artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

メイド・イン・ジャパン南部鉄器──伝統から現代まで、400年の歴史

会期:2014/01/11~2014/03/23

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

ピンク色の鉄瓶と鍋敷き。日本語よりも大きな面積を占めている英文の展覧会タイトル。「南部鉄器」という言葉から抱く伝統工芸的なイメージと、本展のポスターやチラシとのギャップにまず驚かされる。モチーフとなっているカラフルな鉄瓶は、1902(明治35)年に創業した南部鉄器メーカー・岩鋳が欧米向けに製造しているティーポットである。岩鋳の海外進出は1960年代後半。鮮やかに着色されたティーポットはフランスの茶葉専門店からの依頼で昭和50年代半ばに開発された製品で、欧米では「イワチュー(iwachu)」が鉄瓶の代名詞になるほど売れているのだという★1。日本国内では震災を機として東北のものづくりを見直す機運が高まっているが、じつはそれよりもずっと以前から南部鉄器は海外で注目されてきたのだ。そのような南部鉄器の伝統と革新とを紹介するのが今回の展覧会である。
 展示第1部「南部鉄器の歴史」では、江戸時代からの伝統的な南部鉄器の歴史が綴られる。17世紀半ば、南部家の藩主南部利直が街づくりと文化の振興に努めるなかで京都などから鋳物師や釜師を呼び寄せて仏具や兵器、そして茶の湯の釜をつくらせたのが南部鉄器の始まりである。1750年頃に鉉(つる=持ち手)と注ぎ口のついた鉄瓶が開発されたことで、南部鉄器は茶の湯の道具から日用品へとその用途が拡大する。しかしながら、社会環境の変化や戦争は南部鉄器にとって逆風となった。太平洋戦争期には金属製品の製造が制限され、その伝統の継承も一時的に危機に陥る。戦後はまたアルミニウムやステンレスなどの軽くて丈夫な金属製品が登場し、熱源がガスや電気に変ったことで、南部鉄器への需要が失われてゆく。第2部「南部鉄器の模索・挑戦といま」では、そうした環境の変化のなかで行なわれてきた新しい製品づくりの試みが紹介される。釜定工房・宮昌太郎のモダンなオブジェ、岩鋳の輸出向製品などの革新が目を惹くばかりではなく、伝統を継承した茶釜や鉄瓶にもすばらしいものがたくさんある。そして第3部は「南部鉄器による空間演出」。工業デザイナー・柳宗理による南部鉄器を用いた鍋と、キッチンや食卓のコーディネート。釜定工房・宮伸穂とインテリアデザイナー内田繁とのコラボレーションによる釜と茶室。カラフルなティーポットによる店頭展示の再現や、鉄器を用いたテーブルコーディネートによって、南部鉄器のある生活空間が提案されている。歴史、現在、提案とパートごとにメリハリをつけた展示空間も美しい。
 最近では欧米ばかりではなく、中国でも南部鉄器の鉄瓶が人気を博しているという。かつては中国から質の悪い偽モノが日本に流入するという事件もあったようだが、茶が美味しく入れられるということで、この数年は富裕層のあいだで質の高い南部鉄器を求める動きが顕著で、生産量が限られる南部鉄器の工房は殺到する注文に悲鳴を上げるほどと聞く。この展覧会にも中国からのお客さんが多く訪れているという。欧米での人気を受けて、日本国内でも南部鉄器への人気が高まっている。手作業による伝統的なものづくりを守る一方で、量産も可能な新しい製品と、海外を含む新しい市場を開拓してきた南部鉄器。現在の成功は生活スタイルや文化が異なる多様な市場の要望に丁寧に応えてきた結果であり、伝統と革新のあいだでバランスを取りながら発展してきたその歴史の延長上にある。南部鉄器は「メイド・イン・ジャパン」のモデルケースのひとつなのだ。[新川徳彦]

★1──『日経ビジネス』2009年5月4日号。岩鋳のティーポット「曳舟」はニューヨーク近代美術館のカフェでも用いられているという。内部は伝統的な鉄瓶とは異なり、琺瑯引きで錆びないように加工されている。直火にかけることはできない。


展示風景


展示風景


展示風景

2014/02/13(木)(SYNK)

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デミタス コスモス──宝石のきらめき★カップ&ソーサー展

会期:2015/02/07~2015/04/05

三井記念美術館[東京都]

鈴木康裕・登美子夫妻が40年にわたって蒐集してきた500セットを超えるデミタスのコレクションから、約300セットをセレクトして展観する特別展。ヨーロッパ陶磁の蒐集家は日本にも数多いが、デミタスだけを集めている方のなかで鈴木夫妻は第一人者であるという。「デミタス」に明確な定義はなく、主として食後に飲む濃いコーヒーのための小さな器がその名称で呼ばれているが、鈴木夫妻はさらに独自のルール──カップの高さが7センチ以下、ソーサーの直径が12.5センチ以下、ハンドル付のカップであること、受け皿とセットであること、完品であること──を設けて蒐集しているという。時代は18世紀から20世紀初頭。ヨーロッパの窯──なかでもロイヤル・ウースター(英)がいちばん多い──が蒐集の中心であるが、明治期日本の輸出品も含まれている。自宅一室の壁面に展示ケースをしつらえて、ふだんはそこに300点のデミタスが飾られているそうだ。このすばらしい蒐集品が、昨年の岐阜県現代陶芸美術館での展覧会から1年にわたって全国を巡回していることを考えると、鈴木夫妻が自宅で寂しい思いをしているのではないかと心配にもなる。
 デミタスの装飾には器のフォルムに関わる部分と、色や図柄など絵付に関わる部分とがあり、しばしばその双方が相まってたんなる飲み物のための器とは思えない繊細な美しさをもたらしている。ソーサーを含めても手のひらで包み込めるそのサイズもまたかわいらしさを増しているように思われる。「宝石のきらめき」というサブタイトルはけっして大げさではない。出品作品には器がジャガイモ、ソーサーがその葉を模したかたちをした一風変わった作品などもあり、一つひとつを見ていて飽きることがない。ソーサーに特徴がある作品ではソーサーをカップの横に置くなど、展示も工夫されている。図録には裏印の写真も掲載されており、蒐集家への配慮も万全だ。シノワズリやジャポニズムなど器に文化の東西交流の跡を見ても興味深いし、名窯の歴史を辿りながら見るのもよい。もちろん、ただその装飾の美しさを愛でるだけでも十分に楽しい展覧会である。[新川徳彦]

2014/02/06(金)(SYNK)

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スイスデザイン展

会期:2015/01/17~2015/03/29

東京オペラシティアートギャラリー[東京都]

日本とスイスの国交樹立150年を記念して、スイスの文化を紹介する展覧会が各所で開催されている。本展もそのひとつで、スイスのグラフィックデザインとプロダクトデザイン双方の歴史と現在を包括的に紹介する構成の展覧会である。この展覧会を見るにあたって、スイスデザインのスイスらしさとは何かを探ってみようと考えていた。しかし、展覧会を見て感じたのは、スイスデザインにはスイスらしさがないのではないかということだった。言葉を換えると、スイスらしさを感じさせないところが、その特徴なのではないかということである。スイスデザインを語るときに合理性と普遍性という言葉が用いられる。確かにそうなのだが、合理性と普遍性を持ったデザインがスイス的であるわけではない。
 タイポグラフィを中心としたスイスのグラフィックデザインが戦後の世界のグラフィックデザインに与えた影響の大きさについては、デザインを学んだ者なら知っていることだろう。ユニヴァースやヘルベチカなど、スイスのデザイナーたちが開発した書体は世界中あらゆる場所で、公共機関や企業のポスターや掲示物、ロゴタイプとして目にすることができる。紙面を格子状に分割してテキストや図像を配置するグリッドシステムは、現在ではDTPやウェブデザインの基本になっている。しかしながら、たとえばヘルベチカを用いたロゴタイプにスイスらしさを感じる人はどれほどいるだろうか。書体あるいはデザインの様式には特定の時代、国や企業と密接に結びついてイメージされるものも多い。しかしヘルベチカにそのような印象を受ける者はいない。だからこそ、いろいろな企業がそれをロゴタイプに用いていてもイメージが互いにバッティングすることがないのだ。
 プロダクトデザインでも同様の印象を受けた。本展では8つのスイス・ブランドの製品と、ほかにも多くのデザイナーたちによるプロダクトが出品されているが、前提となる知識がなければどれほどのものをスイスのデザインと見分けることができようか。ビクトリノックスのナイフ、ジグの水筒、スウォッチの時計はスイスクロスをロゴやデザインの一部に用いてスイス・ブランドであることを示しているが、それ以外の要素はほとんどナショナリティを想起させないように思う。それでいながらけっしてドイツ的でもなく、フランス的でもなく、イタリア的でもない。もちろんそれはスイスブランドの製品に個性がないということではない。アイデンティティは個々のブランドとものづくりの精神に宿っているのだ。
 クリスチャン・ブレンドル(チューリッヒ・デザイン・ミュージアム館長)は、このようなスイスデザインの背景にあるものとして、小さな国土と文化の多様性を挙げている(本展図録、48頁)。ヨーロッパの中央に位置する小国。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語が使われる多言語、多文化国家であること。国内市場が小さいために大量生産ではない高い品質のプロダクトに特化し、同時に国外に市場を求めてきたこと。また、両大戦時に中立であったことで、スイスはデザイナーや芸術家たちの避難場所になり、またスイス人デザイナーたちが国内にとどまらずパリ、ロンドン、ミラノで仕事をしたことで豊かな文化の交流があったという。なるほどそのような背景を考えれば、スイス出身でフランス国籍を持ち20世紀の世界の建築に大きな影響を与えたル・コルビュジエ、スイス出身でドイツのバウハウスに学びウルム造形大学を創設したマックス・ビルの仕事が大きなスペースで取り上げられている意図がわかる。[新川徳彦]


展示風景

2014/01/29(木)(SYNK)

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IMARI/伊万里──ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器

会期:2014/01/25~2014/03/16

サントリー美術館[東京都]

17世紀初頭から佐賀県有田でつくられはじめた日本で最初の磁器は、近隣の伊万里港から各地へ出荷されたために「伊万里焼」の名で呼ばれるようになった。17世紀半ばになると、伊万里焼はオランダ東インド会社の手によって大量にヨーロッパに輸出されるようになる。しかしながら、公式な輸出取引は18世紀半ばには途絶えてしまった。この展覧会では、この100余年における輸出用伊万里焼生産の盛衰、製品・絵付けなどの変化と海外での受容の様相を、大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する古伊万里コレクションを中心に、サントリー美術館、九州陶磁文化館の所蔵品を加えて辿る展覧会である。
 第1章「IMARI、世界へ」は、1660年から1670年代までの初期輸出用伊万里焼を取り上げている。日本で磁器が初めて焼かれたのは17世紀初頭。おもに景徳鎮から輸入されていた磁器の代替品として生産が始まり、次第に生産量と技術水準が向上していった。転機をもたらしたのは明から清への王朝交代である。ヨーロッパでは長らく磁器を焼くことができなかったために、中国から輸入される磁器は「白い金(white gold)」と呼ばれ、金に匹敵する価値のある貴重な品として取引されていた。ところが、中国国内の内乱と清朝による海禁令(貿易禁止令)によって、ヨーロッパへの磁器輸出を行なっていた景徳鎮からの製品供給が途絶えた結果、オランダ東インド会社は有田にその代替的な供給を求めたのである。最初の輸出は1659年。初期の輸出品は中国の青花磁器(染付磁器)を模したものが多く、不足する供給をまかなうためか一部国内向けに絵付けされた製品も輸出されたという。第2章は、「世界を魅了したIMARI──柿右衛門様式」。1670年から1690年代までの輸出最盛期を取り上げる。暖かみのある乳白色の素地に色絵を施した磁器はヨーロッパで人気を博し、その後各地で多くの模倣品が作られた。第3章は「欧州王侯貴族の愛した絢爛豪華──金襴手様式」。1690年から1730年頃には柿右衛門様式の色絵磁器は姿を消し、大型の壺や瓶に色絵と金彩による金襴手と呼ばれる絵付けを施した製品が輸出される。他方で、清朝の安定により1684年に中国からの磁器輸出が再開されると、景徳鎮でも伊万里の様式を模した製品が作られるようになり、伊万里焼は熾烈な国際競争を強いられるようになる。第4章は「輸出時代の終焉」。最終的に伊万里焼は圧倒的な生産量を誇る景徳鎮との競争に敗れ、またヨーロッパでの磁器生産も始まり、輸出は衰退。長崎貿易制限令もあって1757年に公式な輸出は幕を閉じることになる。
 オランダ東インド会社は、景徳鎮に対しても有田に対しても希望する製品の型や絵付けに詳細な指示を出していた。ヨーロッパ人は自分たちで磁器をつくることはできなかったが、長いあいだ自分たちが欲する製品の製造を「外注」していたのだ。ただし、希望どおりの品が手に入るとは限らない。こうした文脈で特に興味深かったのは、オランダ人画家コルネリス・プロンクの下絵によって景徳鎮と有田でつくられた《色絵傘美人文皿》である。同じ下絵が元になっているにもかかわらず、景徳鎮のものは中国風の美人図、伊万里は浮世絵に見られるような日本美人が描かれているのである(結局注文は景徳鎮の製品に行ったという)。こうした模倣の様相と、それが完全ではないために生じた「オリジナリティ」は、アジア内に留まらず、オランダのデルフト焼などのヨーロッパの窯とのあいだにも生じている。また、絵付けばかりではなく、ヨーロッパの金属器を模した磁器が日本でつくられた例もあり、グローバルな商品としての磁器の流通がデザインにおいて東西の交流をもたらした姿はとても興味深い★1
 ものには、つくり手と受け手とで異なる文脈があることも、本展で示されている点であろう。伊万里焼はつくり手にとっては海外からの注文に応じた「商品生産」であったが、輸出先のヨーロッパにおいては高価な「美術工芸品」として需要されていた。本展の展示はつくり手側を取りまく環境の変化によって代表的な輸出品を構成しているが、他方で展示デザインではヨーロッパの宮殿につくられた「磁器の間」を再現している部分もあり、これは受け手の視点なのである。そして、受け手の側に立つならば、それが日本のものなのか中国のものなのか、明確に区別できていなかったであろうことも考慮する必要がある。
 本展は、長野(松本市美術館、2014/4/12~6/8)、大阪(大阪市立東洋陶磁美術館、2014/8/16~11/30)に巡回する。[新川徳彦]

★1──このようなデザインの相互交流に焦点を当てた展覧会として、「陶磁の東西交流──景徳鎮・柿右衛門・古伊万里からデルフト・マイセン」 (出光美術館、2008/11/1~12/23)が思い出される。


展示風景

2014/01/24(金)(SYNK)

せんだいスクール・オブ・デザイン 2013年度秋学期 Interactiveレクチャー♯3 新津保建秀「フレーム/余白/写真」

東北大学大学院工学研究科 せんだいスクール・オブ・デザイン[宮城県]

仙台にて新津保建秀のレクチャーが行なわれた。ももクロや戸田恵梨香の人物から建築、風景、チェルノブイリの取材まで、幅広い領域に及ぶ写真の活動は、共通点がなさそうだが、実は一貫して対象の余白を意識した作品である。つまり、撮影した瞬間の前後、情報がタグ付けされた世界、モニター上の画像、データベースのアーカイブ、双方向的なネット・コミュニティ、撮影者の周辺状況を組み込み、現代における写真の可能性を拡げる。

2014/01/23(木)(五十嵐太郎)