2022年08月01日号
次回9月1日更新予定

artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

分身ロボットカフェ「DAWN ver.β」

[東京都]

新日本橋駅の近くにある分身ロボットカフェの「DAWN ver.β」を訪れた。これは吉藤オリィが、重度障害のために外出困難な人でも、遠隔地から在宅で働けるロボットを開発し、実証実験を経て、6月に常設店がオープンしたものである。彼は自らも3年半の不登校を経験した後、早稲田大学在学中に独自で「オリィ研究室」を立ち上げているが、2013年にFacebookを通じて、交通事故で動けない番田雄太と出会ったことを契機に、「寝たきりであっても自分らしく働ける場所」の実現に取り組んだ。 現在、カフェでは3種類の分身ロボットが稼働している。まずiPadと連動する小型の遠隔操作ロボット「OriHime」は、卓上に置かれ、手や首を動かしながら、音声でのコミュニケーションをとって、食事の注文や会話を行なう。


iPadと連動する小型の遠隔操作ロボット「OriHime」


次に遠隔での肉体労働を可能にする自走型分身ロボット「OriHime-D」は、身長が約120cmであり、店内をガイドラインに沿って移動することによって、ドリンクを運ぶ。基本的に客席では、この2種類が対応するが、奥のカウンターでは、元バリスタとの意見交換を受けて開発され、遠隔操作によってコーヒーを淹れることが可能な「Tele-Barista OriHime×NEXTAGE」が立つ。バリスタのロボットが動く状況には立ち会えなかったが、両腕によって、もっとも複雑に動くと思われる。


遠隔での肉体労働を可能にする自走型分身ロボット「OriHime-D」



「Tele-Barista OriHime×NEXTAGE」


筆者は、実際にランチを注文し、青森県や山形県にいるパイロット(遠隔地から働くメンバーをこう呼ぶ)との会話を体験した。ただ音声をやりとりするのではなく、言葉に反応して動く「OriHime」のおかげで、本当にパイロットの存在を感じることができる。ロボットは、いわゆるかわいいデザインだが、別の客席にいた幼児は怖がって泣いていたから、かわいいという感覚も後天的に獲得されるものなのだろう。ともあれ、こうしたコミュニケーションは、メディアアートなどでも試みられていたが、分身ロボットカフェがインパクトをもつのは、実際に社会に役立つデザインになっていることだ。これぞ、新しいデザインと工学の融合を社会実装させ、未来を感じさせるプロジェクトである。今後は教育の分野でも、活用が期待できるだろう。


パイロットとのガイダンスの様子



「OriHime-D」と「OriHime」


じつはカフェを訪れたのは、ちょうど崇高な理念をうたうはずのオリンピックの開会式への、障害者に暴行を働いた過去をもつミュージシャンの参加が問題になったタイミングであった。それだけに「孤独の解消」を掲げる、こうした民間の挑戦は、頼もしく思えた。

公式サイト:https://dawn2021.orylab.com/

関連記事

いま、ここにいない鑑賞者──テレプレゼンス技術による美術鑑賞|田中みゆき(キュレーター):トピックス(2020年11月01日号)

2021/07/19(月)(五十嵐太郎)

包む─日本の伝統パッケージ

会期:2021/07/13~2021/09/05

目黒区美術館[東京都]

漢字の「包」は、女性のお腹に胎児が宿っている形から生まれた象形文字である。一方、英語の「package」はひとつに固定する、押し固めるという意味の「pack」にageを付けて名詞化した言葉だ。つまり日本語の「包み」と英語の「package」では言語の成り立ちが違い、これが文化の違いにも表われているのではないかと思う。例えば日本人は贈り物をもらった際、その包みをなるべく丁寧に開ける習慣があるが、欧米人は逆にその包みを容赦なくビリビリと破いて開ける。日本人は包みに対してある種の折目正しさを求めるのに対し、欧米人にとってpackageはただ中身を効率的に運ぶための手段でしかないのだろう。

本展を観て、そんなことを考えさせられた。これはアートディレクターの岡秀行(1905-95)がかつて「伝統パッケージ」と呼称し収集した、日本の包みを紹介する展覧会である。展示作品のほとんどが昭和時代までに製造されたもので、木、竹、土、藁、紙、布などの自然素材から成る。同館で10年前にも同様の展覧会が開催され、私はやはり足を運んだ覚えがあるが、10年前と現在とでは抱える環境問題や世相が若干異なる。いま、もっぱら注目されている事柄は海洋プラスチックごみ問題やSDGs、そして新型コロナウイルスだろう。いつの時代も社会に行き詰まりを感じているとき、人々は歴史や伝統に学びを得ようとする。本展は、まさにサステナビリティーのヒントをもらうのに十分な内容であった。

1972年に岡はこんな言葉を残している。「私たちにとって、人間とは何か、生活とは何か、社会とは何かを考えることは、つまりは私たちのこの生をどう包むかという問題だとさえいえるであろう」。「生をどう包むか」とは大袈裟なと思うが、しかし「包」がお腹の胎児が基になった文字と考えれば、決してそうでもない。大切なものを包むという行為自体が、日本人にとって尊いことだったのだ。そんな折り目正しく、清く美しい、日本の伝統パッケージ群を前にして、私は失われつつある価値の大きさを思い知った。伝統パッケージも伝統工芸品と同じで、職人がいなくなれば技術が途絶えてしまう。そこに絶滅危惧を知らせる赤信号が灯っていた。


《卵つと》山形県[撮影:酒井道一/岡秀行『包』(毎日新聞社、1972)所収]
※本展の展示物と図版写真は同一のものとは限りません。


《釣瓶鮓》奈良県/釣瓶鮓弥助[撮影:酒井道一/岡秀行『包』(毎日新聞社、1972)所収]
※本展の展示物と図版写真は同一のものとは限りません。


展示風景 目黒区美術館



公式サイト:https://mmat.jp/exhibition/archive/2021/20210713-358.html

2021/07/17(土)(杉江あこ)

artscapeレビュー /relation/e_00057626.json s 10170425

ルール?展

会期:2021/07/02~2021/11/28

21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2(※)[東京都]

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、開館時間を短縮。収容率50%以内にて営業。


出来の善し悪しはともかく、世の中にデザインされていないモノやコトがないように、世の中にルールのないモノやコトもないということを改めて実感した。実はこの企画展が発表された当初、「ルール」というテーマに、私はいまひとつピンときていなかった。何となく憲法や法律といった“お堅い”イメージしかなかったからだ。しかし規則やマナー、習慣、自然の法則などもルールの一環と捉えれば、確かにルールは社会や生活の基盤であることに気づかされる。その点でデザインと概念がよく似ていると感じた。

本展でもっともユニークだったのは、ギャラリー1で展示されている来場者参加型の作品《あなたでなければ、誰が?》である。1回につき14人の来場者がステージに上がり、目の前のスクリーンで次々と投げかけられる質問に対して「はい」「いいえ」に分かれて立つというものだ。私が参加した回では、政治や民主主義などに関する質問が続き、即答するのに案外と難しい内容もあった。その後、ほかの参加者の回を見学すると、人間の生死などに関する質問もあった。一問一問の回答直後にこれまでの来場者の回答の統計が表示され、自分が多数派なのか少数派なのかを知らされる。多数決がルールを決める手段のすべてではないが、国会をはじめさまざまな議会や場面で採用されている多数決について考えさせられると同時に、ルールづくりを擬似体験できる作品でもあった。


ダニエル・ヴェッツェル(リミニ・プロトコル)、田中みゆき、小林恵吾(NoRA)×植村遥、萩原俊矢× N sketch Inc.《あなたでなければ、誰が?》


そのほかの作品群では、総じてドキュメンタリー映像作品が印象に残った。健常者からは想像もつかない、盲目者が信号を渡る際に頼りにしている“音”の存在、京都市内で観光客らに対して、複雑なバス路線の乗り継ぎ方法を強引かつユーモラスに教えるNPO法人、自分たちらしい結婚のかたちを求めようと話し合いを重ね、独自の契約書を交わす男女、性別も年齢も人種も異なる9人の美容師が手分けしてひとりの女性の髪を切る試みなど、いずれもまったく異なる趣旨の映像だが、そこに介在するのは法には定められていない独自のルールである。そう、ルールは人間の行動様式を決める。新型コロナウイルスの蔓延により、昨年から我々は「新しい生活様式」を強いられるようになった。一昨年までは考えられなかった新しいルールが世の中に急速に定着していく様子をまざまざと味わったではないか。そんないまだからこそ、本展は考えさせられる面が多かった。


田中功起《ひとりの髪を9人の美容師が切る(二度目の試み)》
Commissioned by Yerba Buena Center for the Arts, San Francisco
Photo courtesy of the artist, Vitamin Creative Space, Guangzhou and Aoyama Meguro, Tokyo



公式サイト:http://www.2121designsight.jp/program/rule/

2021/07/11(日)(杉江あこ)

artscapeレビュー /relation/e_00057604.json s 10170424

サーリネンとフィンランドの美しい建築展

会期:2021/07/03~2021/09/20(※)

パナソニック汐留美術館[東京都]

※日時指定予約を実施


「ルオー」「建築・住まい」「工芸・デザイン」という三本柱をもつパナソニック汐留美術館は、おおむね年に1回は建築の企画展を開催している。今年のテーマは「フィンランド」としながらも、日本に多くのファンがいて、何度も展覧会が行なわれたアルヴァ・アアルト(1898-1976)ではなく、彼よりも四半世紀早く生まれ、フィンランドのモダニズムの先駆けとなったエリエル・サーリネン(1873-1950)にスポットを当てたのが、特筆すべき点だろう。


「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」展示風景


まず全体の「プロローグ」として、19世紀に編纂され、フィンランドのナショナリズムの起源となった民族叙事詩の『カレワラ』が紹介される。「第1章 フィンランド独立運動期」が、エリエルを含むGLS建築設計事務所が手がけた1900年のパリ万博の《フィンランド館》、《ポホヨラ保険会社ビルディング》(1901)、《フィンランド国立博物館》(1910)をとりあげるのだが、アール・ヌーヴォー的な意匠に対し、『カレワラ』に由来するクマやフクロウなど、ヨーロッパの辺境ならではの異色の装飾が付加されているからだ。また諏佐遥也が制作した模型や、アアルト大学によるCGが、《フィンランド館》の立体造形も詳細に伝える。


《ポホヨラ保険会社ビルディング》


「第2章 ヴィトレスクでの共同制作」は、GLSの3人、すなわちゲセリウス、リンドグレン、サーリネンがスタッフとともに築いた理想の芸術家コミュニティを紹介し、《ヴィトレスク》(1903)のダイニングルームの実物大の再現展示がハイライトになる。またカラフルな図面も美しい。なお、学芸員の大村理恵子によれば、コロナ禍のため、海外からクーリエを担当する学芸員が来日できないため、時間をかけて、オンラインの画面を通じ、開梱した作品の状態を詳細に確認してから、設営したという。

「第3章 住宅建築」は、GLSが得意とした居住の空間を選び、装飾に彩られた《ヴオリオ邸》(1898)や《エオル集合住宅・商業ビルディング》(1903)などを紹介する。「第4章 大規模公共プロジェクト」は、重厚な《ヘルシンキ中央駅》(1914)、ロシアから建設の許可が出なかった実現されなかった「国会議事堂計画案」(1908)、住宅開発計画などだ。そして「エピローグ」は、シカゴ・トリビューン本社ビルのコンペ2等案(1922)を契機に、政情不安の祖国を離れ、アメリカに移住し、新天地での仕事や息子エーロによる家具などがとりあげられる。


《ヘルシンキ中央駅》


《ヘルシンキ中央駅》



息子のエーロ・サーリネンによって設計された《クレスゲ・オーディトリアム》(1955)



息子のエーロ・サーリネンによって設計されたNY・JFK国際空港《旧TWAターミナル》(1962)


本展は、装飾を排除したモダニズムが登場する前の、建築の豊かさを感じさせる内容だった。また久保都島建築設計事務所による小部屋を設けた会場構成、シンプルな動線、光の効果も効いている。

公式サイト: https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/

2021/07/08(木)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00057606.json s 10170402

サーリネンとフィンランドの美しい建築展

会期:2021/07/03~2021/09/20(※)

パナソニック汐留美術館[東京都]

※日時指定予約を実施


サーリネンといえば、エーロ・サーリネン(1910-61)がデザインしたノル社の「チューリップ・チェア」が思い浮かぶ。正直、その程度の知識でしかなかったのだが、本展を観て「チューリップ・チェア」に対する見方が少し変わった。本展はエーロの父、エリエル・サーリネン(1873-1950)のフィンランド時代にスポットを当てた展覧会だ。まずプロローグとして、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』の解説から始まり、しばし頭のなかにクエスチョンマークが現われる。しかし『カレワラ』がロシアからのフィンランド独立のきっかけをつくり、またサーリネンをはじめ芸術家たちにインスピレーションを与えた作品と知って驚いた。天地創造に始まり、4人の英雄が呪術を用いて宝を奪い求め戦う冒険だそうで、日本でいえば『古事記』や『日本書紀』に当たるようなものなのか……。現にサーリネンはデビュー作となる1900年パリ万国博覧会フィンランド館の建築で、「ナショナル・ロマンティシズム」と称される表現で民族独自の文化的ルーツを取り入れ、大成功を収めた。


1900年パリ万国博覧会フィンランド館 ラハティ市立博物館


アイデンティティやルーツに根ざすことは、建築でもデザインでも非常に大事なことだ。しかも自国の建国に際してはなおのことだろう。タイトルにある「フィンランドの美しい建築」の「美しい」とは、豊かな森と湖に恵まれたフィンランドの美しい自然や風土との調和を指している。サーリネンの美意識はつねにそこにあった。2人の仲間とともに、ヘルシンキ西の郊外の湖畔に建てた設計事務所兼共同生活の場「ヴィトレスク」にも、サーリネンの美意識が凝縮されていた。アーツ・アンド・クラフツ運動の影響も窺えるという解説どおり、まさにそれはフィンランド版「レッドハウス」のようである。ここで築いた理想の暮らしを、以後もさまざまな個人邸で実現していく。


ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所《ヴィトレスク、リンドグレン邸の北立面(左)、スタジオの断面が見えるリンドグレン邸の南妻面(右)》(1902)フィンランド建築博物館


しかしサーリネンが本当の意味で飛躍するのは、1923年に母国を離れ、米国に拠点を移してからだ。時代の潮流に乗り、ナショナル・ロマンティシズムからモダニズムへと新たな表現を模索し開花させた。ルーツは大事であるが、そこに留まり続けても進化はない。日本的な言葉で言えば、サーリネンは「守破離」を実践したお手本のような人だと感じた。しかもチャールズ・イームズらを輩出したクランブルック・アカデミー・オブ・アートの施設設計に携わり、教鞭をとり、学長就任まで果たしたのである。後世に世界中で大ブームを巻き起こす米国のミッドセンチュリーデザインが生まれるきっかけに、サーリネンは大いに貢献したわけだ。「チューリップ・チェア」もそんな時代のなかで誕生した。あのなんとも言えない優美なラインには、エーロが父から受け継いだフィンランドの美しい自然や風土への賛美があるのかと想像すると、実に感慨深い。


ヴィトレスクのサーリネン邸のダイニングルーム[Photo: Ilari Järvinen/Finnish Heritage Agency, 2012]


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/21/210703/

2021/07/05(月)(杉江あこ)

artscapeレビュー /relation/e_00057606.json s 10169976

文字の大きさ