には、ぶらぶらと大きな実が風に揺れている、バオバブには「人が生まれた樹」という伝承もあるが、本当にその中に赤ん坊が入っていそうでもある。
本橋成一もバオバブにすっかり取り憑かれた一人で、35年前に仕事で滞在していたケニアで初めて出会って以来、マダガスカル、インド、オーストラリアなどでも撮影を続けてきた。今回はとうとう西アフリカのセネガルに長期滞在し、写真集だけでなく、同名の記録映画(渋谷・イメージフォーラム、ポレポレ東中野でロードショー上映)まで作ってしまった。どちらもモードゥという少年とその家族を中心に、バオバブの樹とともに生きる村の暮らしを丁寧に描いていて、味わい深い出来栄えである。僕のようなバオバブ好きにはたまらない作品だが、たとえ実際に見たことがない人でも共感できるのではないだろうか。われわれ日本人のなかにもある、「鎮守の森」を守り育てるようなアニミズム的な自然観に、バオバブの樹のどこか懐かしい佇まいはぴったりフィットするように感じるのだ。
なお、やはり「バオバブの記憶」と題された写真展も、東京・大崎のミツムラ・アート・プラザで開催(2009年3月9日~31日)された。写真集と同じ写真が並んでいるのだが、大伸ばしのクオリティがやや低いように感じた。デジタルプリントの精度が上がってきているので、逆にプリントの管理が甘いと目立ってしまう。

2009/03/24(火)(飯沢耕太郎)

Naomi Pollock『HITOSHI ABE』

発行所:Phaidon

発行日:2009年2月7日

ナオミ・ポロックによる阿部仁史のモノグラフ。作品は時系列順ではなく、形態別に整理されているところは作品集として異色だ。すなわちLine(線)、Surface(面)、Volume(立体)という三つのカテゴリーに分類される。建築における形態の問題を、追究し続ける阿部の作品集だからこそ、とても効果的である。それはサイズで作品を分類したレム・コールハース/OMAの『SMLXL』も想起させるだろう。仙台とカリフォルニアという二拠点を往復する阿部を追いかけつつ、ナオミ・ポロックは巻頭論文において、阿部のさまざまな私生活も含めた人間像に迫る。内容は彼女の本だとして任せ、唯一阿部がこだわった点は写真であり、使いたいと提案される写真の6割を差し替えたという。阿部の作品にはいわば「見慣れない」形態が入り込み、それがほかの日本の建築家と阿部を決定的に分けているように思う。日本とアメリカという二つのバックグラウンドがあることによって、阿部の作品は、単純さと複雑さ、透明なものと不透明なものなど、対立するものが同居することを許容する建築であるようにも思う。ところで、本作品集の出版記念イベントとして、阿部氏のトークイベントを収録し、その模様を「建築系ラジオr4」にて配信している。ぜひそちらもご参照いただきたい。阿部氏、ポロック氏に、五十嵐太郎、今村創平、筆者が話を伺っている。司会は堀口徹。

関連URL:http://tenplusone.inax.co.jp/radio/

2009/03/14(土)(松田達)

鬼海弘雄『Hiroh Kikai: Asakusa Portraits』

発行所:ICP/Steidl

発行日:2008年

鬼海弘雄が1970年代から続けている「浅草のポートレート」の集大成。草思社から2003年に刊行された『PERSONA』を定本に、ニューヨークのICP(国際写真センター)とドイツのSteidl社の共同出版で刊行された。
6×6判のカメラを使い、雷門の無地の壁をバックにたまたま通りかかった人たちに声をかけて真正面から撮影する。何とも味わい深い、一言でいえばとても「濃い」人間たちのコレクションである。こういう写真群を見ていると、八つ当たりで申しわけないのだが、やなぎみわの「マイ・グランドマザーズ」のシリーズがどうしても上滑りで単調なものに思えてしまう。鬼海の仕事はノンフィクションであり、やなぎの作品はフィクション的な虚構の世界の再構築だから、比較しようがないという見方もあるだろうが、本当にそうだろうか。鬼海の「浅草のポートレート」のモデルの大部分は、かなり自覚的な演技者なのではないかと思う。彼らのやや特異な風貌や身振りは、長年にわたって鍛え上げられた“藝”であり、鬼海は雷門に小舞台を設定してその演技を記録しているのだ。それ以前に、写真を撮る─撮られるというシチュエーションが、必然的にモデルを演技者に変身させてしまうということもありそうだ。
「浅草のポートレート」と「マイ・グランドマザーズ」がどちらも演劇的設定によってできあがった作品だとすれば、問われるのはその演技の質ということになるだろう。いうまでもなく前者は人間(というより人類)の生の厚みを感じさせる凄みのある存在感を発しており、後者はどう見ても底の浅いお嬢様芸でしかない。やはりこの分野はやなぎには分が悪そうだ。何度も書くように物語化、記号化を徹底させていくべきではないだろうか。

2009/03/07(土)(飯沢耕太郎)

らくたび文庫No.034『京の近代建築』

発行所:コトコト

発行日:2008年9月25日

表紙に名前が入っていないけれども、企画・イラスト・文、すべてぽむ企画のたかぎみ江さんによるもの。文庫サイズの建築本は、そもそもあまりなかったはず。でも旅行に持っていくなら、胸ポケットにも入るこれくらいの本はとても便利。選ばれた近代建築がまたしぶくてよい。有名どころで選んでいるのではなく、明治、大正、昭和の見応えのある建築が選ばれている。ところどころ、とてもほんわかする一冊だが、意外に勉強になる。京都に行くなら、ぜひ持っていきたい。

2009/03/01(日)(松田達)

平田晃久『animated 生命のような建築へ 発想の視点』

発行所:グラフィック社

発行日:2009年2月25日

平田晃久の初の著作にして、とても実験的、挑戦的な本。絵本のように大きな文字で、一文一文は難しくないのに、全体を通して理解しようとするとできない。平田氏本人の思考にまでたどり着かないと、決してすべてが分からないような、知的なからくりと仕掛けが満載。作品集とも書籍とも絵本ともいえず、そのすべてともいえる。「内発性」「A, A', A''……」「開かれた原理」「対角線的」「360°」「ひだ」「同時存在の秩序」「[動物的]本能」「脱[床本位制]」「人工という自然」という10個のキーワードが章をつくり、それぞれが関連する数枚の図版と短いテキストで構成される。各章内の図版とテキストの関連性は特に説明されないし、10個のキーワードの関連性も説明されない。にもかかわらず、図版群とテキスト群は、読み進めていくうちに、互いに関連性を主張し合い、時に衝突し、時にゆるく手を結びながら、何か一つの背後にある原理を指し示しているようにも見えてくる。平田氏の言葉を借りれば、それは「内発的な原理」ということなのかもしれない。つまり、例えばある一つの原理から、演繹的に10個のキーワードが現われてきたというわけではなく、10個のキーワードそれぞれが、他のキーワードを生み出すための原理を内在させているような、そういう関係ともいえるかもしれない。もっとも平田氏は、建築における「内発的な原理」を語っているのだが、その射程は建築的思考や理論も巻き込んでいるだろう。単純に線的な読解では、全体を読み取ることが出来ず、錯綜する複数のラインを並行して追っていくことで、その走査の痕跡からようやく全体像に近づけるような、そういう組み立てられ方である。かといって断章というには、あまりにそれぞれ概念の関連が強い。「animated」とは、生気を与えられたという意味。平田氏は建築に生命を与えようとする。そして生命を与えるための「内発的な原理」が、模索されている。何度でも、繰り返し読んで発見のある本だ。そしてタイトルの通り、生き生きとし、まるで生きている本のようだという気がした。

2009/02/25(水)(松田達)