artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

JCDデザインアワード2011

会期:2011/06/18

東京デザインセンター[東京都]

近年は建築系の健闘で知られるインテリアデザインのアワードにて、飯島直樹、小坂竜、近藤康夫、皆川明、中村拓志、韓亜由美らとともに、公開の最終審査に参加した。全体の傾向としては、その場でしか経験できない現象をもたらす空間のデザインが上位に残っている。大賞に選ばれた吉村靖孝による補色の効果を演出したインテリア、あるいは推したものの2位にとどまった増田信吾・大坪克亘の風で揺れる塔なども、そうした作品だった。

2011/06/18(土)(五十嵐太郎)

Stack-ing Design展──積み、重ねる、カタチ。

会期:2011/06/16~2011/07/12

世田谷文化生活情報センター 生活工房[東京都]

身の回りのデザインに着目する生活工房の企画。今回のテーマはスタッキングである。灰皿、グラス、食器、弁当箱、トレイ、ボウル、重箱、スツール、スーパーのカゴやカート、ケロリンの湯桶、パイロン、ヘルメット、跳び箱……。積み重ねることができるようになっているさまざまなプロダクトが集められている。会場の間仕切りはスタックされたビールケースだ。企画を担当したデザインユニットdelibabは、重ねる行為から人とモノとのあいだに生まれるコミュニケーションを提案する。たとえばアルファベットが一文字ずつプリントされたカップは、重ねる順番によって現われる単語の意味が変わる。積み木に通じる楽しさだ。
会場ではとくにデザインをジャンル分けしたり、意味を示しているわけではないが、似た性格のプロダクトが集まると、自然とその類似点、相違点がみえてくる。重ねることの目的は第一に空間の節約であるが、そのときにモノに必要な面積だけが減るものと、容積も減るものとがある。使われている時間よりも使われていない時間のほうが長いものほど、より効率的なスタックが求められる。食器類はその典型。流通過程はもちろんのこと、家庭においても皿が実際にその用をはたすのは、一日のうちのほんの短い時間に過ぎないからだ。また、米俵やビールケース、タッパーウェア、衣装ケースなど、単体であるよりも積まれたカタチが常態のものもある。これらは中身が入った状態で長時間・長期間にわたって保管される点が共通している。
ユーザーが求めているのは空間の経済性であり、その課題をどのように解決するかがデザイナーの腕の見せどころである。展示されているスタッキング・デザインの数々は、現場で鍛えられたロングライフ・デザインともいうべきものばかり。ここには問題解決のためのヒントがたくさんある。[新川徳彦]

2011/06/17(金)(SYNK)

手ぬぐい Tokyo@Osaka──200人のクリエーターによる200の提案

会期:2011/05/31~2011/06/27

イーマ1F ディーバ[大阪府]

35×90�Bの手ぬぐいが200枚も一堂に並ぶと、じつに目に楽しい。展示されるのは、若手から大御所まで第一線で活躍中の美術家とデザイナーたち。規定は、手捺染の二色使いということだけ。よってその表現形式はさまざまである。宇野亜喜良が、オランダのボッスをモティーフにした独自の幻想的な絵画的表現を繰り広げれば、ひびのこづえはファッション・デザイナーらしく、予め結ぶとピンとなるよう意図された、黒一色の揺らぐ素敵な格子模様で魅了する。勝井三雄や和田誠をはじめとして佐藤可士和、佐藤卓らまで展示されているから、デザインに興味のある人にとっては興味深いだろう。ただ欲を言えば、そのディスプレイのしかたが惜しい。ギャラリーのスペースの関係が多分にあろうが、さらに一歩踏み込んで、手ぬぐいの「拭く・被る・包む」などの用途を関連させたり、使う側にとっての楽しい提案を反映した展示があればなおよかった。この商業施設の中にある「ディーバ」が、「デザインの場」と銘打たれ、空間デザインにはgrafの服部滋樹氏が関わっているから、こちらが勝手に望みすぎてしまうのか。[竹内有子]

2011/06/17(金)(SYNK)

野口久光──シネマ・グラフィックス展

会期:2011/06/04~2011/07/31

西宮市大谷記念美術館[兵庫県]

映画は不思議なものだ。観客は映画そのものの表現やストーリーだけでなく、俳優のイメージ、背景となる風景、衣装、台詞や音楽、ときには映画を一緒に観た人やその日の出来事に至るまで、じつにさまざまな外的要素を絡み合わせながら、映画を記憶する。映画ポスターもまた、そうした映画にさらなる魅力を加える、外的要素のひとつであろう。本展は野口久光(1909-1994)が手がけた、1930年代から1960年代のヨーロッパ映画のポスターを中心に、ポスター原画、プログラム表紙、映画雑誌の表紙絵など、約220点余を紹介するもの。野口は戦前後における日本のジャズ・ミュージカル・映画評論の第一人者として知られるが、『望郷』『天井桟敷の人々』『禁じられた遊び』『第三の男』『大人は判ってくれない』など、1,000作品を超える映画ポスターを描いた、グラフィック・デザイナーでもある。彼は東京美術学校(現東京藝術大学)で学んだ確かな技量と感覚をもとに、映画に対する深い理解と愛情をもって映画ポスターを描き続け、とくに独特の書き文字レタリングは戦後のグラフィック・デザイナーたちに大きな影響を与えた。これまで評価されることの少なかった野口久光の仕事を振り返るという意味では十分評価に値する展覧会だが、似通った印象の作品が一律に並べられていて、最後の展示室に入ったときにはもう飽きてしまった。展示の仕方に少し工夫してほしかったと思ったのは、私だけだろか。[金相美]

2011/06/17(金)(SYNK)

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堀内誠一──旅と絵本とデザインと

会期:2011/04/23~2011/06/26

うらわ美術館[埼玉県]

『アンアン』『ポパイ』『ブルータス』などのエディトリアル・デザインを手掛けた堀内誠一(1932-1987)の多彩な仕事を、アートディレクター、絵本作家、旅行家という三つの側面から紹介する展覧会。2009年7月に世田谷文学館からスタートして各地を巡回し、今回うらわ美術館で2年間の旅を終えた。世田谷文学館を訪れたときは彼のデザインの仕事の幅の広さとヴォリュームとに圧倒されたが、今回は絵本作品に見られる多様な画風が印象に残った。多くの絵本作家は──少なくとも短期には──画風を変えないし、絵本の編集者も読者も作家独自のタッチを期待していることと思う。なぜ、堀内はかくも多彩な表現で絵本を制作したのであろうか。
絵本作家マーシャ・ブラウンは、作品ごとに画風を変える理由を問われて、「物語が違うから」と答えたという。木村帆乃氏は、この話を堀内もたびたび指摘していたとし、「この姿勢はそのまま堀内誠一自身にも当てはまるだろう」とする(木村帆乃「パロディの美学」[『堀内誠一 旅と絵本とデザインと』平凡社、2009、88頁])。もちろん、それは絵本作家としてのひとつの方法論なのかもしれないが、編集者の立場からすれば別の作家に頼むという選択肢もある。そう、「編集者・堀内誠一」が彼の仕事すべてに共通するキーワードなのだ。堀内は最初から多様な画風を目指していたのではない。しかし、「こんな絵が欲しいと思っても、なかなかぴったりした絵を描いてくれる人がいない。それならっていうんで自分で描くようになった」(堀内誠一『父の時代私の時代』、マガジンハウス、2007、163頁)のである。彼の画風が多様であるのは、絵本作家・堀内が編集者・堀内の依頼に応えた結果と言えないだろうか。
堀内の多彩な仕事の背景には、全体を俯瞰し、内容に合わせて最適な素材、人材の組み合わせを考える編集者としての視点がつねにあり、編集者としての堀内の要求に、デザイナーとしての堀内、絵本作家としての堀内、紀行作家としての堀内が応えていく構図が見える。そのようにしてでき上がった作品は、一つひとつを比べてみるとその違いに目が行くものの、全体を通してみると間違いなく堀内誠一の仕事である。「どんな仕事でも、その注文に合わせながら、どこか自分の分も表現しているんだろうってのが僕のやり方だったのかもしれませんね」(同、163頁)という言葉に、多様な表現の背景にある堀内の一貫した精神が見て取れるのである。[新川徳彦]

2011/06/16(木)(SYNK)