artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
ミキモト真珠発明120周年記念「ミキモトの広告にみる美の世界」展
会期:2013/12/05~2014/01/13
ミキモト本店6F ミキモトホール[東京都]
東洋大学教授・藤井信幸氏は、洋食器メーカー・ノリタケの創業者・森村市左衛門(1839-1919)と、養殖真珠を商品化したミキモトの創業者・御木本幸吉(1858-1954)のふたりの起業家の共通点として、独自のブランドの創出を挙げている。市左衛門も幸吉も起業家ではあっても技術者ではなく、洋食器にしても真珠にしても、彼らはいずれも海外ですでに存在していた市場への新規参入者に過ぎなかった。両者に共通していたのは、ブランドを構築するすぐれた努力であった。ではどのようにしてブランドを構築することに成功したのか。第1に不良品を排除し、品質管理を徹底したこと。第2に主たる市場である海外の動向を絶えず探り、新たなデザイン・技術を考案したり、販売戦略を見直したこと。そして第3に、これはとくに幸吉の場合に顕著なのだが、皇室との結びつきや新聞・博覧会といったメディアを最大限に利用し、自社の信用を高めたと指摘する。技術の向上・品質の管理と巧みなマーケティングが両社を一流のブランドへと成長させたといってよい
御木本幸吉がメディアの持つ力を最初に意識したのは、20歳頃。鳥羽から東京に出たその帰路に人命を救助したことが新聞に掲載されて話題になったことから、新聞の威力を知り、その後話題づくりを主とした広告宣伝活動に積極的に取り込むようになったという。当時の主要な顧客は外国人であり、会場では英字紙に掲出された多数の広告が紹介されている。興味深いのは、お金を払って掲載してもらう広告ばかりではなく、ニュース記事になるようなパフォーマンスを行なっている点である。昭和7年、真珠業者の増加により品質の低下、価格の下落が言われた際には、神戸商工会議所前で粗悪真珠を焼却。自ら真珠をシャベルで火にくべる姿が、いくつもの新聞に写真入りで掲載されている。もちろん対外的なパフォーマンスばかりではなく、英語版のカタログやポスターには里見宗次のすぐれたデザインを用い、ジュエリーの意匠にも細心の注意を払っていた。戦後、高度成長期に入ると国内に向けた広告宣伝活動が活発になる。1959(昭和34)年の皇太子殿下御成婚を機に、ミキモトは広告やカタログ等で西洋風の結婚式とパールの組み合わせを提案。従来は限られた階層のものであった宝飾品を、ただモノを宣伝するだけではなく、宝飾品に関する歴史や文化的背景とともに広告を通じてより広い階層の人々へ伝えていく。「真珠王」御木本幸吉は1954(昭和29)年に96歳で亡くなっているが、「同氏[幸吉]独特の新聞雑誌或は印刷物による宣伝に任じ、自ら商戦の第一線に立ちて普く欧米市場を歴訪して世界販路の開拓に渾身の努力を用いた」 という幸吉の偉業は、ミキモトのミーム(=文化的遺伝子)として引き継がれているようだ。[新川徳彦]
2013/12/06(金)(SYNK)
プレビュー:iTohen開設10周年記念作品展
会期:2013/12/11~2013/12/28
iTohen[大阪府]
大阪市北区のiTohenは、2003年12月に開業したスペースで、書店、ギャラリー、デザインオフィスが融合した形態となっている。扱うジャンルは多様だが、ファインアートとコマーシャルアートの中間領域を積極的に取り上げるのが特徴だ。関西では2000年代の初頭に同様のスペースが数多く誕生したが、月日とともに淘汰された。iTohenはアーティストと観客双方から信任を得た幸福な一例と言える。彼らが、開設10周年を記念した展覧会を開催する。内容は、過去に展覧会を行なった作家たちの小品展だ。画廊の軌跡を振り返りつつ、ギャラリーというシステムの今後を考える場としたい。
2013/11/20(水)(小吹隆文)
吉岡徳仁──クリスタライズ
会期:2013/10/03~2014/01/19
東京都現代美術館[東京都]
エスカレーターを降りて地下の会場に入ると、真っ白い部屋。積み上げられた膨大な数の白いストローが渦を巻くなかに、ガラスのベンチ《Water Block》が据えられている。チャイコフスキーの「白鳥の湖」が流れる次の部屋の中央には透明な液体が入った大きな水槽がしつらえられ、その中では結晶絵画《Swan Lake》が育てられている。壁面にはそれぞれ「白鳥の湖」の異なる楽章が流れるなかで生成された作品が展示されている。その奥の部屋には薔薇の花を核に生成した《ROSE》。ほのかな色味は、花の色素だという。展示室は再び白いストローの竜巻《Tornado》で満たされ、その間の細い道を進むと椅子の形に張り渡した細い糸に結晶を生成させた《蜘蛛の糸》が、その生成途中の姿とともに配されている。圧巻は、高さ12メートルの吹き抜け空間を使用した虹の教会《Rainbow Church》。ガラスのプリズムを通して差し込む光が、周囲に虹色の色彩を投影している。アンリ・マティスのロザリオ礼拝堂に衝撃を受けて着想したという教会建築を念頭においた、ガラスと光によるインスタレーションである。
その規模や物量に圧倒される側面はあるが、吉岡徳仁の空間デザインに共通する魅力は、人の手によって固定化された造形ばかりではなく、チューブやストローなどの集積によってつくられる不定型な空間、結晶による造形、プリズムによる光の演出など、自然の力を借りつつも極めて純粋なオブジェ、純化された空間を生み出している点にある。自然の力を借りるといっても、すべてを委ねるのではなく、実験やシミュレーションによって明確な設計がなされている。しかし、特殊な水溶液によって結晶ができることがわかっていても、音楽を聴かせることでそれがどのような形に生成するかまではコントロールできない。羽毛に風を送ったときに、一つひとつの羽根がどのように舞うのかまではわからない。すなわち吉岡徳仁がデザインしているのは形ではなく、方法なのである。
1階会場では、ハニカム構造を持つ紙を素材とした椅子《Honey-pop》と繊維の塊を焼いて作る椅子《PANE chair》が展示されているほか、過去の空間デザインの仕事を約50分の映像で見ることができる。またショップ奥ではヤマギワの照明《ToFU》や《Tear Drop》、ISSEY MIYAKEの腕時計などプロダクト系の作品も紹介されており、吉岡徳仁のこれまでの仕事を展望できる。東京都現代美術館で開催されている「うさぎスマッシュ展」と「吉岡徳仁展」。両展覧会の同時開催が意図されたものかどうかはわからないが、いずれも近代デザインの枠組みとは異なるアート・デザインの方法論を見せているという点で、とても興味深い組み合わせの企画である。[新川徳彦]
2013/11/19(火)(SYNK)
うさぎスマッシュ展──世界に触れる方法(デザイン)
会期:2013/10/03~2014/01/19
東京都現代美術館[東京都]
「うさぎスマッシュ展」。サブタイトルには「世界に触れる方法」とあり「方法」には「デザイン」とフリガナが振られている。ということは、これはデザインの展覧会なのか。しかし、ここには自動車や家電のような工業製品があるわけではない。企業や商品のポスターがあるわけでもない。ということは、今日の職業デザイナーの大多数が日常的に関わっている「デザイン」ではない。21組の出品作家には、デザイナーばかりではなく、アーティストと呼ばれている人も多い。それでは、この展覧会でいうところのデザインとはどのような行為なのか。それはアートとは違うものなのか。
もとより、デザインはかつて「応用芸術(applied art)」と呼ばれたように、造形的な手法を商業的な広告やプロダクトに応用する活動を指し、アートから分化した存在である。しかし、その後デザインはアートから距離を置き、アートとの違いを強調するようになっていった。すなわち、デザインは美という抽象的な存在、感性に訴えるものではなく、合理的な思考プロセスのもとにクライアントの抱える問題を見出し、それを造形的に解決する手段であるとする。デザインはプロダクトの機能性を改善し、消費者を魅了する外観を与え、クライアントの利益向上に資する存在であるとして、自らを商業的なシステムに組み込んでいったのである。
しかし近年、再びデザインとアートとの接近が言われてきている。ただし、そのときの「デザイン」は、量産可能なカタチを考えるとか、付加価値のある商品を設計するというものではない。デザインという行為の根本にある、他者の抱える課題を探り、それを解決するための方法を見出す、あるいは問題を提起する行為を指している。大多数のデザイナーにとって「他者」とはクライアント企業でありプロダクトの使用者・消費者であるがゆえにデザインは商業と不可分の関係にあると思われがちであるが、その手法は社会、あるいは世界が抱えている問題にも適用できる。アートとデザインの接近はこのフィールドで生じているのである。とはいえ、このような手法はけっして新しいものではない。イラストレーションによるカリカチュア、ポスターによるプロパガンダはこの分野の先駆者であり、本展に出品されている木村恒久の予言的なモンタージュ・フォトもそのような文脈に位置づけられよう。かつてこの分野が主としてグラフィックの世界に留まっていたのは、それが比較的コストのかからないメディアであったからであり、情報技術の発達がもたらしたメディアの拡張や、生産技術の革新は、このようなデザインのフロンティアをさらに開拓しつつある。
本展では、英国王立芸術学院(RCA)のアンソニー・ダンが主唱するクリティカル・デザイン という概念を中心に、世界に対する人々の認識の転換をうながす種々の「デザイン」が紹介されているが、それらの作品の種類は大きく三つに分けられる。ひとつは「データの視覚化」。社会や経済のデータをさまざまな手法でマッピングし、複雑な構造を解き明かそうとするものである。ライゾマティクスの《traders》は金融取引におけるデータを可視化する試み。ビュロ・デテュード《世界政府》は、国家という枠組みではなく国際的な企業(群)のネットワークによって世界が動いている様を示している。OMA*AMO《EUバーコード》は、EU加盟国の国旗を縦に引き延ばしてひとつのシンボルとしたもので、加盟国が増えるとアップデートが可能な構造は、合衆国の星条旗にも類似する優れたCIである。ブラク・アリカン《モノバケーション》は観光や休暇をテーマとした各国のコマーシャルを集め、そのイメージの類似性を見せつける。いずれもデータの丹念な収集と緻密な分析に基づき、グローバライゼーション(あるいはそれは単なるアメリカナイゼーションにすぎないのかもしれないが)が進行する世界の見方を私たちに提示している。
もうひとつは「科学との新しい関係」。おもにフィクションの方法を用いて、私たちに科学の未来を考えさせる。アレキサンドラ・デイジー・キンズバーグ&サシャ・ポーフレップの作品は、遺伝子操作された植物によって作られる「除草剤散布機」(《栽培─組立》)や、顔料を生成するバクテリアを摂取することによって排泄物で病気の診断を行なうシステム(《イークロマイ:スカタログ》)。リヴィタル・コーエン&テューア・ヴァン・バーレン《ライフ・サポート》は他の動物の身体機能を、腎臓病患者や呼吸器障害を持つ人の生命維持装置として使用する姿を描く。いわばSFの世界なのだが、その結末が明るい未来なのか、それともカタストロフをもたらすものなのか。作品の本質は見る者の想像力を刺激することにあり、その結末は鑑賞者に委ねられている。
三つめは「認識の転換を触発する方法」。イギリスでは街頭に膨大な数の監視カメラが設置され、日常的に監視され記録されていることが知られている。
キャンプの《CCTVソーシャル》は通常は監視されている側の人々をCCTVカメラの制御室に招き、オペレーターたちと語り合う姿を記録したドキュメンタリー映像。見られる側が見る側になったとき生じる認識の転換が淡々と綴られる。ジュディ・ウェルゼイン《ブリンコ》は、メキシコからアメリカへの不法移民にサバイバルツールを仕込んだスニーカーを無償で提供し、他方で同じものをアメリカの高級ショップで売るというプロジェクトによってもたらされる人々の評価の差異を、このプロジェクトを取り上げたさまざまなニュース、コメンタリーの映像によって炙り出す。
世界に対する認識はその人が依って立つ文脈によっても、国家や地域の歴史的背景に依っても多様であるが、その多様な認識はまたささやかな刺激によって転換しうる。現実の世界は固定的なものではなく容易に変わりうるものであり、そのような変化は私たちの未来像をも描き換える。デザインにはそうした転換をうながすメディアとしての力があることを示す展覧会である。[新川徳彦]
2013/11/19(火)(SYNK)
ゲンビ:New era for creations──現代美術懇談会の軌跡1952-1957
会期:2013/10/19~2013/11/24
芦屋市立美術博物館[兵庫県]
「今回同じエスプリをもって新しい造型を志す人々が、各所属団体を考えずに自由な個人の立場からお互いに忌憚なく語り合う会をつくる事になりました。ついては毎月十三日午後二時より五時まで朝日新聞貴賓室で懇談会を開くことに決定致しました」。これは、1952年、大阪で発足した研究会「現代美術懇談会(ゲンビ)」の設立趣意書である。吉原治良(二科会)須田剋太(国画会)、山崎隆夫(同左)、中村真(モダンアート協会)、植木茂(同左)、田中健三(自由美術協会)、6名の連名。当時の関西における美術界のリーダーたち(40代の作家)は、絵画・彫刻・工芸・書・いけばなといった芸術のジャンルを超えて、議論を交わし、そのゼミのような討論を以て若手の育成も図った。ここから、展覧会「ゲンビ展」も行なわれるようになった。興味深いのは、1954年、同展から派生した「モダンアート・フェア」が開催され、そこにインダストリアル・デザインが含まれていたことだ。モダンアートの隆盛がデザイン製品に与えた影響について考慮され、優れたデザイン──いわゆる西洋諸国で戦後に推進された「グッド・デザイン」運動と同等の動きである──が展示された。これらの諸活動を通じて、「新しい造型」を探求した作家たちは、ジャンルの垣根を超えて「造型の根本」は同じである、という認識を共有したのであろう。本展からは、戦後の関西芸術界の熱い息吹を感じ取ることができる。[竹内有子]
2013/11/17(日)(SYNK)