artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

レイモン・サヴィニャック展──41歳、「牛乳石鹸モンサヴォン」のポスターで生まれた巨匠

会期:2011/06/06~2011/06/28

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

サヴィニャックの描くポスターは人々に強い印象を与える。余計な言葉はない。詳しい説明を読む必要もない。一目みただけで、メッセージが伝わってくる。豚、牛、羊、毛糸、ゴムタイヤといった描かれたものそのものが、私たちに直接語りかけてくる。広告としての手法がすばらしいのはもちろんのこと、ヴィジュアルを中心とした表現は、もともとの文脈から切り離されても絵画作品として成立する。それゆえに、サヴィニャックの作品はいまでも多くの人々を魅了し続けているのだ。もちろん、彼は広告をつくっていたのであって、絵を描いていたわけではない。彼はポスターの出来をほめられるよりも、掲出後に商品の売り上げが伸びたことを聞くことのほうを喜んだという。また、彼はアメリカ的な広告制作の分業体制を嫌っており、すべてを自らの手で仕上げることを好んでいた。サヴィニャックがイラストレーターではなく、画家でもなく、ポスター作家と呼ばれる所以である。今回の企画にも協力しているサヴィニャック作品のコレクター山下純弘氏は、サヴィニャックは画家、デザイナー、アイデアマン、職人、ビジネスマンという多様な側面を併せ持った人物であったと語っている。
ところで、サヴィニャックの表現からは、商品を他社のものと差別化しようとする意図はあまり感じられない。彼のビジュアルはメーカーにかかわらず適用可能なものも多い。ランクハムやマギーブイヨンのためのポスターなど、メーカー名やブランド名を他社のものに入れ替えてもそのまま通用するに違いない。実際、ポスター作家として人気が出る前、彼は作品が採用されるまで同じポスターを持って複数の企業に売り込みに歩いていたし、コカ・コーラのために描いたポスターは手直しをしてペリエのポスターになり、トブラー・チョコレートのためのポスターはロゴを消して森永チョコレートのポスターになった。それにもかかわらず、わたしたちはサヴィニャックのポスターを、特定の企業、特定のブランドと結びつけて覚えている。企業やブランドの名前が画面に入っているから、という理由だけでは説明できないインパクト──彼の手法は「ビジュアル・スキャンダル」と呼ばれる──が、彼のポスターにはある。[新川徳彦]

2011/06/15(水)(SYNK)

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特別展 浅川巧(たくみ)生誕百二十年記念「浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟の心と眼──朝鮮時代の美」

会期:2011/04/09~2011/07/24

大阪市立東洋陶磁美術館[大阪府]

浅川伯教(1884-1964)は1913年、日本統治下の植民地朝鮮に小学校の教員として赴任した。その翌年、弟の巧(1891-1931)が朝鮮総督府の林業試験所の仕事に就き、二人の朝鮮での生活がはじまった。朝鮮の人々の生活に溶け込んで暮らしていた二人は、それまで見向きもされなかった、朝鮮の陶磁器や工芸品の美しさに気づくのである。やがて伯教は朝鮮陶磁研究の第一人者となり、弟の巧は朝鮮の陶磁器や工芸品について名著を著した。そうした彼らの活動は、柳宗悦(1889-1961)との交流を通じて「民藝」誕生へとつながる。本展は、近年再評価の気運が高まる浅川兄弟の事跡を体系的に紹介するもの。浅川兄弟や柳宗悦が選んだ旧朝鮮民族美術館のコレクションや、彼らによる絵画資料や自筆の原稿など約200点の展示を通して足跡をたどることができる。ただ、日本民藝館や同美術館のコレクションが圧倒的に多く、それらに見慣れた人は新鮮さを感じないかもしれない。[金相美]

2011/06/15(水)(SYNK)

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モノトーンのかたち──陶芸の領域にある表現

会期:2011/05/28~2011/06/25

YOD Gallery[大阪府]

現代美術を扱うYOD Galleryが、美術と陶芸をめぐる芸術上のヒエラルキーのあり方に疑問を抱き、美術の視点から陶芸をとらえようとした3人展。サンドブラストによる幾何学模様が印象的な北野勝久の花器や皿、手びねりの半磁土が幻想世界を生み出す新宮さやかの花、陶でできた配管が壁中に張り巡らされる三木陽子のインスタレーションが出品された。3人とも黒と白のモノトーンによる表現であるが、これはまったくの偶然であったという。ギャラリーのウェブサイトによれば、色彩の限定は、造形表現を強調するための一要素になるという見方ができる。
それはつまり、3人のアーティストたちが、陶だからこそ生み出し得る造形に惹かれているということなのではないか。実際、陶を表現手段とする作家の多くは、土を触り、それがかたちになることに魅せられてこの媒体を選んでいる。すなわち彼ら彼女らにとっては、まず表現したい何かがあり、その手段として土を選ぶのではなく、土に対する愛と表現とが最初から分かちがたく結びついているのである。
この結びつきはおそらく、美術と呼ばれるものよりも、工芸やデザインにより特徴的な要素であろう。少なくとも観る側の意識においては、美術とは、素材や技法から遊離した主題やメッセージ性が際立つものに違いないからだ。そうした意味では、陶製の導管によるインスタレーションという陶芸のテーマを裏切るような三木の作品と、枯れたような花が陶であることを忘れさせる新宮の造形は、陶による美術として解されやすいものかもしれない。とはいえ、新宮の花の妖艶さは陶でなければ表現できず、三木の導管もまた、作者にとっては「土が流れるイメージ」、すなわち陶そのものに他ならないのだ。
北野の器はもっとも陶芸の伝統に忠実であるようにみえるが、ろくろ成形とマスキングによるサンドブラストという技法と結びつくのは、おそらく「装飾」のあり方に対する作者の関心であろう。装飾という概念は、長年、美術からも工芸からも排除されてきたものだが、美術の現況をみると、どうも装飾が、近年の隠された動向の鍵を握るように思える。すなわち、観念的なものの対極にあると見なされてきた「装飾」が、若手作家たちからは現代美術の新たな視座として注目されているように思えるのだ。北野、三木、新宮の陶の作品は、そのような新たな手がかりを指し示すものであるかもしれない。[橋本啓子]

2011/06/14(火)(SYNK)

オフセット印刷で探るグラフィック表現の可能性──グラフィックトライアル2011

会期:2011/05/13~2011/08/07

印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]

オフセット印刷ではなにが可能なのか。どのような限界があるのか。ふだんの仕事では絶対に経験不可能な、極端に実験的な試みをほんとうにやってしまうのが、グラフィックトライアル。なによりも、これらの実験過程がすべて記録されている点がこの企画の最大の意義である。今年は祖父江慎、佐藤可士和、名久井直子、山本剛久の四氏がそれぞれ課題を出し、凸版印刷のプリンティング・ディレクターが苦心惨憺の果て(?)にそれらを実現する。祖父江慎氏はあえて正確なコントロールができないであろう要素を印刷に持ち込む。メディウムにカレー粉を混ぜて刷ったり、フィルムをたわしでこすって傷つけたり。それでも意外にも予測不能なトラブルは起きにくく、現代印刷技術の安定性を確認することになったそうだ。佐藤可士和氏は、オフセット印刷の限界を見極め、基準をつくるという課題。同じ色を100回刷り重ねたらどのような効果が得られるのか。細い罫線、小さな文字は、どこまで再現可能なのか。インキメーカーによって金、銀、黒の色味や効果にどれほどの違いがあるのか。名久井氏は大正から昭和初期にかけて刊行された絵本のような、懐かしい印刷効果の再現を試み、山本氏は色ごとに用意した版を重ね刷りすることによって木版画のような効果を再現する。課題の選び方にそれぞれのデザイナーの個性、関心が現われていてとても面白い。オフセット印刷は私たちにとってもっとも身近で見慣れた印刷方法であるが、これほどまでに圧倒的な質感が表現可能であるのかと驚かされる。[新川徳彦]

2011/06/08(水)(SYNK)

武田晋一のアプローチ

会期:2011/05/14~2011/06/07

space_inframince[大阪府]

今回、大阪のspace_inframinceにおいて武田晋一が発表したのは、店舗で使われていた什器や木箱、安価な合板などを利用したディスプレイ棚や椅子、オブジェなのだが、どうもそれらには家具やデザイン、あるいはオブジェという言葉がしっくりこない。作品のいくつかは家具として立派に機能しているので、美術にカテゴライズするのも戸惑いがある。
あえて家具作品として武田の作品をみるなら、それは少なくとも製品として褒められたものではないだろう。木箱の表面やエッジは何ら処理を施されず、むき出しのままだ。ディスプレイ棚はパーツを組み立ててつくられるが、通常の組み立て家具のように、パーツ同士はぴったりと合わさらない。それは、積み上げられた丸い石のように、箱や板がぎりぎりのバランスを保って積み重なっている。パーツは、武田自身が背負って会場に運んだものであり、彼はゆっくりと一個一個のパーツを並べ、積み重ねていく。Youtubeにアップされた動画をみると、何度もパーツを並べ直す武田の姿がみえる。つまりこれは、初めから組み立て方が決まっているわけではなく、組み立てる度にいちいちバランスを考えなければならない家具(?)なのだ。
武田はフランスに長く滞在したが、フランス語で家具は、「meuble」「mobilier」といい、どちらも「動く」という意味を含む。実際、戦争の絶えない中世の時代、タピスリーや椅子、櫃などの家具は次の戦地に赴く度に動かされるものだった。したがって、パーツにばらして持ち運びができ、組み立ての度に姿を変容させる武田の家具は、家具の原点回帰ととれないこともない。
このような歴史的背景と武田の作品に関わりがあるかどうかは不明だが、「動く」要素がこの家具を特徴づけることは確かだ。ばらばらのパーツは、人間がその時々の用途に応じて勝手につくり出し、不要となるや捨てられたものである。会期中にそれらは何度も組み変えられ、外観を変える。その変容は武田によりもたらされるとはいえ、逆に、パーツたちが武田という主に向かって生き物のごとく振る舞い、崩れないように安定を図ろうとする武田に歯向かうかのようでもある。同様に、黄色い輪郭線でできた椅子も、主(=人間)が座れない椅子だ。蝶番のついた輪郭線は、自らを変形することで、椅子のイメージであり続けることさえも拒絶するだろう。このように武田の家具を生けるものとしてみることは無論、筆者の空想以外の何物でもない。だがこの空想が、日常を取り巻くモノと人間との対峙を思いがけない視座から照射しようとする武田の企てによって生み出されたものであることは確かなのだ。[橋本啓子]

Takeda Shinichi's Approach (14 May 2011)

2011/06/07(火)(SYNK)