artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
ビーズ─つなぐ かざる みせる 国立民族学博物館コレクション
会期:2022/11/15~2023/01/15
渋谷区立松濤美術館[東京都]
ビーズというと、それまでガラスやプラスチックの玉をつないだアクセサリーというイメージしか持っていなかった。どちらかと言えば、個人的にはそれほど興味のあるものではなかったのだが、本展を観てそのイメージがガラリと変わった。本展ではビーズを「さまざまな部材に穴を開け、それらをつないだもの」と定義する。さまざまな部材とはガラスやプラスチックのみならず、世界を見渡せば植物や貝、石、鳥の羽根、卵殻、動物の歯、骨、鱗と実に多様だ。なんと12万年前から世界各地で人類はビーズをつくってきたのだという。女性がおしゃれのために身につけるアクセサリーという概念はほんの一部に過ぎなかった。もっとプリミティブで、土着的で、民族的な装身具だったのだ。そんな新たな概念のもとで展示を眺めると、それぞれがとても興味深く映った。
人類史を調べると、12万年前は温暖化によりネアンデルタール人が急増したとされる中期旧石器時代に当たる。彼らは洞窟に住み、石器や弓矢を使用して狩猟生活を送っていたのが特徴だが、注目したいのは埋葬を始めたという点だ。つまり祈祷や魔除けなどの呪術的な儀式にビーズを用いてきた可能性が高い。もちろん、それだけではない。自身の身分やアイデンティティを表現するために衣服や身体にビーズをあしらってきたのだという。
その多様な素材でできたビーズ群はなんとも迫力があった。貝や石、鳥の羽根などは鮮やかで見栄えがするが、動物の歯や骨、鱗などはややグロテスクでもある。だからこそ強烈な強さがあり、それを生んだ人々のたくましさが伝わった。
そもそもなぜ先史から世界のあちこちで人類はビーズをつくってきたのだろうか。それが衣服や装身具の一部であったことは理解できたが、細かいパーツに穴を開けて糸状のものを通してつなぐ行為をわざわざしてきたところが面白い。そこには何かつくらざるを得ない純粋な創作欲求を感じてならない。シンプルな構造で、身近にあるどんな物でもできるからこそ、創作の自由度が高く、人々の心を捉えたのかもしれない。本展では最後に現代作家のビーズ作品が紹介されており、なおそれを強く感じた。人々のビーズ創作への熱はこの先も冷めることはないのだろう。
公式サイト:https://shoto-museum.jp/exhibitions/198beads/
2022/12/13(火)(杉江あこ)
all is graphics
会期:2022/11/10~2022/11/27
ヒルサイドフォーラム[東京都]
ビニール素材でできた「フラワーベース」、ミラー加工を施したカップにソーサーの柄が映り込む、トリックアートのような「ミラーカップ&ソーサー」など、プロダクトブランドD-BROS/DRAFTには、ちょっとした仕掛けが楽しい商品がそろっている。DRAFTに所属しアートディレクションの仕事をしていた頃から、このD-BROS専属デザイナーとして活躍していた植原亮輔、渡邉良重が立ち上げた会社、KIGIが今年で10周年を迎えた。これはその10年の活動を振り返る展覧会だ。
本展を観て痛感したのは、彼らはデザイナーあるいはアートディレクターとしての職能を十分に発揮する一方で、自身の作家性を非常に大事にするタイプではないかという点だ。特に展覧会の場では、それが引き立って見えた。その作家性とは、強いて言うなら子どもの頃にお絵描きや切り絵、工作、手芸などを経験してワクワクしたときのような純粋さである。大人になってもそんな純粋さを創作の核として持ち続けているからこそ、上記で挙げたようなありそうでなかった楽しい商品が生まれるのではないか。
そのためか、本展では彼らの個人的な作品にとても目が引かれた。例えば「時間の標本 #002」では、壮大な時間をかけて結晶化した色鮮やかな鉱物一つひとつを瓶に閉じ込めるという試みをしていた。地球の創造を担った鉱物に、長い時間の経過を見出したのだ。また植原による写真作品も興味深かった。北海道や沖縄の海辺などを写した風景写真なのだが、画角の真ん中に鏡を置き、自分の背面の視野の外にある景色をあえて写り込ませるという趣向を凝らしていた。何ということはない風景の中に、部分的に異次元ポケットのような違和感をつくり出し、見る者を引きつける。 そうした日々のちょっとした気づきや実験を形にする行為は、彼らのなかで創作の種となり、いつかどこかのタイミングで芽が出て花が開き、仕事に生かされるのだろう。言わば、その種や芽、花を見せてもらったような展覧会でもあった。しかし私も経験上わかるが、どの仕事もスムーズにうまく運ぶわけではない。成功の影にはいくつもの失敗があるし、クライアントワークにはさまざまなストレスやトラブルがある。本展でキラキラと輝く彼らの仕事や作品を眺めながら、同時に目に見えない苦労も感じ取った。
公式サイト:http://ki-gi.com/aig2022/
2022/11/25(金)(杉江あこ)
マリー・クワント展
会期:2022/11/26~2023/01/29
Bunkamura ザ・ミュージアム[東京都]
マリー・クワントと聞いて思い浮かぶのは、あのデイジーマークだ。本物の花のデイジーは花びらがもっとたくさんあるのだが、デイジーマークは5弁に簡略化され、基本的に黒1色使いで、潔く抽象化されている。それがマークとしてのインパクトやブランドの強さへとつながっている。もしかするとアップルのリンゴマークやナイキのスウッシュマークにも匹敵するほど、全世界に知られたブランドマークではないか。そうしたブランディングの観点から見ても、マリー・クワントは優れたファッションブランドではないかと思える。
そんなマリー・クワントの日本初の回顧展が始まった。日本にマリー・クワントが上陸したのは1971年、コスメラインだったことから、確かに日本では化粧品のイメージが強い。しかし本展で紹介するのは、それ以前のブランドの歩みやマリー本人のキャラクターである。それらを観れば観るほど、マリーに惹かれ、共感し、また感心することが多々あった。まず、マリーがロンドンのチェルシー地区に若者向けのブティック「バザー」を開店したのが1955年。後々に語り種となる、若者たちのストリートカルチャーが花開いた「スウィンギング・ロンドン」時代の到来である。まだ25歳だったマリーが自分と同世代の若者をターゲットにしたこのブティックは、これまでの既成概念にはない形態だったからこそ大人気を得た。
もちろん世界を見渡せば、時代や規模は異なるが、それは東京の原宿などでも見られる現象ではないかと思う。特にファッションや音楽などに関しては、若者がムーブメントを大きく動かす力を持っている。しかしマリーが並外れていたのはその感性だけではなかった。夫となるアレキサンダー・プランケット・グリーンや、友人で実業家のアーチー・マクネアをブレーンに抱え、彼らのサポートによってビジネスとしても大成功を収めたからだ。大量消費時代の波にうまく乗れたことも大きいのだろう。デザインとビジネスを両輪にしてグローバルブランドへと成長する。もちろん、どちらかが欠けても弱くても成り立たない。マリー・クワントはまさに理想的なブランドストーリーを歩んだのだ。本展を観た後、デイジーマークを改めて眺めると、ミニスカートをはじめ、若い女性のために等身大のデザインを発信するというマリーの情熱が確かにそこに表われているように感じた。
公式サイト:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_maryquant/
2022/11/25(金)(杉江あこ)
おいしいボタニカル・アート─食を彩る植物のものがたり
会期:2022/11/05~2023/01/15
SOMPO美術館[東京都]
本展は、貿易大国として世界的に発展した大航海時代のイギリスの歴史や文化にスポットを当てた展覧会である。ご存知のとおり、15〜17世紀にかけ、ヨーロッパ諸国がアフリカやアジア、アメリカ大陸へこぞって進出した大航海時代は、ヨーロッパ帝国主義のきっかけとなり、またグローバル化の始まりにもなった。寒冷で、痩せたヨーロッパの土地に自生する植物は限られていたことから、温暖で、肥沃な“新大陸”の土地で採れる種々様々な珍しい植物は、ヨーロッパ人にはさぞ魅力的に映ったのだろう。プラント・ハンターたちが持ち帰ったこれらの植物により、彼らの食卓は一気に華やぎ、食文化も発展した。
例えばチョコレートはその最たる象徴だ。飲料としてのカカオは、もともと、原産地の中米諸国でも愛飲されていたようだが、固形のチョコレートが生まれたのはカカオがヨーロッパへ渡ってからのことである。しかも寒冷のヨーロッパでなければ生まれ得なかったという二律背反性がある。そんな激動の世界史を背景にして本展を観ると、実に感慨深い。
当然、ヨーロッパ人にとって、初めて見る植物にはどんな花が咲き、どんな実がなり、どの部分を食用にできて、どのように調理や加工をすればいいのか、皆目見当がつかなかったのだろう。味の良さや効能だけでなく、下手したら毒の危険性もあるかもしれない。そのため必須だったのが植物の科学的研究である。研究を目的として緻密に描かれたボタニカル・アートは、植物図鑑を見るようで興味深く、どれも生き生きと描かれているため、いまなお魅了される。それは植物が持つ生命感ゆえの美しさだろう。根から茎、葉、花、実、種の詳細に至るまで描かれているため、子どもの食育にも良いのではないかと思える。例えばジャガイモにはこんな白い花が咲くのかとか、コーヒーの豆はこうして採れるのかとか、リンゴにはこんなにたくさんの種類があったのかとか、恥ずかしながら大人が見ても発見が多々あった。
また本展では野菜や果物だけでなく、穀物や砂糖、お茶やコーヒー、カカオ、お酒、ハーブやスパイスとあらゆる植物を対象にしたボタニカル・アートが展示されていたうえ、ティーセットやレシピ帖など食にまつわる関連資料もあり、大変充実していた。これらボタニカル・アートからヒシと伝わるのは、人間の飽くなき探究心である。先人たちの熱心な研究があったからこそ、いま、我々はこんなにも豊かな食を享受できていることを肝に銘じたい。
公式サイト:https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2021/botanical-art/
2022/11/22(火)(杉江あこ)
日本のアートディレクション展 2022
会期:2022/11/01~2022/11/30
クリエイションギャラリーG8/ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
今年も日本のアートディレクション展が二つの会場で開催された。ADC(東京アートディレクターズクラブ)の全会員が審査員として携わるこの年次公募展は、アートディレクションを審査することが目的のため、グラフィックデザインのみならず広告も対象としている。つまり新聞広告やコマーシャルフィルムもあれば、環境空間もあり、ポスターやジェネラルグラフィックだけではわからない時代の空気まで見えてくるところに面白さを感じるのだ。
非会員を対象にしたADC賞でまず私の目についたのは、サントリー「人生には、飲食店がいる。」のポスター、新聞広告、コマーシャルフィルムだ。これは以前からテレビで目にし、コロナ禍を反映した広告として気になっていたものである。今年は行政からの行動制限がほぼ緩和されているが、ご存知のとおり、一昨年や昨年は飲食店の営業時間や酒類提供、客の人数などに制限が掛かっていた。人々はそれにすっかり萎縮してしまい、飲食店(特に酒を伴う店)の利用が減ったというのが現状ではないか。私自身もそうである。これはそんな現状を嘆き、警笛を鳴らす、サントリーならではの飲食店応援広告だ。特にコマーシャルフィルムでは昔の映画で描かれた居酒屋や屋台、バーなどのワンシーンを次々につなぎ、そこに映る役者たちのさまざまな表情を見せていく。それらを眺めるうちに、視聴者は自分自身の居酒屋での思い出などまでふと蘇ってきてしまい、まるで失われた過去に対峙するかのようで、ちょっと泣けてくるのである。
ADC賞でもうひとつ私が注目したのは、新聞広告だ。いまや新聞記事でさえスマホで読む時代となり、紙の新聞の存在感が薄れ始めている。スマホで記事1本1本を選んで見る限り、大きな紙面を駆使した新聞広告なんて目に触れる機会がないため、新聞広告はもはやレア媒体とも言える。だからこそ、ちょっと趣向を凝らした新聞広告を見つけた時の喜びは格別な気持ちになる。長崎新聞社「13865 BLACK DOTS AND 2 RED DOTS.」の新聞広告は、反核を訴えた秀逸なグラフィックデザインだった。特に今年はロシアのウクライナ侵攻の影響で、核兵器への恐怖が高まった年でもあるからなおさらだ。広告は時代を映す鏡である。来年のADC展にはどんな作品が登場するだろうか。
公式サイト:http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/2211/2211.html
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2022/11/18(金)(杉江あこ)