artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
DSA日本空間デザイン賞2016
朝から夕方まで、日本空間デザイン協会(DSA)の空間デザイン賞の審査をオブザーバーとして立ち会う。ディスプレイや展示デザイン、インテリア、イベント、インスタレーションなど、幅広い作品が最終選考に残り、一部の作品は映像資料も提出されていた。世の中にはいろんな賞があるけれど、やはりそれぞれに特徴があって興味深い。また審査の途中で方向性の分岐点となるいくつかの作品をめぐる討議が一番面白い。最後は社会性をもつ作品、前衛的な造形の作品二案が最優秀賞を争った。
2011/06/05(日)(五十嵐太郎)
佐藤晃一ポスター
会期:2011/05/09~2011/05/31
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
グラフィック・デザイナーの佐藤晃一のポスターを紹介する展覧会。ふたつのフロアは青いグラデーションで包まれ、壁には代表的なポスター約100点、中央に置かれた台にはポスターのための印刷指定原稿が並べられている。トレーシングペーパーに書き込まれた指示の数々に「印刷のメカニズムを最大限に引き出した鮮明な色彩とグラデーションを駆使したポスター作品(展覧会サイトの解説より引用)」が生まれたプロセスを、完成作品とともにみることができる仕掛けだ。
佐藤晃一の作品は「超東洋的」と評されるという。ここで「超」がどのような意味で用いられているのか私は知らないのだが、作品を見て感じたのは、日本的、あるいは錦絵的ということである。作品とともに展示されていた指定原稿からは、錦絵同様、技術を知り、技術を使いこなし、それを独自の表現様式に高めてゆくありようを感じる。もうひとつの特徴は光の表現である。佐藤の表現には光がある。光とはいっても、光源の存在を感じさせる光ではない。たとえば夜が明ける直前、あるいは陽が沈んだ直後の、空全体に拡がるほのかな明るさとグラデーションであり、モノ自体から滲み出るアウラでもある。そして、光はあるが、影はない。光によってあらわになるのは、モノの立体的な形ではなく、輪郭である。西洋的な光と影の関係ではないのだ(もっとも、近年の作品はこれらの表現からずいぶんと離れてきている)。
興味深かったのは、同じ草月のための作品であっても、全紙のポスターに比べてB3判──おそらく電車の中吊りか、百貨店のエスカレーター脇に掲出されるもの──のもののほうが、テキストによる情報量がずっと多いこと。ポスターがはたすべき役割についての佐藤の考えかたがこの対比に現われているように思う。[新川徳彦]
2011/05/26(木)(SYNK)
カリブ海とクナ族のモラ
会期:2011/05/13~2011/06/11
世界は海によって分断されているのではなく、海によってつながっている、との考えから世界の海の暮らしを手仕事を通じて紹介する連続企画の第1弾。「モラ」とはパナマのカリブ海沿岸の島々に暮らす、クナ族の民族衣装に施されたアップリケ刺繍のことである。黒い布をベースに複数の色布を重ね、模様を切り抜き、刺繍を施していく。はっきりとした輪郭と鮮やかな色彩。模様には生活の場である海をモチーフとした図案も多いが、そればかりではなく、伝説や空想の世界から、動植物、身の回りの品々まで、あらゆるものが用いられ、これがとても面白い。刺繍の技術は母親から娘へと伝えられ、作品を身にまとうのも女性たちである。
現在ではブラウスに使用されるこの刺繍であるが、その歴史は必ずしも古いものではない。17世紀後半にクナ族と数カ月を過ごしたイギリス人は、女性たちは上半身が裸で膝までの腰布を巻いていると伝えている。彼女たちは鮮やかな絵の具で体中に絵を描いていたという。やがて、18世紀半ばにはイギリス人やフランス人との交易によって外国製の布を手に入れた女性たちは、その布で身体を覆うようになり、それまで肌に直接描かれていた模様が身につける布に描かれるようになったというのである。異文化との交流により新しい文物が生活に入り込み、生活の様式は表面的には変化した。しかしかつて女性たちの身体を飾った装飾の伝統は、素材やモチーフを変えつつも、彼らの生活の根底に脈々と受けつがれているのである。
会場には色とりどりのモラが展示され、またモラの制作風景やクナ族の祭りの映像を見ることができる。7つの海を主題とするこの企画、カリブ海から次はどこの海につながっていくのか、楽しみである。[新川徳彦]
2011/05/20(金)(SYNK)
『民芸運動と建築』
「それまで見過ごされてきた日常の生活用具類などに美的価値を認めようと、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって大正末年・昭和初年に始められた運動。短く辞書風に書くならば「民芸運動」はこのように紹介されるだろう」とはじまる本書は、こうした民芸運動と建築との関係を、広い視野で展望したもの。「濱田庄司邸」「日本民藝館」「河井寛次郎記念館」「倉敷民藝館」など、民芸運動に関わりのある建物や調度品が豊富な写真とともに紹介されている。また、1998年に発見され話題となった、「三国荘」や「高林兵衛邸」など、書籍として初公開の建築も多い。民芸運動や建築の専門家5人による最新の研究成果や情報も充実している。「民芸の建築」を楽しめる写真集として、あるいはこれまで部分的にしか語られなかった「民芸運動と建築との関わり」を知る研究書として、意味のある一冊だ。
[金相美]
2011/05/20(金)(SYNK)
『倉俣史朗 着想のかたち──4人のクリエイターが語る。』
本書は1960年代から1990年代初頭にかけて日本の商業インテリアデザインとプロダクトデザインを牽引したデザイナー、倉俣史朗(1934-1991)について、4人のクリエイターにインタビューを行ない、それを収録したものである。掲載順に小説家の平野啓一郎氏、建築家の伊東豊雄氏、クリエイティブディレクターの小池一子氏、プロダクトデザイナーの深澤直人氏へのインタビューが収められているが、もし、小池氏、伊東氏、深澤氏、平野氏の順に読めば、倉俣のデザインについての入門書として本書は読めるかもしれない。小池氏は倉俣の活動していた時代のアート・デザイン・ファッションの交錯の状況、伊東氏は建築とインテリアの関係性と差異からみた倉俣デザイン、そして深澤氏はデザインとしての倉俣デザインの特異性、という視点からおのおの語っているからだ。異色なのは造形ではなく言葉を生業とする平野氏へのインタビューで、小説の創作プロセスとデザインのそれとの関わりがおもに語られている。インタビュ─以外に倉俣自身の言葉も本書は収めている。
倉俣のデザインは生前から注目されたため、これまで多数の批評や本人による言説が発表されているが、その大部分は雑誌掲載記事である。したがって、倉俣の同時代人である小池氏と伊東氏の章が過去の言説の繰り返しの感は否めず(実際、両人とも過去に倉俣に関する文をさんざん執筆しているのだから仕方がない)、深澤氏による倉俣の解釈もやや新鮮味を欠くとはいえ、それらがバラバラな記事ではなく単行書としてまとめられたことは意義深い。しかし、どのインタビューにも言えるのは、示唆的な言葉が登場し、その意味を知りたいと思っても、別の話題にすぐ移ってしまうことだ。これは、インタビュー形式ゆえの難点だろう。平野氏の章では、デザイン一般に対する彼の考えが語られているのは興味深かったが、結局それと倉俣デザインに対する彼の思いがどう繋がっていくのかがわからなかった。インタビューではなくエッセイの形式をとれば、こうした未消化な部分は避けられたように思う。
日本では1960年代以降のデザインの流れがいまだ検証されていないという現況があり、それが本書(に限らないが)がもたらす未消化な読後感の遠因には違いない。最後の川床優氏によるエピローグは、それを補うべくデザインの歩みの中に倉俣を位置づけようとする意図がうかがえた。例えば美術史、建築史のようにデザイン史が普及している状況があれば、深澤氏などは、倉俣についての基本的な理解から話し始めることをせず、もっと彼自身の独創的な解釈を授けられたのではないか。本書が示唆するコンセプチュアルな側面からのデザイン研究の成熟が望まれる。[橋本啓子]
2011/05/20(金)(SYNK)